阪神ファン

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阪神ファン
阪神ファン

阪神ファン(はんしんファン)は、日本プロ野球の球団・阪神タイガースを支持・応援するファンのことである。タイガースファンとも言う。

概要[編集]

阪神ファンは、応援の対象である阪神タイガースが兵庫県にある阪神甲子園球場を本拠地にしていることもあり、近畿地方を中心に全国に存在している。近畿地方には大阪府を保護地域とするオリックス・バファローズがあるが、それを圧倒的に上回る人気を得ている。その総数は多く、日本の野球12球団の中でも読売ジャイアンツのファンである巨人ファンと一、二を争う。実際、球場への動員は2005年(平成17年)以降日本一であり、毎年300万人前後をコンスタントに動員している。阪神ファンの特徴として熱狂的な応援がある。また、巨人や中日とは異なり、親会社から発行されるスポーツ新聞による縛り付けが出来ないため、ファンになるのが容易なのも大きな特徴である。

呼称[編集]

阪神ファン・タイガースファン
最も一般的とされる。タイガースという球団名は日本のプロ野球以外にも存在する(デトロイト・タイガースなど)が、日本でタイガースファンと言えば通常は阪神タイガースのファンのことをさす。
トラキチ
トラ(タイガース)のきちがいという意味の略語であり、特に熱狂的な阪神ファンの呼称(あるいは自称)として用いられる。蔑称的な意味はない。1985年(昭和60年)の流行語大賞(銀賞)にもなった。
虎党
スポーツ新聞などの活字では、虎党と記載されることもある。

阪神ファンの総数と分布[編集]

2004年(平成16年)と2005年(平成17年)に、関西大学関西国際大学により全国のプロ野球ファンにアンケート調査が実施された。いずれの調査報告でも、阪神タイガースを最も好む球団に選ぶプロ野球ファンが最大で3割と一番多く、読売ジャイアンツがそれに続く結果となった。

さらに2005年(平成17年)、阪神タイガースが優勝した直後に大阪府立大学教授の宮本勝浩らがネット調査会社のデータなどを元におこなった調査によれば、日本全土で2,053万人の阪神ファンが存在し、巨人ファンを抜いて両リーグ最多であると推計している。

さらに2005年(平成17年)以降毎年実施されている「スポーツマーケティング基礎調査」によると、阪神ファンと巨人ファンの総数が、プロ野球ファンの人数において毎年1、2位を争っており、共に1,000万人前後だと推計されている。

阪神ファンの存在する地域としては、阪神甲子園球場のある兵庫県や近隣の大阪府を中心とした関西2府4県(と三重県)に多く、圧倒的な割合である。関西以外の地域でも札幌、名古屋、岡山などの大都市圏にはファンが多く存在しており(実際、名古屋と岡山にはオフィシャルショップがある。)、中国、四国、東海、関東、九州や沖縄などと日本全土に幅広く存在し、全国区といえる。阪神タイガースは、読売ジャイアンツと並んで第二次世界大戦以前より存在するため、古くからのファンも多い。そのためファン層は幅広い年代で存在し、年代による大きな偏りは特に確認されない。

阪神ファンの動員力[編集]

ホーム(阪神甲子園球場・京セラドーム大阪等)[編集]

1985年(昭和60年)の日本一になるまでの時期や、チームが低迷していた時期(1990年代)は巨人戦以外では空席も目立った甲子園球場であったが、星野監督時代の2003年(平成15年)に18年ぶりの優勝をして以降、レフトスタンドの外野ビジター応援席以外は全て阪神ファンという光景が日常茶飯事になっており、その地鳴りのする応援は他に例を見ない迫力を作り出す。そのため、プロ野球中継の際には高確率で「甲子園は360度全て阪神ファン」のような球場の様子を見聞きすることができる。

2011年(平成23年)までは応援団とごく少数のビジターファンを除けば、ビジター応援席ですら阪神ファンばかりということもしばしばあった。これはビジター応援席でのホームチーム応援が東京ドームなどでは固く禁止されているのとは対照的に、甲子園球場においてはビジター応援席での阪神の応援は2011年(平成23年)までは特に禁止されていなかったからである。2012年(平成24年)からは阪神主催試合において、ビジター席における阪神を含む当日の対戦チーム以外の応援は禁止となった。なおビジター応援席は相手球団によってエリアの大きさが異なる。詳細はビジター応援席#阪神タイガース(阪神甲子園球場・京セラドーム大阪ほか)を参照。

ビジター[編集]

上記同様、2003年(平成15年)以降はビジターでの試合でも、ビジター応援席は阪神ファンで満員になり、ビジターチームの応援席がホームチームの応援席より埋まっている試合も多い。ビジター側の内野席の大半まで、阪神ファンが陣取ることも珍しくない。したがって、週末や祝日のゲームもしくは大一番のゲームでは阪神側の席(特に外野席)のチケットを入手することは容易ではなく、この場合チケットを入手できても自由席の場合は席の確保にも困難を伴う有様である。

球場の周辺では試合前日の夜から自由席の席取りのため阪神ファンが長蛇の列を作ることもよくある。そのため、阪神を迎えての試合になると、チケット料金設定を変更したり、全席指定にしたり、ビジター応援席を拡大したりといった対策をする球団も多い。例えば東京ドームの巨人戦では学割チケットが導入されたが、阪神戦は対象外である。

阪神ファンの特徴[編集]

阪神ファンは阪神タイガースに対し強い一体感を持っている。前述のアンケート調査からも、阪神ファンは球団に対する愛着やファン同士の連帯感が強いことが示される。

巨人の元エースで阪神のコーチも務めた西本聖は、「巨人ファンにとって巨人は趣味の一つ。阪神ファンにとって阪神は生活の一部」と評し、経済評論家の國定浩一「阪神ファンにとって球場での応援は「観戦」ではなく「参戦」である。」と分析している。

さらに阪神ファンは、熱狂的で、感情的で、陽気で、お祭り好きというイメージが自他共にある。野球にそこまで関心がないか、あるいは球団やファン集団への愛着が元々薄い比較的ミーハーと言えるプロ野球ファンは、巨人を支持する人がもっとも多いが、熱狂的なファン層では阪神を支持するファンがもっとも多いことが判明している。

テレビ観戦では他の球団のファンでは血圧低下が見られたのに、阪神ファンではテレビ観戦でも血圧が上昇するというという報告があり、医学的にも上記のような阪神ファンの性質が伺える。またこの報告では、観戦後には心拍数が低下し、唾液中のストレス物質の低下する傾向が阪神ファンにはあり、観戦によって心理的ストレスの軽減が図られている様子も伺える。

この阪神ファンの情熱は、リハビリなどの治療に効果的に使われることもある。例えば、長期療養や半身麻痺の阪神ファンが、試合観戦や、後述する「道頓堀ダイブ」を目標にリハビリに取組み、高い意欲を引き出すといった事例がある。そして阪神ファンはホームゲームのとき甲子園以外〔地方球場〕でも基本ライトスタンドも立たずに座って応援するというスタイルもある。ビジターの時はほかのチームと同様レフトもしくはライトスタンドでも立って応援する。

阪神ファンの応援スタイル[編集]

阪神ファンの甲子園球場での応援は他球団の応援よりも熱狂的である。例えば、上原浩治は2006年(平成18年)に行われたWBCの際、韓国側の熱狂的な応援について質問されると「甲子園の応援の方が揺れてすごい」と答え、また翌2007年(平成19年)北京オリンピックアジア最終予選後チャイニーズ・タイペイ戦での完全アウェーの応援について聞かれても「甲子園の阪神巨人戦が世界一」と語っている。

応援スタイル[編集]

ファンの応援スタイルは、攻撃時にヒッティングマーチを歌いながらメガホン(応援バット、カンフーバット)を叩くというオーソドックスなものが浸透している。

服装
応援時の服装は様々であるが、レプリカユニフォームや法被をはじめ、黄・黒・白・グレーとピンク(女性用レプリカユニフォーム)のいずれかを使ったものが主である。他にも、21世紀に入った頃からはオリジナルの服やレプリカユニフォームに刺繍を縫いこんだものを着用する者、プロレスラータイガーマスクの仮面を被っている者や、作業用のニッカーボッカーズに派手な刺繍を施したものを着用するファンもいる。
六甲颪
阪神タイガースの歌」の通称。阪神ファンはタイガースの試合前、阪神の選手がタイムリーや本塁打を放ったとき、勝利確定後などにこの歌を合唱する。ホームゲームでの勝利の場合はヒーローインタビューの後に恒例としてレコードCDを使った演奏(歌手は過去に立川清登ら、現在は唐渡吉則ら)が行われ、それに合わせてファンが合唱する。
ヒッティングマーチ
レギュラークラスの選手には、1人1曲ずつヒッティングマーチが作られており、打席に立った際に各選手のヒッティングマーチが合唱される。控え選手や活躍目新しい選手など、ヒッティングマーチの作られていない選手の打席の際には、全員共通の「ヒッティングマーチ2番」を、投手には「ヒッティングマーチ1番」を使用している。また、2010年(平成22年)より新外国人選手共通の「新外国人のテーマ」が使用されている。
蛍の光
相手投手がノックアウトされて降板する際、「さよならさよなら○○(降板する投手の名前)」とコールした後、「蛍の光」が合唱され、続いて「六甲おろし」が合唱される。しかし「蛍の光」は相手球団への侮辱行為であるとして批判する声もある。下記#応援スタイルに関する批判参照。かつて関東の球場では、『まんが日本昔ばなし』のエンディングテーマ「にんげんっていいな」の替え歌が合唱されていた。
ジェット風船
7回の攻撃前(ラッキー7)、および阪神タイガースの勝利確定時に、ジェット風船が一斉に打ち上げられる。ラッキー7の際は、ホームではファンファーレの後に、ビジターでは「六甲おろし」(通常のリーグ戦では応援団の演奏に合わせての合唱であるが、交流戦では前述のCD音源が演奏される)を歌った後に打ち上げられる。ジェット風船の色は特に統一されていない。甲子園球場で一斉に上げられたジェット風船の音が、95dBを超えることもある。
あと一人(一球)コール
9回(表・裏とも)、またはビジター(裏のみ)においての延長戦のそれぞれで阪神がリードして決着が付く可能性がある回の守備で2アウトの際には、「あと一人」コールが連呼される。2アウト2ストライクに達すると、コールが「あと一球」に変わる。その後阪神の勝利が確定すると、ホームの阪神甲子園球場やジェット風船を飛ばすことが許可されている球場では、ジェット風船を飛ばす。ノーアウトからのトリプルプレーや、1アウトからのダブルプレーで試合が終わった場合は当然「あと一人・一球」はできない。

チャンステーマ参照

相手チームのスリーアウト時
ホームゲーム・ビジターゲームを問わず、相手チームの打者がスリーアウトチェンジになった時、トランペットを鳴らして「アウト」と叫ぶ。これを俗に「アウトコール」という。
試合終了後
その日の試合に勝利すると、球場の周りに阪神ファンが集まり笛やメガホンを打ち鳴らしながら中虎連合会の時代の応援歌(掛布雅之和田豊ジョージ・アリアス金本知憲ら人気選手が中心)・チャンステーマと現在(中虎連合会が完全に解散した平成17年度以降)の応援歌・チャンステーマを大合唱するという光景が見られるときがある。これをファンは2次会と呼んでいる。ホームゲームでの勝利の時は、試合後内野席・アルプス席にいるファンがジェット風船を飛ばし、その後選手が直々に応援御礼という意味で整列し、選手が挨拶して締めくくる。

なお、基本的に甲子園はライト外野席も立ち応援禁止(人が多いから立たないとも言われている)のため、阪神ファンは甲子園での試合の時は立ち応援はしていない(ビジター席に関しては立ち応援をしても問題ないようだ)。しかし、2011年に東日本大震災の影響で日本製紙クリネックススタジアム宮城(現コボスタ宮城)が使用できなかったため、楽天の主催試合として楽天とオリックスの試合が行われたが、このときはレフト・ライト外野席共に立ち応援禁止のルールは守られていなかった。なお、阪神がビジターの時などは立ち応援をしている客がみられる。

応援団およびファンクラブ[編集]

2010年(平成22年)現在、「阪神タイガース応援団」が阪神タイガースの中で鳴り物応援を行う唯一の応援団である。以前は阪神タイガース応援団の前身の「阪神タイガース私設応援団」の他に「中虎連合会」という団体とレフトスタンドの応援団の守虎連合会で全体の応援を統率していたが、2004年(平成16年)に中虎連合会の幹部がヒッティングマーチに関する著作権法違反容疑で逮捕されたり、2005年(平成17年)には守虎連合会の会長が暴行容疑で逮捕などで、一団体のみという状況になった。2003年(平成15年)からは、球団公式ファンクラブも設立されている。

問題行動[編集]

前述したように、阪神ファンやその応援は熱狂的であるが、それが高じると対戦相手ファンや選手に対する暴行・威嚇行為といった行為に及ぶ者もある。以下のように、対戦相手への誹謗・中傷、プレーの妨害や、グラウンド内への乱入などが、新聞報道にもある。

1980年代以前[編集]

  • 1953年(昭和28年)7月23日の対巨人戦(大阪球場)、死球をめぐって選手が投手にバットを投げるなど荒れた試合であった。その9回裏、阪神が詰寄るシーンで線審が飛球判定を誤審し、ゲームセットとなった。これをめぐって阪神側と審判団が紛糾し、騒然となった雰囲気で観客がグラウンドに乱入した。
  • 1954年(昭和29年)7月25日の対中日ドラゴンズ戦(大阪球場)10回、捕球判定と選手の退場処分をめぐって阪神側と審判団が二度もめ、観客数百人がグラウンドに乱入した。観客は暴徒化し、阪神の選手のバットを持って中日側に押しかけた。後にこの試合は没収試合となり、審判団、阪神共に処分を受けた。藤村富美男松木謙治郎の項目も参照。
  • 1973年(昭和48年)10月22日甲子園での対巨人最終戦。勝った方が優勝という試合で、阪神が0-9と大敗。不甲斐ない試合に激高したファンがグラウンドになだれ込み手当たり次第に巨人の選手らに暴行を働いたり、テレビ局の機材を徹底的に破壊したりする事件が発生。これにより巨人監督川上哲治のグラウンドでの胴上げは中止となり、兵庫県警察機動隊員が出動する騒ぎとなった。(詳細は世紀の落球とV9を参照)
  • 1984年(昭和59年)8月15日の対巨人戦(後楽園)の試合前に、阪神ファン数十人が巨人の外野手レジー・スミスを取り囲み、スミスの息子レジー・ジュニアに対して物を投げつけ、暴行しようとしたことが発端となりスミスが激怒、数名がスミスに暴行を受けた。「被害者」は、直ちに富坂警察署に届け出た。1984年(昭和59年)8月17日付朝日新聞は、「スミスだんまり一手」(15面)、「(スミスは)正当防衛主張」(22面)と同時に2つの観点から書きたて、スミスが書類送検される騒動に発展したが、後に不起訴処分となった。
  • 1985年(昭和60年)5月23日の広島戦(甲子園)で、北別府学投手がバスターで右翼ポール際に本塁打を放った際、判定を不服とした阪神ファンが線審にチェーンを投げつけ負傷させた。なお犯人は現行犯逮捕され、裁判で「阪神に不利な判定に腹が立った」ことが動機なので情状酌量を求めたが、反省の色無しと判断され実刑判決を受けた。
  • 1985年(昭和60年)10月16日の対ヤクルト戦(神宮)で引き分け、阪神がリーグ優勝を決めたのち、大阪市の繁華街ミナミにある戎橋から多数の阪神ファンが道頓堀川に飛び込んだ(詳細は後述)。さらに、一部の阪神ファンが戎橋近くのケンタッキーフライドチキン道頓堀店に設置されていたカーネル・サンダース像をこの年のMVP・ランディ・バースに見立て胴上げし、道頓堀川に投げ込んだ。ちなみに、その後の低迷を「カーネル・サンダースの呪い」などと呼ぶ冗談が一部のファンの間で流行し、ABCテレビ探偵!ナイトスクープ』で取り上げられたことがきっかけとなり、都市伝説の一つとして定着した。なお、そのカーネル・サンダース像は2009年(平成21年)3月10日、道頓堀川の新戎橋より下流約5 m, 水深2 mのヘドロの中より上半身が、翌11日には下半身と右手が発見され、24年を経て救出された。
詳細は カーネル・サンダースの呪い#カーネル・サンダース像発見 を参照

1990年代[編集]

  • 1992年(平成4年)9月11日の対ヤクルトスワローズ戦(甲子園)で、阪神の打者八木裕岡林洋一から放ったレフト方向への大飛球は一度本塁打と判定されたが、「フェンスに当たって中に入った」という当時ヤクルト監督の野村克也の抗議によりエンタイトル二塁打に覆されたことを不服とした阪神ファン数人がグラウンド内に乱入し、逮捕者が出る事態へと発展した。
  • 同年10月10日には最後まで優勝を争ったヤクルトとの直接対決(甲子園)に敗れ、ヤクルトの優勝が決まると、野村監督の胴上げや優勝インタビューの際に阪神ファンから一斉に「帰れコール」が発生し、さらに引き揚げるヤクルトの選手や監督やファンにに対し大量のメガホンなどを投げつけた。
  • 1996年(平成8年)5月14日、浜松球場での対中日戦で3-10と完敗した直後、敗戦に怒った阪神ファンがグラウンドに乱入し、中日監督の星野仙一らが止めようとしたが、ファンの一人がこの試合1安打1打点とで活躍したアロンゾ・パウエルの頭をメガホンで殴打した。
  • 1998年(平成10年)6月16日、草薙球場での対横浜戦、0-1で阪神が負けた後、阪神の敗戦に怒ったファン約20人がグラウンドに乱入。横浜の川端一彰の帽子を奪って逃走するなどして暴れた。

2000年(平成12年)以降[編集]

  • 2003年(平成15年)6月11日岐阜長良川球場の対中日戦において、阪神が7-2で勝利した後に阪神ファンがグラウンドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグラウンドに乱入し乱闘となった。その際に防犯用の唐辛子催涙スプレーと見られるものが噴射され、観客53人が目や喉の痛みで治療を受け、うち31人が病院搬送、7人が入院する事態となった。岐阜北警察署が捜査したが事件は未解決である。この一件に関し山田久志(当時中日監督)、星野仙一(当時阪神監督)、片岡篤史桧山進次郎赤星憲広などが暴挙を非難するコメントを出した(詳細は長良川球場#主なエピソードを参照)。この一件以降、中日は阪神と地方試合の開催を2013年(平成25年)まで行わず。また、この事件を受けて阪神甲子園球場では乱入防止用のネットが設置されるなど対応に追われた。
  • 同年7月29日、それまで16連勝と好調だった対横浜戦で敗戦した際、9回裏藤本敦士の放った3アウト目となるレフトファウルフライに対し、周囲への注意が散漫になりやすいスライディングキャッチをした多村仁めがけて一部の阪神ファンがメガホンを投げつけた。多村は「本当に危ない。怪我するかと思った」とコメントしており、星野も「こんなことやったら甲子園で胴上げはやらん」と激怒した。
  • 2008年(平成20年)5月7日の対巨人戦(東京ドーム)でアレックス・ラミレスのオーバーフェンスかという打球を左翼席最前列にいた阪神ファンが手でブロックし、ボールがフェンス上部に当たりグラウンド内に落下。審判団の協議の結果、妨害が無くてもオーバーフェンスしなかったと判断されツーベースになった。

後にこういった問題行為に対し、甲子園への缶・瓶類持ち込み禁止チェックや立ち見応援の規制呼びかけや、ジェット風船の打ち上げを認めていない球場での禁止徹底といったマナーの向上に、球団側や応援団も努めている。

道頓堀川への飛び込み[編集]

上述のように、21年ぶりのリーグ優勝が決まった1985年(昭和60年)10月16日に多数の熱狂的な阪神ファンが優勝を祝って夜中にもかかわらず戎橋の橋梁から飛び込み、その後も阪神が優勝するたびに同じように戎橋から飛び込む行為が発生している。

阪神が首位を独走していた2003年(平成15年)7月には当時の大阪府知事太田房江が「マジックを順調に減らしている阪神と今回の清掃が無関係とは言わないが、大阪への注目度を上げるためきれいにしたい」と話し「飛び込み奨励ではない」とくぎを刺した上で、ボートの上から網で水面のごみをすくうなど大阪市と合同の河川愛護キャンペーンの一環として道頓堀川を清掃、その発言や清掃の様子が、翌日の一般紙やスポーツ紙に掲載された。

同時期、当時の星野仙一監督も水質汚染などを理由にファンに道頓堀川への飛び込みは止めるよう呼びかけていた。この当時、道頓堀川は川の側面に歩道を設ける工事を実施しており、また川自体も大腸菌やヘドロなど環境上の汚染が深刻であるため、橋梁からの飛び込み行為は絶対止めるようにという注意書きの看板が掲げられていた。

また、リーグ優勝決定時には警察官を出動させるなど、行政や民間でも対策を行った。それでも阪神がリーグ優勝を決めた9月15日から16日にかけて、述べ5,300人を超えるファンが道頓堀川に飛び込んだ。17日には泥酔した人物が欄干上から落下、溺死体で発見されるという事件が起きた。また、パリセーヌ川アルマ橋から川に飛び込んだり、ロンドントラファルガー広場で噴水に飛び込んだ現地在住のファンもいた。

2005年(平成17年)の2年ぶりの阪神のリーグ優勝時には、大阪市と大阪府警察本部が戎橋に高さ3 mの透明強化プラスチック製のフェンスを設け、また2年ぶりのリーグ優勝が確定しそうな日には「とんぼりリバーウォーク」への出入りを禁止にするなどの対策を採った結果、飛び込みを少数にとどめることができた。

2014年(平成26年)10月18日に阪神がシーズン2位からクライマックスシリーズを制して日本シリーズ出場権を得た際には、延べ約60人が飛び込んだ。

外部リンク[編集]