「緋田工」の版間の差分
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− | + | その後、岡山県の社会課に勤務。3ヶ年間勤務し、[[農繁託児所]]の主唱と普及に努めた。{{Sfn|倉橋|1926|p=1}}{{Sfn|倉橋|緋田|1932|p=24}} | |
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1938年(昭和13)11月に、[[左翼]]からの転向者・[[尾崎陞]]、[[川崎堅雄]]らとともに[[日本国体研究所]]を創立。機関紙・演説会・座談会などを通じて、[[東亜協同体論]]の啓蒙・宣伝につとめた。{{Sfn|公安調査庁|1965}} | 1938年(昭和13)11月に、[[左翼]]からの転向者・[[尾崎陞]]、[[川崎堅雄]]らとともに[[日本国体研究所]]を創立。機関紙・演説会・座談会などを通じて、[[東亜協同体論]]の啓蒙・宣伝につとめた。{{Sfn|公安調査庁|1965}} | ||
1940年1月6日に組織・活動の拡大を志向する尾崎と川崎が[[岡本清一]]らとともに[[日本建設協会]]を設立し、研究所が分裂した後も、緋田は同研究所で機関紙の発行、講演会の開催などの運動を続けた{{Sfn|公安調査庁|1965}}。 | 1940年1月6日に組織・活動の拡大を志向する尾崎と川崎が[[岡本清一]]らとともに[[日本建設協会]]を設立し、研究所が分裂した後も、緋田は同研究所で機関紙の発行、講演会の開催などの運動を続けた{{Sfn|公安調査庁|1965}}。 | ||
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*1931 松本伝蔵・――「柔道観戦記」警察協会『警察協会雑誌』no.375、1931年11月、pp.47-66、{{NDLJP|1474398/29}}{{閉}} | *1931 松本伝蔵・――「柔道観戦記」警察協会『警察協会雑誌』no.375、1931年11月、pp.47-66、{{NDLJP|1474398/29}}{{閉}} | ||
*1932 ――『特高必携 - 社会運動現勢要覧 1932年版』新光閣、{{NDLJP|1438702}} | *1932 ――『特高必携 - 社会運動現勢要覧 1932年版』新光閣、{{NDLJP|1438702}} | ||
− | *1932 倉橋惣三・――『農繁託児所の経営 3版』フレーベル館、{{NDLJP|1099133}}{{閉}} | + | *{{Aya|倉橋|緋田|year=1932|mask2=―}} 倉橋惣三・――『農繁託児所の経営 3版』フレーベル館、{{NDLJP|1099133}}{{閉}} |
*1932 ――「農繁期託児所開設指針」中央社会事業協会社会事業研究所『社会事業』vol.16 no.3、1932年6月、pp.72-79、{{NDLJP|10341190/42}}{{閉}} | *1932 ――「農繁期託児所開設指針」中央社会事業協会社会事業研究所『社会事業』vol.16 no.3、1932年6月、pp.72-79、{{NDLJP|10341190/42}}{{閉}} | ||
*1933 ――『特高必携 - 昭和8年(訂補11版)』新光閣、{{NDLJP|1466192}} | *1933 ――『特高必携 - 昭和8年(訂補11版)』新光閣、{{NDLJP|1466192}} | ||
− | *1933 ――「共産主義ロシアに於ける私有権」警察協会『警察協会雑誌』no.399、1933年10月、pp.25-28、{{NDLJP|1474422/17}}{{閉}} | + | *{{Aya|緋田|year=1933|mask=―}} ――「共産主義ロシアに於ける私有権」警察協会『警察協会雑誌』no.399、1933年10月、pp.25-28、{{NDLJP|1474422/17}}{{閉}} |
*1933 ――「共産主義ロシアに於ける私有権(2)」警察協会『警察協会雑誌』no.401、1933年12月、pp.28-34、{{NDLJP|1474424/19}}{{閉}} | *1933 ――「共産主義ロシアに於ける私有権(2)」警察協会『警察協会雑誌』no.401、1933年12月、pp.28-34、{{NDLJP|1474424/19}}{{閉}} | ||
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*1940 ――『新体制の本義と実践』新光閣、{{NDLJP|1440109}} | *1940 ――『新体制の本義と実践』新光閣、{{NDLJP|1440109}} | ||
*1940 ――「共同体精神の実践」中村徳夫(編)『協同主義前進の為に』〈中央産業組合新聞叢書 3〉中村徳夫、1940年、pp.65-、{{NDLJP|1092100/36}}{{閉}} | *1940 ――「共同体精神の実践」中村徳夫(編)『協同主義前進の為に』〈中央産業組合新聞叢書 3〉中村徳夫、1940年、pp.65-、{{NDLJP|1092100/36}}{{閉}} | ||
− | *1940 ――(述)「物はあるか・あるけれど - 緋田工氏との一問一答録」修養団『向上』vol.34 no.5、1940年5月、pp.68-79、{{NDLJP|1538916/40}}{{閉}} | + | *{{Aya|緋田|year=1940|mask=―}} ――(述)「物はあるか・あるけれど - 緋田工氏との一問一答録」修養団『向上』vol.34 no.5、1940年5月、pp.68-79、{{NDLJP|1538916/40}}{{閉}} |
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*1941 ――『国民建設の理念と実践』日本国体研究所、{{NDLJP|1273622}} | *1941 ――『国民建設の理念と実践』日本国体研究所、{{NDLJP|1273622}} | ||
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*1943 ――『大東亜建設と国民建設』成武堂、{{NDLJP|1267288}} | *1943 ――『大東亜建設と国民建設』成武堂、{{NDLJP|1267288}} | ||
*1944 ――「必勝への自箴」第一公論社『公論』9月号、1944年9月、pp.13-18、{{NDLJP|1539369/8}}{{閉}} | *1944 ――「必勝への自箴」第一公論社『公論』9月号、1944年9月、pp.13-18、{{NDLJP|1539369/8}}{{閉}} | ||
− | *1953 ――「企業開眼の国民運動」日本能率協会『マネジメント』vol.12 no.3、1953年3月、pp.16-18、{{NDLJP|2220049/15}}{{閉}} | + | *{{Aya|緋田|year=1953|mask=―}} ――「企業開眼の国民運動」日本能率協会『マネジメント』vol.12 no.3、1953年3月、pp.16-18、{{NDLJP|2220049/15}}{{閉}} |
*1953 ――「随筆 私の経営哲学」日本能率協会『マネジメント』vol.12 no.4、1953年4月、pp.18-19、{{NDLJP|2220053/16}}{{閉}} | *1953 ――「随筆 私の経営哲学」日本能率協会『マネジメント』vol.12 no.4、1953年4月、pp.18-19、{{NDLJP|2220053/16}}{{閉}} | ||
*1954 ――「労組の経営参加をどうみる」日本能率協会『マネジメント』vol.13 no.7、1954年7月、pp.28-29、{{NDLJP|2220067/16}}{{閉}} | *1954 ――「労組の経営参加をどうみる」日本能率協会『マネジメント』vol.13 no.7、1954年7月、pp.28-29、{{NDLJP|2220067/16}}{{閉}} | ||
− | *1956 ――「好況の原因とその動向」名古屋商工会議所『名古屋商工会議所月報』no. | + | *{{Aya|緋田|year=1956|mask=―}} ――「好況の原因とその動向」名古屋商工会議所『名古屋商工会議所月報』no.160、1956年6月、pp.20-23、{{NDLJP|2786844/13}}{{閉}} |
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*{{Aya|倉橋|year=1926}} [[倉橋惣三]]「序」緋田工『託児所の経営と其教育の基調』社会教育研究所、pp.1-2、{{NDLJP|939364/4}} | *{{Aya|倉橋|year=1926}} [[倉橋惣三]]「序」緋田工『託児所の経営と其教育の基調』社会教育研究所、pp.1-2、{{NDLJP|939364/4}} | ||
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2021年12月8日 (水) 10:53時点における最新版
緋田 工(あけだ たくみ)は、昭和時代戦前の行政コンサルタント。はじめ社会教育研究所に所属し、岡山県の社会課に勤務して農繁託児所の啓蒙・普及に努めた。その後内務省警保局嘱託となり、1932年に『特高必携』を執筆・刊行。その後企画院嘱託となり、1938年11月に左翼転向者の尾崎陞・川崎堅雄らと日本国体研究所を創立して東亜協同体論の啓蒙・宣伝に努め、1940年1月に尾崎・川崎らが日本建設協会を設立した後も同研究所で機関誌刊行・講演会開催などの活動を続けた。のち軍需省嘱託。戦後は、1953年頃、愛知県下で木曽川総合開発に参画、1956年頃、丸万証券顧問。
経歴[編集]
その後、岡山県の社会課に勤務。3ヶ年間勤務し、農繁託児所の主唱と普及に努めた。[2][3]
1938年(昭和13)11月に、左翼からの転向者・尾崎陞、川崎堅雄らとともに日本国体研究所を創立。機関紙・演説会・座談会などを通じて、東亜協同体論の啓蒙・宣伝につとめた。[6]
1940年1月6日に組織・活動の拡大を志向する尾崎と川崎が岡本清一らとともに日本建設協会を設立し、研究所が分裂した後も、緋田は同研究所で機関紙の発行、講演会の開催などの運動を続けた[6]。
1953年頃、愛知県下で愛知用水(木曽川総合開発)実現のために働いていた[1]。
著書[編集]
- 1926 緋田工『託児所の経営と其教育の基調』社会教育研究所、NDLJP 939364
- 1929 松本伝蔵・――「柔道観戦記」警察協会『警察協会雑誌』no.352、1929年12月、pp.52-67、NDLJP 1474375/32
- 1930 松本伝蔵・吉江兼澄・――「柔道観戦記」警察協会『警察協会雑誌』no.363、1930年11月、pp.59-75、NDLJP 1790093/35
- 1931 松本伝蔵・――「柔道観戦記」警察協会『警察協会雑誌』no.375、1931年11月、pp.47-66、NDLJP 1474398/29
- 1932 ――『特高必携 - 社会運動現勢要覧 1932年版』新光閣、NDLJP 1438702
- 倉橋 ― (1932) 倉橋惣三・――『農繁託児所の経営 3版』フレーベル館、NDLJP 1099133
- 1932 ――「農繁期託児所開設指針」中央社会事業協会社会事業研究所『社会事業』vol.16 no.3、1932年6月、pp.72-79、NDLJP 10341190/42
- 1933 ――『特高必携 - 昭和8年(訂補11版)』新光閣、NDLJP 1466192
- ― (1933) ――「共産主義ロシアに於ける私有権」警察協会『警察協会雑誌』no.399、1933年10月、pp.25-28、NDLJP 1474422/17
- 1933 ――「共産主義ロシアに於ける私有権(2)」警察協会『警察協会雑誌』no.401、1933年12月、pp.28-34、NDLJP 1474424/19
- 1934 ――『日本精神新講』新光閣、NDLJP 1908041
- 1934 ――『警察精神の新研究 - 官吏道の再検討』松華堂書店、NDLJP 1442589
- 1934 ――『日本精神と社会運動』青年教育普及会、NDLJP 1443786
- 1935 ――(述)『日本精神の現代的效用』〈思想研究資料 131〉海軍省教育局、NDLJP 3465049
- 1935 ――『新官吏道の提唱』〈新光パムフレツト 1〉新光閣、NDLJP 1099319
- 1935 ――(述)『国家指導原理としての日本精神』日本国体研究所、NDLJP 1080528
- 1935 ――「警察精神作興の基調」警察協会『警察協会雑誌』no.421、1935年7月、pp.14-19、NDLJP 1474444/12
- 1935 ――「日本精神主義の主張 - 特別寄稿」ワット社『ワット』vol.8 no.12、1935年12月、pp.25-31、NDLJP 1497673/14
- 1936 ――『社会常識教本』松華堂、NDLJP 1185813
- 1937 ――『革新問題を巡る軍部と国民 - 社会革新のために軍部と大衆は何を為すべきか』統一書房、NDLJP 1455707
- 1937 ――『戦時体制時局常識読本』松華堂、NDLJP 1462788
- 1938 ――『経済警察読本』松華堂、NDLJP 1277650
- 1938 ――『国民大衆から見た支那事変と国内革新 再版』松華堂書店、NDLJP 1271352
- 1940 ――『新体制の本義と実践』新光閣、NDLJP 1440109
- 1940 ――「共同体精神の実践」中村徳夫(編)『協同主義前進の為に』〈中央産業組合新聞叢書 3〉中村徳夫、1940年、pp.65-、NDLJP 1092100/36
- ― (1940) ――(述)「物はあるか・あるけれど - 緋田工氏との一問一答録」修養団『向上』vol.34 no.5、1940年5月、pp.68-79、NDLJP 1538916/40
- 1941 ――『新体制と商人』日本国体研究所、NDLJP 1701913
- 1941 ――『国民建設の理念と実践』日本国体研究所、NDLJP 1273622
- 1941 ――「転換期の人々に告ぐ」第一公論社『公論』vol.4 no.12、1941年12月、pp.10-24、NDLJP 1539346/9
- 1942 ――『翼賛壮年団の使命 増補3版』日本国体研究所、NDLJP 1446737
- 1942 ――「大東亜建設戦の理念と方略」第一公論社『公論』vol.5 no.1、1942年1月、pp.17-30、NDLJP 1539347/16
- 1943 ――『大東亜建設と国民建設』成武堂、NDLJP 1267288
- 1944 ――「必勝への自箴」第一公論社『公論』9月号、1944年9月、pp.13-18、NDLJP 1539369/8
- ― (1953) ――「企業開眼の国民運動」日本能率協会『マネジメント』vol.12 no.3、1953年3月、pp.16-18、NDLJP 2220049/15
- 1953 ――「随筆 私の経営哲学」日本能率協会『マネジメント』vol.12 no.4、1953年4月、pp.18-19、NDLJP 2220053/16
- 1954 ――「労組の経営参加をどうみる」日本能率協会『マネジメント』vol.13 no.7、1954年7月、pp.28-29、NDLJP 2220067/16
- ― (1956) ――「好況の原因とその動向」名古屋商工会議所『名古屋商工会議所月報』no.160、1956年6月、pp.20-23、NDLJP 2786844/13
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 緋田の著書については#著書を参照。
- 倉橋 (1926) 倉橋惣三「序」緋田工『託児所の経営と其教育の基調』社会教育研究所、pp.1-2、NDLJP 939364/4
- 公安調査庁 (1965) 公安調査庁『戦前における右翼団体の状況 下巻 その1』pp.288-290、NDLJP 3032347/155