マギー審司

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マギー審司
本名三浦 審
ニックネーム
生没年月日1973年11月11日(2024-1973)+((11-11)*100+(5-11)>=0)-1歳) - 
出身地宮城県気仙沼市
血液型B型(RH-)
身長174cm
方言共通語
最終学歴宮城県気仙沼高等学校
師匠マギー司郎
出身
グループ名
相方
芸風マジック
立ち位置
事務所マセキ芸能社
活動時期1994年 -
同期
現在の代表番組
過去の代表番組
作品
他の活動
配偶者吉田有希
親族
弟子
公式サイトマギー審司オフィシャルブログ
受賞歴
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マギー 審司(マギー しんじ、1973年11月11日 - )は、日本お笑いタレント手品師。本名、三浦 審(みうら しん)。

宮城県気仙沼市出身。マセキ芸能社所属。手品師のマギー司郎の3番弟子である。3人兄弟の次男。血液型B型(RH-)。

経歴[編集]

気仙沼市立南気仙沼小学校気仙沼市立条南中学校宮城県気仙沼高等学校卒。高校卒業後に単身渡し、1年間プロマジシャンの下で修行を積む。

帰国後の1994年、マギー司郎に弟子入りし、「マギー審司」の芸名を授かり日本での芸能活動を開始。当初はマギー司郎のアシスタントとして、コンビネタで笑いを取るなどの芸を披露していた。

2004年頃より、奇術師として1人でのテレビ出演などが増え、2005年には第21回浅草演芸大賞新人賞を受賞。以降も、マギー司郎譲りのお喋りマジックで活躍している。

2006年8月25日、モデルの吉田有希と結婚。2008年1月に第一子となる女児が誕生。2011年1月27日に第二子となる男児が誕生。

芸風[編集]

主に赤い背広を着用して人前に出るが、マギー司郎のアシスタント出演が多かった頃には背広でなく薄緑色のベストを着用してステージに出ていた。

喋り方や奇術師としてのスタイルはどことなく師匠のマギー司郎に似ており、芸風はマギー一門を正当に継承。師匠同様、意図的に下手糞なマジックや、誰もがタネを予想できるマジックを行って笑いを取ることに特徴がある。得意なネタは「大きくなる耳」。その際に「でっかくなっちゃった」と言うのがお約束となっている。最近ではバリエーションとして「小さくなる耳」という演目もあり、最後に親指にはめた小さな耳を突き出し、大木こだまの「チッチキチー」をやることもある。

相棒はフェレットレッサーパンダを足して2で割ったようなぬいぐるみの「ラッキー」とその妹の「アンラッキー」。巧みな指使いで、あたかも本当に生きているかのように動かすことができる(たまに器用な芸能人にあっさり真似をされることも)。2005年から玩具メーカーの増田屋と契約し、ラッキーの友達としてモーラーが新たにペットに加わった。

マジックだけでなくものまねもやる(ゆーとぴあピース和田アキ子伊東四朗など ピースのものまねは明石家さんまも絶賛するほどの腕前)。

エピソード[編集]

  • 実家は気仙沼市で電器店を営む。審司ブレイク後は店頭に電気製品と共に、奇術の小道具も扱うようになった。
  • 2005年吉田有希との交際が発覚した際は、取材にも「付き合っています」と堂々と答え、さらにはお互いのブログでは同じ日付に同じ場所で遊んでいる等共通点も多く、特に交際を隠してはいなかった。結婚時は一部スポーツ誌で、字が同じであるアイドルの吉田有希(よしだ ゆうき)と間違って報道された(『アッコにおまかせ!』より)
  • 「手品師」という職業名に拘り、「マジシャン」と自称することは稀である。本人曰く「本当はお笑い芸人になりたかった」と言う通り、お笑い芸人の一人として分類されることが多い。『オンエアバトル』や『笑いの金メダル』にも出演した。
  • 松浦亜弥とともに「マギマギ先生」役で、日本テレビの『ティンティンTOWN!』のプリンセス☆アヤヤのハッピーマジックコーナーに出演した。
  • マギー一門の所属事務所はオフィス樹木だが、審司は一人で舞台などを任せられるためマセキ芸能社に所属している。
  • 近視であるため視力が悪くマギー司郎のアシスタント出演が多かった頃には眼鏡をかけることも多かったが1人で出演を行うようになった近年はコンタクトレンズを使用している。
  • 柔道の有段者(二段)であり、最近は正月のテレビ番組で芸能人柔道対決のような場面でも活躍。2005年日テレで放送された『レッスルコロシアム ザ芸能界!最強格闘王者グランプリMAX』(アマチュアレスリングスタイルでの対戦)では決勝戦で草野仁に敗れたものの、準優勝に輝いている。また、ボウリングの達人でもあり、さんまのスーパーからくりTVで、トリックプレイを次々と見せた。ベストスコアは279[1]
  • 中村雅俊山寺宏一荒川静香大友康平サンドウィッチマンら宮城県ゆかりの著名人が任命される「みやぎ夢大使[2]」に任命されている。
  • 2006年9月2日テレビ朝日系放送の『アメトークお笑い祭り1クールのレギュラーより1回の伝説SP!!』にて、本人曰く「19歳の頃はアメリカで寿司屋をやっていた」とのこと。その寿司修行中にTIMというマジシャンからマジックを習ったと言い、ショーの最後では「ちゃんとした」マジックを披露する。(ただ、英語ができなかったことで、コミュニケーションが困難だったらしく、それが『3か月トピック英会話』の出演理由と思われる)
  • 奇術道具の一部を東急ハンズより調達しているらしい。その道具の中で、紙幣を発生させる道具もある。
  • ふじいあきらとはネタを交換しあう程仲が良く、たまに共演もする。
  • オンエアバトルでは10戦10勝の無敗である。
  • 「『楽そうだから』という理由(弟子入り希望の際、マギー司郎宛てに手紙ではなくハガキを送ったらしい)で弟子入りしてみたら本当に楽だった」「弟子入りしてから逆に手品の技術が落ちた」と、師匠の司郎をネタにすることも多い。だが、「自分(審司)の引越しに手伝いに来てくれた」「定期的に一門で連れ立って師匠の元を訪れている」と、司郎への尊敬の念を明かすこともある。
  • 小学生の時は一年中(真冬でも)半袖半ズボンで学校に通っていた。現在もプライベートでは短パンで過ごすことが多いようである。
  • 2008年1月26日21時39分、夫人が女児を出産、一児の父となる。偶然にも仕事がオフだったため、出産に立ち会うことができたことを自身のブログで明らかにしている。
  • 礼儀正しく、真面目、親切、穏やかな性格だが、あびる優森下千里などには嫌われている。あびるに見ていて腹が立ってくると言われた。
  • 旅番組等で言葉を選んで話すためか丁寧過ぎる言い回しが見受けられる。
  • 欽ちゃん&香取慎吾の第82回全日本仮装大賞にマセキ芸能社所属のお笑い芸人(こばやしけん太キスキスバンバン青春ダーツダムダムおじさん、ルシファー吉岡)と一緒に「ドーナツ限定販売」という作品で挑戦。結果、19点で合格し技術賞を受賞した。なお、タレントとしては異例の一般参加であったため、この時は本名の「三浦審」名義で参加していた。(地区予選から本戦までの模様はブログでも取り上げられている。)また、第86回大会にも師匠の司郎と手品師仲間17人とともに「春の訪れ」という作品で参加、見事満点を取り3位入賞を果たした。なお、賞金は実家のある気仙沼が東日本大震災で被災していた事から、全額、桜の苗木を購入し被災地に寄付した。
  • 2011年3月、92歳の祖母と叔母と親類の女性が東日本大震災に巻き込まれて死亡した[3]
  • 2011年7月24日、NACK5で放送されているCo-sotto 1-6にゲストとして登場予定だったが寝坊し、パーソナリティの島田秀平がその場でかけた電話によって起きるという異例の事態を引き起こした。結局、そのまま30分ほど電話出演という形になった。

出演[編集]

テレビ番組[編集]

  • [遊戯アーク5スタート特番。(2014年3月30日。テレビ東京)

[天才てれびくん]](NHK教育)本格活動を行う以前に一度奇術の指導役としてゲスト出演したことがある)

通貨偽造フジテレビ警察に逮捕(もちろん番組上の演出)されている
サンドウィッチマン狩野英孝(狩野は同じ事務所の後輩であり、「尊敬する芸人」に審司の名前を挙げている)との共演番組。3組ともに宮城県出身であり「みやぎ夢大使」に任命されている。
ミニ番組

テレビコマーシャル[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

PV[編集]

ライブ[編集]

[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

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