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鈴木 拓(すずき たく、1975年12月7日 - )は、日本お笑いタレントであり、お笑いコンビドランクドラゴンツッコミ(たまにボケ)担当。相方は塚地武雅

神奈川県綾瀬市出身。プロダクション人力舎所属。神奈川県立綾瀬西高等学校卒業。身長167cm、体重60kg、血液型はO型。

来歴[編集]

1975年、神奈川県綾瀬市に生まれる。実家は海老名市居酒屋「黒兵衛」を経営している。いとこの娘(いとこ姪)にモデルの三浦葵三浦萌姉妹がいる。2009年9月2日放送分『はねるのトびら』の企画「FNS緊急合同企画 はねトび総選挙!!」で三浦萌が鈴木の親族として応援に駆けつけた。また、2010年5月27日放送分『ダウンタウンDX』に三浦葵が出演した際に鈴木が「いとこおじ」と紹介された。三浦葵によると、鈴木が説明を面倒臭がって「いとこ」と誤って紹介するときがあるという。

高校卒業後に警察官教習所教官などの試験などを受けるが就職することができなかった。コネの関係で消防士の試験に99%受かるはずが、三段跳が全くできないなど成績があまりに酷く合格できなかったと語ったこともある。

書店で立ち読みした本に「簡単になれる職業(最高が星五つのランク付けで星一つ)」としてお笑い芸人が挙げられていたことから芸人を志す[1]。また、クイズ番組パネラーに憧れて芸能界入りしたとも言われるが、実際にクイズ番組に出演した際の成績は芳しいものではない。2005年9月に放送された『島田検定!! 国民的潜在能力テスト』では全出演者中最多のダメPQを6回獲得、2006年6月に出演した『クイズ!ヘキサゴンII』の予選ペーパーテストで1点という結果を出し、これが同番組における男性の最低記録である。2006年12月27日放送の同番組の「最強バカ大集結SP」では、それまで予選ペーパーテストで出演7回すべて最下位だった里田まいより順位が下だったが、チーム1抜けを果たし、かつサドンデスにも勝利し、逆転優勝した。

スクールJCA5期生として入所。当初は男性3人、女性1人からなるカルテット「4人組」を組んでいたが、メンバーの男性の1人と女性が男女の関係となり、残った1人の男性ともそりが合わなかったことからカルテットを解消した。その後、鈴木の消極的な性格を、「お笑いを目指しているのに執拗に前に出ない、センスがある」と勘違いして誘ってきた塚地と1996年にコンビを結成した。

2013年健康診断により血液型がA型ではなくO型だったことが分かった。

芸風[編集]

ツッコミ担当だが天然ボケの部分があり、いじられキャラである。トーク番組や一部のコントでは立場が逆転し、塚地がツッコミに回っている。トーク番組では、彼のボケが話題の中心になることも多い。『エンタの神様』出演時には、鈴木が本気で間違え塚地にツッコまれるという場面もしばしばあった。『爆笑オンエアバトル』でのコント中、塚地の「Is this a dog? No. This is radio.(これはですか?いいえ、これはラジオです)」というボケに対し、「間違えようがないだろ!とラジオ」と突っ込んだことがある。

何かあるとその人の名前を叫ぶ「ラジオツッコミ」が得意。名前の由来は、何かやった人の名前を呼ぶので音声だけのラジオでもわかりやすいことから。

塚地がレギュラー出演するドラマでゲスト出演することが多い。

後述するが、天然・バカキャラがついておりバナナマンの設楽曰く「その感じを出させたら日本一おもしろい」という。ただし本人は「出そうと思っても出ない」と述べている。

人物[編集]

眼鏡以外に骨が突き出ている顔や色白であることなどを特徴としているが、夏場に釣りのし過ぎで日焼けしたり、宣材写真を撮る時にも眼鏡を掛けてこなかったりと、特にこだわっていない。テレビ朝日のバラエティ番組『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』の企画「メガネ芸人」出演時には「眼鏡をかけていると不便なことがあるので、どうにかしたい」と共演者に相談している(なお、この企画はメガネについて賛美するという趣旨であった)。事務所に所属したばかりの頃は眼鏡をかけておらず、偉い人に「(眼鏡をかけると)爆弾を作っていそうな顔だから」と言われて、かけるようになった。2009年8月5日放送回『はねるのトびら』で埼玉県秩父郡長瀞町に出向いた際、カヤックで転倒し荒川の中に眼鏡を落としている。また2010年2月3日放送回の企画「そり人間コンテスト」でも頭から雪を被って眼鏡を紛失しているなど、同番組では村おこし企画で眼鏡を紛失することが多い。

タモリに「昭和30年代の村役場にいた」「弥生土器」といわれることがある。ロンドンブーツ1号2号田村淳に「一般人に溶け込んでるね」と言われるほどオーラがない。加賀まりこと共演した時はADに間違えられた。ロケ撮影などで街を歩くと道行く人は塚地の存在しか知らないことも多い。

鈴木は2002年に『はねるのトびら』で彼女に強制的にプロポーズさせられたことに始まり、両親が経営する居酒屋など私生活ネタが番組で紹介されることが非常に多かった。しかし本人は嫌がっており、2003年の挙式や2004年に長男が産まれたことは番組スタッフはおろか塚地やマネージャーにも話していなかった。

SMAP木村拓哉は、鈴木の友達とされている。出演したラジオ番組で鈴木は大親友だと発言していた。木村が主演した2006年7月3日放送分『HERO 特別編』に、鈴木は死体を発見する警官役で出演した。

中学、高校でさかなクンと同窓生である。鈴木によると当時からさかなクンは授業中に魚の本を読んでいたとの事。

2006年9月14日に終了した『どっちの料理ショー』では、初登場から未勝利で4連敗(過去に、堀内孝雄ほんこんも記録)という「史上最悪の記録」を作っている。

2007年の4月から開始された『はねるのトびら』のコーナー「短縮鉄道の夜」で役柄を得たものの、前半部分ではほとんど喋らない。他のメンバーと比べてあまりにミスが多い不甲斐なさから、エキストラに降格させられたこともある。ディレクターにも「お前が喋るとつまらなくなるから喋るな」などと言われたという。同番組では同様に出番が少ない山本博と仲が良い。ブログを始めたきっかけも山本である。歌が上手いため、山本や同様に仲が良い田中卓志アンガールズ)と3人で音楽ユニット悲愴感を結成し、2008年8月27日に歌手デビューする。なお、『ますだおかだのオールナイトニッポン』でもCDデビューの話が持ち上がったが、こちらはCDデビュー前に頓挫した。

2009年9月9日放送分の山本とどちらが不人気かを争う企画「はねトび不人気総選挙」では、47都道府県全てストレート負けを喫し、「はねトびで一番人気のない芸人」という不名誉な称号を手にすることになった。

「打ち合わせ中に伸びをして非常ベルを押してしまう」「暗いスタジオで立ち位置にスポットライトを当てると塚地しかおらず、立ち位置を案内したADの後ろにまだついて行っていた」「マクドナルドで店で食べるか持ち帰りかを聞かれ『どっちでもいいです』と言った」「弁当を買いに行って、財布と弁当を忘れて帰ってきた」「ざるそばをふーふーと冷ましてから食べる。周りから注意されてもそうしないと食べられない」「2002年頃には家の近所でキレイな鳥を見つけて追いかけているうちに、道路の段差に足を取られて腰の骨を骨折したことがある」などのエピソードがある。

上記の通り、天然ボケであるが相方の塚地によれば「ウド鈴木のように天然ボケのお笑い芸人にはピュアで性格が良い人が多いのとは対照的に、鈴木は性格が悪い」という。例えば、番組で共演したウド鈴木がミスをしてしまった際に露骨に揚げ足を取る、先輩のおぎやはぎに敬語で話さない(所属している人力舎はさほど、上下関係は厳しくないことも幸いしている)、アンタッチャブルがパーソナリティを務めるラジオ番組に遅刻した際に、分かりやすい嘘をつくなどである[2]

趣味は釣りで、相方の塚地がピンの仕事をしている際はスケジュールが空くため釣りをして過ごしている。

塚地に比較するとピンでの仕事が少ないため子供には「お父さん、たまにはどっか行かないの?」と心配されたことがある。そのため、家から出て公園でにエサをやったりして時間を潰して帰るという。『アメトーーク!』では品川祐品川庄司)に「リストラされたサラリーマンと一緒!」と言われたことがある。塚地が『はねトび』の収録時に骨折、全治2、3か月の重傷を負って入院している時に鈴木がお見舞いに来て、「塚っちゃんの分まで仕事頑張るよ」と珍しくやる気を見せ、その姿に塚地は思わず感動してしまったが、入院している間塚地が鈴木をテレビで見かけたことは無かった。実際塚地が入院中の給料は塚地がいる時の4割程度だった。

本人の語るところによれば幼少期から胃が弱く、空腹の状態を避けるように医師に注意されている。そのため、ポケットに細く丸めたロールパンを常備しており、収録の最中にも隙を見つけては食べているという。

自分の愛車の車内を禁煙としているにも関わらず塚地に車を貸した際、煙草を吸われ、妻に臭いについて詰問され、「いや、塚っちゃんに貸したら…」と吐露した[3]。すると、その瞬間に妻の怒りが収まった。妻曰く「ウチの車って言っても、実質塚地さんに買ってもらったようなものだから」とのこと。

以前まではピンでの活動のギャラも折半していた。しかし2011年に入ってからは、ギャラの折半はなく歩合制にされている。鈴木がピンの番組出演の際に「お金がなくて大変なんだよ」と言うシーンがよく見られる。

趣味で「グレイシー柔術」を習っており、芸人の間では有段者と言われている。

テレビ番組でニコラス・ペタスの道場で門下生と対戦して、体格に勝る相手2人から関節技で勝利する。言葉を失う程動揺したペタスは3人目でエース級を投入し、鈴木は敗北したが、これがその日三戦目で無ければ勝てたかも知れないほどの実力を見せた。

相方が出ているドラマにたまにバーターとして出演するが、一度出演したら大抵二度と呼ばれないという。あるドラマに出演したとき、あまりの下手さに監督にキレられて撮影用カメラの横で正座させられ他の出演者の演技を勉強のために見るよう言われたという。その時共演していた市原悦子がその様子を見て「どうしてあの人はカメラの横で正座して見ているの?」と他の人に尋ねていたという(小杉曰く、「ドラマ界初の珍事」)。

アンガールズの田中によると、『潜在異色』に出演して以来芸人観が変わったらしく、事務所のライブでピンのネタを作るなど、お笑いに積極的になってきている。本人は雑誌のインタビューで「13年目にして、胸を張って『芸人です』と言えるようになった」と答えている。

以前はTwitterを利用していたが、2012年10月7日放送のrun for money 逃走中出演時の行動が一部のユーザーから反感を買い、「地獄のような苦情の嵐」が殺到し、炎上するという騒ぎになった。10月12日、「諸事情によりTwitterをやめたいと思います」としてアカウントは削除された(2013年3月14日の『ラジオビバリー昼ズ』での鈴木の発言によると、人力舎へクレームが殺到し業務に支障が出たためであったという)。この一件後に参加した『逃走中アルティメット』でもこのことを他の逃走者にいじられており「もう自首しない」と漏らしていたが、前回と変わらず、2度目の自首を目論むも自首まであと少しのところで確保された。そして2013年2月28日、「ある番組の応援」によりTwitterを再開。その様子は同年3月29日に「日本その気にさせますの会」(=ある番組)の中で放映された。その後、2013年6月30日放送のbattle for money 戦闘中や、2013年10月13日放送の『アバケン』においての行動でもTwitterが炎上する事態となったが、その際にはファンからの応援コメントも多数届いているほか、番組放送前・放送中に炎上をほのめかすツイートを行ったり、自分宛に寄せられた批判を自ら拡散するといった行動をするなどあえて炎上を起こしているとみられる言動をしている。本人もテレビ番組などで「むしろ番組の宣伝になる。」とコメントしたり、共演者からも「炎上商法を楽しんでいる」と苦言を呈されている。

過去に出演した番組・作品[編集]

コンビとしての出演番組はドランクドラゴンを参照。

テレビ番組[編集]

スッキリ。PON(2014年7月18日。日本テレビ)

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

CM[編集]

参考文献・出典[編集]

  1. 2007年9月1日放送回『さんまのまんま』出演時のトークより
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  3. 相方の塚地はヘビースモーカーである。

外部リンク[編集]