東京箱根間往復大学駅伝競走
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東京箱根間往復大学駅伝競走(とうきょうはこねかんおうふくえきでんきょうそう)は箱根・芦ノ湖間を往路5区間(107.5Km)、復路5区間(109.6Km)の合計10区間(217.1Km)を各大学10名の選手で競う、学生長距離界最長の駅伝競走である。通称「箱根駅伝」
概要[編集]
関東学生陸上競技連盟加盟大学のうち、前年の大会でシード権を獲得した上位10校と、10月開催の予選会を通過した10校、および関東学生連合を加えた合計21チームが出場する。関東学生陸上競技連盟(「関東学連」)が主催し読売新聞社が共催する。 東京都千代田区大手町の読売新聞東京本社ビル前から、箱根芦ノ湖までのコースである。
歴史[編集]
前史[編集]
前史として1917年(大正6年)に日本で初めての駅伝である「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。
第1回大会[編集]
箱根駅伝は1920年(大正9年)が第1回である。マラソンの父として知られる金栗四三らは各大学に働きかけ、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、東京高等師範学校(現筑波大学)の四校が応じ、1920年2月14日午後1時に第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われた。日比谷公園をスタート・ゴールの予定を有楽町報知新聞前(現在のビックカメラ前)に変更して、箱根関所址間往復で開催された。午後1時にスタートし、箱根のゴールへ最終走者の到着は20時53分31秒であった。 翌日は箱根を午前7時にスタートした。東京高等師範が9区で11分00秒あった差を逆転し、栄えある第1回大会を制した。2位は明治大学、3位は早稲田大学、 4位に慶應義塾大学であった。
花の2区[編集]
各校が2区にエース級を繰り出し、歴代の名選手達が2区で競う。
歴代優勝校[編集]
回 | 開催年 | 優勝校 | 総合時間 | 参加校数 | 初参加 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1920年 | 東京高等師範学校 | 15.05.16 | 4校 | 早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、東京高等師範学校 |
2 | 1921年 | 明治大学 | 14.39.01.4/5 | 7校 | 中央大学、東京農業大学、法政大学 |
3 | 1922年 | 早稲田大学 | 14.12.21 | 10校 | 東大農学部実科、日本大学、
日本歯科大学 |
4 | 1923年 | 早稲田大学 | 14.15.49.8 | 9校 | |
5 | 1924年 | 明治大学 | 14.25.09.6 | 9校 | |
6 | 1925年 | 明治大学 | 14.09.54.8 | 10校 | |
7 | 1926年 | 中央大学 | 14.17.31.0 | 7校 | |
8 | 1927年 | 早稲田大学 | 14.25.37.4 | 5校 | |
9 | 1928年 | 明治大学 | 13.54.56 | 10校 | |
10 | 1929年 | 明治大学 | 13.32.50 | 9校 | |
11 | 1930年 | 早稲田大学 | 13.23.29 | 9校 | |
12 | 1931年 | 早稲田大学 | 13.21.15 | 10校 | |
13 | 1932年 | 慶應義塾大学 | 13.17.49 | 9校 | |
14 | 1933年 | 早稲田大学 | 12.47.53 | 11校 | 拓殖大学、東洋大学 |
15 | 1934年 | 早稲田大学 | 12.58.24 | 13校 | 専修大学、立教大学 |
16 | 1935年 | 日本大学 | 12.52.59 | 13校 | |
17 | 1936年 | 日本大学 | 12.54.22 | 14校 | 横浜専門学校(現神奈川大学) |
18 | 1937年 | 日本大学 | 12.33.24 | 14校 | |
19 | 1938年 | 日本大学 | 12.40.13 | 12校 | |
20 | 1939年 | 専修大学 | 13.01.00 | 10校 | |
21 | 1940年 | 日本大学 | 13.12.27 | 10校 | 1941,1942年中止 |
22 | 1943年 | 日本大学 | 13.45.05 | 11校 | 1944,1945,1946年中止 |
23 | 1947年 | 明治大学 | 13.45.05 | 10校 | 神奈川師範学校(現:横浜国立大学) |
24 | 1948年 | 中央大学 | 13.21.10 | 12校 | |
25 | 1949年 | 明治大学 | 13.36.11 | 12校 | 日本体育専門学校(現:日本体育大学) |
26 | 1950年 | 中央大学 | 12.35.36 | 14校 | |
27 | 1951年 | 中央大学 | 12.35.07 | 11校 | |
28 | 1952年 | 早稲田大学 | 12.35.07 | 14校 | 成蹊大学 |
29 | 1953年 | 中央大学 | 12.03.41 | 14校 | |
30 | 1954年 | 早稲田大学 | 12.21.10 | 15校 | 横浜市立大学 |
31 | 1955年 | 中央大学 | 12.08.40 | 15校 | |
32 | 1956年 | 中央大学 | 12.04.49 | 15校 | 東京学芸大学 |
33 | 1957年 | 日本大学 | 12.04.49 | 15校 | 国士舘大学.シード制度導入 |
34 | 1958年 | 日本大学 | 12.02.17 | 15校 | 順天堂大学 |
35 | 1959年 | 中央大学 | 12.01.23 | 16校 | 埼玉大学 |
36 | 1960年 | 中央大学 | 11.59.33 | 15校 | |
37 | 1961年 | 中央大学 | 11.55.40 | 15校 | 防衛大学校 |