せんべい
煎餅(せんべい)とは、穀物の粉を使って作る食べ物の一つである。多くは薄い形状をしている。
日本では焼き菓子の一種で、概して平たい形状のものをいう。大きく分けて小麦粉、卵などを原料にするもの、米を原料とするもの、馬鈴薯などのでん粉を用いるものの3種類がある。
中国では、小麦粉、粟、緑豆などの粉を水で溶いて、鉄板上に広げて焼いた一銭洋食に似た食品をいう。
概要[編集]
煎餅には、餅米を撞いて作る餅(もち)は基本的に使っていないが、「餅」という字が入っている。「餅」という語は、もともと中国では主に小麦粉、粟、緑豆などの粉を水で練って、平たく成形した食品全般を指すので、基本的に餅米は使っていない。
また、「煎」も、中国では薬を煎じるという意味ではなく、鉄板で焼くことを指す。つまり、中国の「煎餅(チエンピン jiānbǐng)」は小麦粉などの粉を水で練って、鉄板で焼いたものである。別名「薫火」とも呼ばれるが、中国においては、現在も山東煎餅、天津煎餅など、一銭洋食に似た作り方の軽食が作られている。日本のお好み焼きもこれらの「煎餅」の一種として「日式雜菜煎餅」などと呼ばれることがある。(逆に、日本の揚げ煎餅の類を「仙貝 シエンベイ xiānbèi」と音訳で呼ぶ場合がある。)中国の煎餅は、いずれも軟らかくて、巻いたり、折ったりして食べることが可能なものである。
一方、日本では、薄くて、パリッとした固い菓子の一部を指して煎餅と呼んでいる。大きく分けて小麦粉、卵などを原料にするもの、米を原料とするもの、馬鈴薯などのでん粉を用いるものの3種類があり、さらに、焼かずに揚げたり、別の材料を用いた、類似の外観や食感を持つものも煎餅と呼ぶ場合がある。
小麦粉を原料とするものは、主に関西で古くから作られている煎餅で、材料的には主に小麦粉、砂糖、卵などで、カステラやビスケットに近く、味は甘めのものが多い。甘味煎餅(あまみせんべい)ともいい、瓦せんべいなどが代表的なものであり、八ツ橋のように米が材料であるものもある。甘味煎餅は唐菓子の伝統を受け継いでおり、こちらが煎餅の原型とされている。
米を原料とするものは、米菓煎餅(べいかせんべい)ともいい、主に関東で古くから煎餅と呼ばれて作られてきたもので、醤油や塩による塩辛い味付けのものが多い。主に粳米(うるちまい)をつぶしたり搗(つ)いたりして延ばしたものを焼いてつくる米菓で、関西では、餅米を利用したかきもち(薄焼き)やあられ(粒状のもの)等の仲間として、おかきなど総称される。餅米を使い、油で揚げて作る米菓を揚げ煎餅(あげせんべい)と呼ぶように、現在では必ずしもうるち米だけが原料ではない。関東では、米菓煎餅を焼いて売る煎餅屋も多くみられるが、関西では煎餅屋というもの自体が少なく、主におかきやあられ屋で販売しているなど販売形態なども東西で大きく異なる。
愛知県の知多半島の名物となっている海老煎餅などは、馬鈴薯などのでん粉に、魚や海老の乾燥品を混ぜて焼いたもので、塩辛い味が基本であるが、現在ではわさび味、カレー味、キムチ味など、さまざまな味の物が作られている。
九州などでは煎餅を「せんべい」でなく「せんぺい」と半濁音で発音する人もいる。にわかせんぺい(二○加煎餅)、九十九島せんぺい、湯せんぺいといった例がある。場合によっては醤油味・塩味を「せんべい」、甘いものを「せんぺい」と呼び分ける例もある。
煎餅は日本を代表するスナック菓子(間食)であったが、近年は、ポテトチップスなどに人気を奪われる傾向にある。
煎餅の歴史[編集]
日本で「煎餅」の記述がでてきたのは正倉院所蔵の737年頃の文書である。しかし、ここに登場する「煎餅」は現在のものと違い、小麦粉を油で固めたいりもち(煎餅)である。
もっと現在に近いものでは、よく知られた挿話に、日光街道の2番目の宿場町であった草加宿(現在の埼玉県草加市)で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆が、ある日、侍に「団子を平らにして焼いたらどうか」と言われて始めたのが名前の由来、というものがある。
しかし、これは草加市出身の全国紙記者が「草加煎餅」を広めようと創作したものとも言われている。
草加宿一帯の農家では、蒸した米をつぶして丸め、干したもの(「堅餅」という)に塩をまぶして焼き、間食として食べていた。草加宿が日光街道の宿場町として発展したことに伴い、この塩味の煎餅が旅人向けの商品として売り出され、各地に広まった。その後、利根川沿岸(千葉県野田市)で生産された醤油で味をつけるようになり、現在の草加煎餅の原型となった、というのが実際のところのようである。
主な煎餅の種類[編集]
- 甘味煎餅
- 米菓煎餅
- その他の日本の煎餅