新家春三
新家 春三(にいのみ はるみつ、1814年 - 1890年)は、江戸時代末期の幕臣、淘宮術の創始者・横山丸三の直弟子・後継者[1][2]。諱は孝悌、通称は彦次郎[3]。
経歴
文化11年(1814)11月15日、(小石川)白山御殿跡大通[4]に生まれる[3]。
新家家は、御三家の紀伊徳川家に仕えていたが、享保期に奥役人を務めていた与五左衛門が享保3年(1718)に江戸に下向したお由利(浄円院、徳川吉宗の生母)の御供に加わり、幕臣となった家柄だった。父は純孝といい、母は幕臣・杉浦義左衛門の女だった。[5]
16歳のときに母が死去[5]。
天保2年(1831)に家督を相続。幕臣・高倉家から妻を娶った。[6]
天保6年(1835)、22歳のとき、天源淘宮学と称していた横山の門下に入る[3]。
- この頃、幕府からの禄高が父の遺した負債の返済で差し引かれて家計が窮乏しており、見かねた妻の実家から、淘宮術の開運修行を勧められて入門した、という[7]。
天保14年(1843)、6月、皆伝を許され、新亀斎春三と号した[3][1]。
娘は田安家に女中奉公に出ていた[8]。先妻が死去した後、後妻として一橋家の家臣・川村喜内の二女と再婚した[8]。
嘉永元年(1848)10月に開運淘宮術は江戸幕府によって講義集会を禁止された[9][10]。横山は安政元年(1854)に死去した[11][1]。
新家は、幕末期から明治初期にかけて、大奥の女中たちと淘宮術を通じた交流をもっていた[12]。徳川記念財団には、新家が天璋院付の女中・歌川(たか)らに宛てて書いた書状20数通と、慶応3年(1867)から同4年(1868)頃、天璋院付の女中に宛て書いたとみられる書状の写しをまとめた横半帳の冊子が、天璋院の用箪笥に収納されて伝わっており[13]、書状の内容や、用箪笥に淘宮術関係の資料が残されていたことから、天璋院自身も淘宮術の「修行」に励んでいた、とみられている[14]。
- 藤田 (2019 356-365)は、新家は淘宮術の主旨として、天璋院に現状の肯定、新政府への恭順を勧めていたが、天璋院の新政府に対する批判的な言動から、天璋院自身よりも徳川家達に期待を寄せるようになっていき、家達に淘宮修行を勧めるよう女中たちに働きかけるようになった、と指摘している。
明治維新後、横山の門弟のうち、佐野量丸と青木十丸は内務省の許可を受け、大成教会の管理下で、再び一般に淘宮術の宣伝を行うことができるようになった[15]。
新家は、佐野と意見が合わないところがあり、別に公の許可を得て一派を形成した[15]。また正統を継いだのは新家で、淘宮の本家のように言われていた、ともいう[1]。
隠居後も蓄髪し、春三と称した[3]。
1890年(明治23)没[17]。没後は夫人某が門跡を継ぎ、1913年に病没した[18]。その男子・河村某は別に一家門を成した[18]。
子孫
著書
- 新家春三『十二宮伝』[20]
付録
関連文献
- 樋口 (1998) 樋口雄彦「沼津兵学校関係人物履歴集成」『沼津市博物館紀要』 、No.22、1998[21]
- 樋口雄彦「淘宮術と明治の旧幕臣群像」『沼津市博物館紀要』[22] 、No.43、2019
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 井上 1896 228
- ↑ 大井 1868 17
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 大井 1868 38
- ↑ 人文学オープンデータ共同利用センター 江戸マップβ版 駒込絵図 22-214 小石川白山御殿跡大通(景山致恭、戸松昌訓、井山能知(編)『駒込絵図』〈江戸切絵図〉尾張屋清七、1854・嘉永7、NDLJP 1286675)に「新家彦次郎」の名がみえる。
- ↑ 5.0 5.1 藤田 2019 349
- ↑ 6.0 6.1 藤田 2019 350
- ↑ 藤田 2019 350 - 日本淘道会『淘宮』による。
- ↑ 8.0 8.1 8.2 藤田 2019 352 - 日本淘道会『淘宮』による。
- ↑ 大井 1868 15,42
- ↑ 鈴木 1966 9
- ↑ 大井 1868 20
- ↑ 藤田 2019 352
- ↑ 藤田 2019 353-356,367
- ↑ 藤田 2019 356-359,368-369
- ↑ 15.0 15.1 西川 1914 125
- ↑ 西川 1914 130
- ↑ 藤田 2019 348
- ↑ 18.0 18.1 西川 1914 126
- ↑ 19.0 19.1 藤田 2019 350 - 樋口 1998 による。
- ↑ 井上 1896 229
- ↑ 藤田 2019 370-371
- ↑ 藤田 2019 371
参考文献
- 大井 (1868) 大井正元三始氏「淘宮元祖先聖伝記并略年譜」天源淘宮術研究会『天源淘宮術秘訣』松成堂、1909・明治42(原著:慶応4・1868)、pp.4-44、NDLJP 2209062/10
- 井上 (1896) 井上円了(講述)『妖怪学講義 合本第3冊 増補再版』哲学館、明治29、pp.225-236、NDLJP 1080793/118
- 西川 (1914) 西川光次郎『神道教祖伝 - 霊験奇瑞』永楽堂、1914・大正3、NDLJP 908681
- 鈴木 (1966) 鈴木龍二「相沢翁と淘宮術」相沢菊太郎ほか『相沢日記・続』相沢栄久、7-9頁、NDLJP 2985880/8
- 藤田 (2019) 藤田英昭「幕末維新期の大奥と『淘宮術』」『論集大奥人物研究』東京堂出版、pp.345-371、ISBN 978-4490210200