マツダ本社工場連続殺傷事件
マツダ本社工場連続殺傷事件(マツダほんしゃこうじょうれんぞくさっしょうじけん)とは、2010年(平成22年)6月22日に、広島市南区及び安芸郡府中町にあるマツダ本社工場で発生した引寺利明による通り魔事件のことである。この事件で12人が被害に遭い、1人が死亡、11人が重軽傷を負った。なお、以下に書いてある年齢はすべて事件当時の年齢である。
目次
事件の概要[編集]
2010年(平成22年)6月22日午前7時35分ごろ、広島市南区仁保沖町のマツダ本社宇品工場の東正門前で、ファミリアS-ワゴンに乗った引寺利明が2人をはねた。警備員の制止を振り切って敷地内に進入、周回して5人をはねた。さらに社内橋東洋大橋で猿猴川を越え、800m離れた本社工場にも侵入し4人をはねた。工場内を約10分間、距離は約5km、平均時速約40kmで暴走し、7時45分ごろ、南区大州の北門より逃走した。
引寺利明は北門逃走より40分後、北東に4.6kmほど離れた府中町畑賀峠(瀬戸ハイム上)で「わしがやった」と110番通報。駆けつけた警察官が、殺人未遂罪及び包丁を隠し持っていたとして、8時23分に銃砲刀剣類所持等取締法違反の疑いで現行犯逮捕した。
工場の始業は午前8時15分であり、事件の起きた時間は丁度、夜勤と日勤の従業員が入れ替わる時間帯であった。
引寺利明[編集]
現行犯逮捕された引寺利明は同市安佐南区上安二丁目に住む42歳の派遣社員で、マツダの元期間従業員だった。
マツダによれば、引寺利明は2010年(平成22年)3月25日に6ヶ月契約の期間社員として入社、4月1日から同工場でバンパーの製造業務に当たっていたが、14日になって自己都合退職した。引寺利明はマツダ工場で同僚から嫌がらせをされたが、マツダが嫌がらせを止めなかったので、マツダに復讐しようとしたと供述しているが、警察の捜査では嫌がらせの事実は確認できず、被害妄想による思い込みと判断された。犯行現場ではブレーキ痕がほとんど発見されておらず、ファミリアS-ワゴンはフロントガラスが大きく破損し、ボンネットも変形しているという。
また、2008年(平成20年)6月8日の秋葉原通り魔事件のようにしてやろうと思った、マツダの従業員なら誰でもよかったなどと供述している。犯行前には知人に対して「僕は負け組」などと述べるなど精神的に不安定な状態にあったとされる。6月23日に引寺利明は殺人未遂と銃刀法違反の疑いで広島地検に送検された。
引寺利明は秋葉原事件の年に自己破産している。アパートには4月から干したままの洗濯物などもあり、生活にかなり困窮していたのではないかとされている。
幼少時代[編集]
広島市内で育った引寺は幼いころは線が細く、比較的地味な少年だった。創価学会信者の家庭で、両親がよく題目を唱えていたという。
市内の広島工業高校を卒業後はマツダの下請け会社に入社する。だが勤務先を転々とし、三十歳になっても実家暮らしを続けていた。
「夜中なのに、バリバリと爆音を立てて白い車で帰宅していた。厳格な性格の父親に『そんな大きな音を立てたら迷惑だろ』と叱られていた」
「秋葉原事件をまねようと思った」[編集]
引寺利明が「秋葉原の無差別殺傷事件をまねようと思った」と供述していた。引寺は高校卒業後、派遣社員として勤務先を転々としており、2008年に17人の死傷者を出した東京・秋葉原通り魔殺人事件で公判中の元派遣社員、加藤智大(27)に共感を抱いていた。
引寺は県警の調べに「マツダには恨みがあった。秋葉原事件のように包丁でむちゃくちゃにしてやろうと思った」と供述。犯行車両のマツダ・ファミリアからは刃渡り約18センチの包丁が発見された。秋葉原事件でも、加藤は車で人をはねた後、用意していたダガーナイフで通行人を刺している。
1986年に広島市立広島工業高校電気科を卒業した引寺は、マツダが取引先の部品メーカーに就職。車の内装部品を製造する業務を担当したが、1992年9月に「一身上の都合」で退職。その後は、派遣会社に登録し、複数の会社に勤務していた。
2010年2月、マツダが10年ぶりに再開した期間従業員の募集試験を受けて採用された。だが、4月にマツダ本社工場で8日間だけバンパーの成形作業に従事し、「一身上の都合」で退職した。同僚には、「作業のスピードについていけない。体力的にきつい」と漏らしていた。新車販売の回復に伴う急ピッチの増産に対応するための求人だっただけに、マツダ社内からは「本当に適性を見極めたのか」と、疑問の声も出ている。
被害者[編集]
被害順 | 住所 | 被害者 | 被災区画 | 被災場所 | 被災状況 | はねられた場所と車の経路。引寺利明は東正門から侵入し、宇品工場内を走行。さらに社内橋東洋大橋で猿猴川を越え、府中工場を一周。この過程で12名がはねられ、内1名浜田博志さんが死亡した。 |
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1 | 広島市南区 | 50歳男性 | 宇品工場 | 東正門 | 軽傷 | |
広島市南区 | 22歳男性 | 宇品工場 | 東正門 | 軽傷 | ||
2 | 広島市中区 | 36歳男性 | 宇品工場 | プラスチックB棟 | 重傷入院 | |
広島市南区 | 36歳男性 | 宇品工場 | プラスチックB棟 | 軽傷 | ||
3 | 東広島市 | 38歳男性 | 宇品工場 | プレス棟 | 軽傷 | |
4 | 広島市安佐南区 | 19歳男性 | 宇品工場 | ツーリングA棟 | 軽傷入院 | |
広島市南区 | 29歳男性 | 宇品工場 | ツーリングA棟 | 重傷入院 | ||
5 | 広島市南区 | 22歳男性 | 本社工場 | 鋳造A棟 | 軽傷 | |
6 | 広島市安佐南区 | 26歳男性 | 本社工場 | 1号館玄関 | 軽傷入院 | |
広島市安佐南区 | 26歳男性 | 本社工場 | 1号館玄関 | 軽傷 | ||
7 | 広島市安佐南区 | 22歳男性 | 本社工場 | 協力会センター前 | 軽傷 | |
8 | 東広島市 | 浜田博志さん(39歳) | 本社工場 | 装備A棟 | 死亡 | |
計12名、うち死亡1名、重軽傷11名 |
11名がはねられ、1名が肩からかけていたショルダーバッグを車にひっかけられた。バッグを引っ掛けられた男性を除く11名が病院に搬送された。9人がマツダ病院に、2名が広島市中区と安芸区の病院に搬送された。被害者12名の内、1名、浜田博志さん(39歳)が死亡、重傷2名(36歳・29歳)及び軽傷2名(19歳・26歳)が入院、その他の軽傷7名。
被害状況は6月22日および24日に広島県警が発表したものである。なお、被害者12人全員に広島中央労働基準監督署により労働災害認定が下されている。
裁判[編集]
本件では引寺利明は殺人罪に問われたが、裁判上引寺利明の責任能力が争点となることが予想されたため、度重なる精神鑑定要請が行われ、結果として起訴が2011年10月と、裁判の開始が大幅に遅れることとなった。
一審は裁判員裁判となったが、その審議過程で引寺利明が被害者遺族に支払われた保険金を要求するなどの特異な行動が明らかになっている。
「うそつくな!ふざけるな!この裁判は茶番ですかね。やめちまえ!」(2012年2月)[編集]
引寺(ひきじ)利明(44)の裁判員裁判の第12回公判が2月14日、広島地裁(伊名波宏仁裁判長)であった。 被告が事件を起こした原因で、複数による嫌がらせ行為の中心人物と主張する元同僚の男性が出廷。男性は「(集団の嫌がらせ行為は)なかったと思う」と否定した。
引寺被告とは、同時期に研修を受けたといい、期間中にほかの従業員と喫煙場で談笑していたところ、近くにいた引寺被告が「目を細めてにらんでおり、迷惑そうだった」と振り返った。しかし、その時は特にトラブルはなく「恨まれる心当たりもない」とした。
引寺被告は、証言を聞いている間、男性をにらみつけ、嫌がらせ行為が否定されると、「うそつくな。ふざけるな」と立ち上がって激高。伊名波裁判長から「黙りなさい」と制止されると、引寺被告は「この裁判は茶番ですかね。やめちまえ」と発言し、持っていたペンを床に投げつけた。
遺族に「保険金入って良かったな、100万円くれよ」と手紙を送る(2012年2月)[編集]
無差別殺傷被告が遺族に金銭要求 「百万円差し入れて」
12人が死傷した広島・マツダ工場の無差別殺傷事件で、殺人などの罪に問われた元期間従業員引寺利明(44)の裁判員裁判の公判が2012年2月22日、広島地裁(伊名波宏仁裁判長)であり、引寺被告が遺族に宛てた手紙で金銭を要求していたことが明らかになった。
手紙は事件から約4カ月後の2010年10月末、殺害された社員浜田博志さん=当時(39)=の妻宛てに勾留中の引寺被告が書いた。広島地検が代わりに受領したが、妻は受け取りを拒否した。
この日の公判で検察官が朗読。手紙には「保険金も手に入って感謝してほしい。100万円を差し入れてくれ」などと書かれていた。
この手紙をめぐっては、検察側が16日の被告人質問で真意を尋ねた。引寺は「マツダ正社員の生活は、派遣切りの苦しみ、悲しみで成り立っていると言いたかった」と説明。「手紙を書くのにちゅうちょはなかった」とした。
検察側は死刑求刑も視野に厳しい刑を迫る。弁護側は「犯行時は心神喪失状態」として全面無罪を訴える。
1審は無期懲役→控訴(2012年3月)[編集]
2012年3月9日、広島地方裁判所は引寺利明の完全責任能力を認め、求刑通り無期懲役の判決を下した。この判決に引寺利明は「『マツダ従業員による嫌がらせ』が『妄想』と判断されたこと」を不服として控訴した。
事件に対する社内への影響[編集]
事件発生により、工場は一時操業停止したが、同日9時に操業再開した。社内には5箇所献花所が設けられた。事件の翌日の23日に行われた株主総会で警備体制に対する意見が出て、事件の再発防止に全力を尽くす方針を示した。それに関連して、入退場に対する警備強化をする方針であると報道された。また、事件発生の22日よりCMを自粛していることが24日に判明した。
影響[編集]
犯行車両のファミリアSワゴンは中古車市場の人気が急落し、そしてついにはファミリアSワゴンの買い取りの価格が急落した。(一部店舗では買取価格が10万円を割る店も現れたという。)
現場周辺[編集]
マツダ本社工場は宇品工場地区と本社工場地区に分かれ、社内橋の東洋大橋で結ばれている。敷地面積は2,247千平方メートル、建物延面積は1,796千平方メートルで、約15,000人の従業員が働いている。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- マツダ工場暴走事件 - 中国新聞特集
- マツダ工場12人殺傷事件 - Yahooニュース