三井家
三井家(みついけ)は、三井財閥の財閥家族。宇多源氏(近江源氏)佐々木氏出身である三井高久の流れを汲むとされる。
三井高利が伊勢国・松阪から江戸へ出て呉服屋を出店したことから三井家の事業は始まる。その後、京で両替商も兼業し、江戸時代を通じて三井家の事業の柱となる。
三井家発祥の地である伊勢松坂は御三家紀州藩の領地であった為、江戸時代を通じて紀州徳川家とは強いつながりがあった。北家6代高祐は徳川治寶の招きで紀州和歌山(和歌山城下の西浜御殿)を訪れている。表千家ともつながりがあった。
「三井十一家」[編集]
高利の死後、その遺産は嫡男高平以下子供たちの共有とされ、各家は1694年に、家事と家業の統括機関である「三井大元方」を設立すると共に、「宗竺遺書」(江戸時代。宗竺は高平の隠居名)、「三井家憲」(明治以降)の下に、一体となって三井家を盛りたてた。これがいわゆる「三井十一家」である。
江戸時代の三井家は、長男高平の子孫「北家」、高利の男系子孫「伊皿子家」(次男高富の子孫)「新町家」(三男高治の子孫)「室町家」(四男高伴の子孫)「南家」(六男高久の子孫)「小石川家」(九男高春の子孫)、女系子孫「松坂家」(長女みねとその夫孝賢の子孫)、「永坂町家」(五男安長の長女みちとその夫高古の子孫)、「小野田家」(高平の妻かねの実家)の八家から成り、のち「長井家」(高利の四女かちの子孫)、「家原家」(北家3代目高房の長女りくの子孫)が加わって十一家となった。このうち北家、伊皿子家、新町家、室町家、南家、小石川家を「本家」、松坂家、永坂町家、小野田家、長井家、家原家を「連家」と呼び、本家の中でも北家を「惣領家」としていた。
明治に入り小野田家、長井家、家原家は途絶し、代わって「五丁目家」(北家8代目高福次男高尚の子孫)、「一本松町家」(伊皿子家6代目高生次男高信の子孫)、「本村町家」(小石川家7代目高喜次男高明の子孫)が連家として興った。
代替わりするごとに十一の家同士の血縁が薄くなるのを防ぎ、家間の血縁関係を強固にするため、三井一族同士で結婚するケースも多かった。これは江戸時代からあったが明治以降も三井一族同士による結婚は多い。
なお、北家当主は3代高房以降、代々三井八郎右衛門を名乗った。高房は豪商達の興隆・衰亡を記した「町人考見録」を著して地道な商売の必要性を唱えて「大名貸」などの派手な取引を禁じている事で有名である(ただし、破産した取引先が持っていた大名貸債権を引き受けさせられたりしたため、三井家と言えども大名貸とは無縁と言うわけには行かなかった)。財閥解体時の北家当主高公は11代目八郎右衛門であった。
北家、室町家、南家は明治時代に男爵に列せられた。
財閥解体と三井家[編集]
1947年3月14日、内閣総理大臣吉田茂は持株会社整理委員会の上申に基づき、三井十一家の当主をいわゆる「財閥家族」に指定した。対象は八郎右衛門高公(北家(惣領家)当主)、高長(たかひさ、伊皿子家)、高遂(たかなる、新町家)、高大(たかひろ、室町家)、高陽(たかはる、南家)、高修(たかなが、小石川家)、高周(たかかね、松阪家)、高篤(たかあつ、永坂町家)、高昶(たかあきら、五丁目家)、高義(一本松町家)、高孟(たかおさ、本村町家)である。
三井家の親族・姻戚関係[編集]
三井家は十一の家が共同で事業を所有・運営していたため、その親族・姻戚関係は著しく広範囲である。ここでは、明治に入ってからの三井十一家の主要な親族・姻戚関係について述べる。
北家では、10代目高棟の次女(11代目高公の妹)が、五摂家の一つ・鷹司家に嫁いでいる。高公は4男1女をもうけたが、一人娘は浅野財閥の浅野八郎(総一郎の弟)の次男に嫁いでいる。
伊皿子家高長は北家10代目高棟の三女と結婚し2男3女をもうけた。三女の夫はトヨタ自動車元社長の豊田章一郎である。
高長の弟・高勅は泉姓を名乗って分家したが、旧出羽国秋田藩主・佐竹氏の分家である佐竹東家・佐竹義準男爵の長女を娶った。佐竹の次女は岩崎彦弥太に嫁いでおり、佐竹家を通じて三菱と縁続きになった事になる。
室町家高大の実父高従(高大養父で室町家11代目高精の兄)は徳大寺実則の娘を妻に迎えている。徳大寺は西園寺公望、15代目住友吉左衛門の兄である。また高従の姉(室町家10代目高保の長女)は鴻池家に嫁いだ。
南家高陽の妻・正子は五摂家・公爵一条実孝の娘だが、実孝の義姉(実孝は養子)は伏見宮家、閑院宮家、南部氏、鍋島氏、宇和島伊達氏などに嫁いでおり、南家はもっとも名家とのつながりの深い一族となった。
本村町家高孟の父で本村町家2代目の弁蔵は5男1女をもうけたが、長女は小坂徳三郎に嫁いだ。小坂家は長野県の地方財閥で、深井家及び萩原家と姻戚関係をもつ名家である。弁蔵の弟(本村町家初代高明の次男)高親は井原姓を名乗って分家したが、その子は日本テレビのディレクター・プロデューサーとして、「光子の窓」「シャボン玉ホリデー」「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」「11PM」など、テレビ史に名を残すヒット番組を手がけた井原高忠である。
永坂町家高篤の父・高泰(一般に幼名の「守之助」で知られる)は、12代目住友吉左衛門友親の娘・楢光を妻に迎えている。高篤には弟と3人の妹がいたが、一番下の妹は益田孝の孫と結婚した。
参考[編集]
東京都中野区上高田に財団法人三井文庫がある。これは、三井家の膨大な社会経済史料を保管するために1965年に設立されたものである。1985年には同じ中野区上高田に博物館である三井文庫別館が開館した。同館は、2005年に中央区日本橋室町の三井本館へ移転し「三井記念美術館」と改称された。北家(総領家)伝来品をはじめとする貴重な文化財が収蔵展示されている。
また、東京都港区西麻布(旧・麻布笄町)にあった総領家三井八郎衛門高公邸(1952年築)は、東京都小金井市にある江戸東京たてもの園に移築され、一般公開されている。