京急ストア
京急ストア(けいきゅうストア)は、東京都・神奈川県でスーパーマーケットチェーンを展開する企業である。京浜急行電鉄100%出資の関連会社である。
概要[編集]
京浜デパートの誕生[編集]
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって老舗百貨店である白木屋は東京・日本橋の本店が壊滅し、その復興が震災後の東京市の復興計画の遅れに伴う区割整理未决定の状態が長期化し、本建築での本格的な復興が遅れることになった[1]。 そのため、白木屋は十分な規模での営業を行うことが出来ず、不足分を補うために分店と称する店舗網を展開するようになった[2]。
この分店開設の一環として、京浜電気鉄道(現在の京急線)の品川乗入に伴て出来る高架下に品川分店を開設する計画を立てた[3]。
しかし、日本百貨店協会が支店などの開設を自粛する自制協定を発表したことに伴い、それに抵触するとしてこの構想は実現できなくなった[3]。
そこで、この計画を継承する形で京浜電気鉄道と白木屋の取引問屋が出資して1933年(昭和8年)に資本金10万円で株式会社京浜デパートが設立し、京浜電気鉄道品川駅の地階と地上1階の計約1,000坪の品川店を開設したのが始まりである[3]。
白木屋は先に述べた自制協定があったため出資こそしなかったものの支援は惜しまなかったとされており[3]、その運営方式の多くが白木屋のものを継承する形となっていた[4]。
1934年(昭和9年)9月に蒲田分店、1935年(昭和10年)3月に鶴見分店、同年5月5日に川崎分店を開店するなど母体企業である京浜電気鉄道の沿線での多店化を推し進めた[3]。
ところが、川崎分店の開設の際に旧京浜電気鉄道本社跡という駅前の一等地に進出することは地元商店街にとって死活問題であるとして、地元商店主達が京浜デパート排撃期成同盟会を結成するなどして激しく反対運動を繰り広げたため、川崎分店を1936年(昭和11年)1月末日で閉店し、店舗跡を地場資本の百貨店小美屋に売却して撤退に追い込まれた[3]。
また、京浜デパートは母体企業の京浜電気鉄道沿線のみではなく、菊屋デパートの名称で他の鉄道会社のターミナル駅への出店を行っており[4][5]、池袋駅に木造2階建てで売り場面積2,347㎡の[6]池袋分店を1935年(昭和10年)2月に開設したほか[5]、同年12月に高田馬場分店を開設するなど開業当初から積極的な出店戦略を展開した[5]。
しかし、1940年(昭和15年)3月15日に菊屋デバート池袋分店を武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)へ売却して武蔵野デパートとなり[6]、他の店舗も戦災で焼失するなど第2次世界大戦終了時までに、品川と鶴見の2店舗にまで事業規模が縮小する形となった[5]。 なお、菊屋デバート池袋分店も武蔵野鉄道へ売却後の1945年(昭和20年)春に戦災で全焼し[6]、戦後の1949年4月27日に西武百貨店へ商号を変更して同年末に営業を再開している[4]。
また、1943年(昭和18年)3月には商号を株式会社京浜デパートから株式会社京浜百貨店へ変更している[5]。この商号変更は第2次世界大戦中の外来語規制に伴うものとされている。
第2次世界大戦後の多店化[編集]
第2次世界大戦後の東京急行電鉄の・分割再編に伴って1948年(昭和23年)6月1日に京浜急行電鉄が発足し[7]、翌年1949年(昭和24年)6月に当社株はその再編の一環として同社に引き継がれ、1954年(昭和29年)8月には同社が株式の過半数を取得して子会社化された[5]。
新橋駅高架下に戦後開業した東京デパートを[8]譲受して、1955年(昭和30年)11月3日に[9]第2次世界大戦後初の出店として新橋店を開店し[5]、品川,店や鶴見店と共に駅構内にある恵まれた立地条件を武器に良好な業績を上げた[9]。
そのため、1959年(昭和34年)11月に横須賀店[5]、1961年(昭和36年)6月に鶴見東店[5]、1963年(昭和38年)4月に上大岡店[5]、同年10月には富岡店を開店するなど多店化を進められた[5]。
このうち富岡店は京浜ストアとして開店しており[5]、当社の事業展開をスーパーマーケット事業へシフトする先駆けとなった。
また、1957年(昭和32年)10月に京浜川崎駅構内に食堂と理髮店を開業したほか、1968年(昭和43年)2月に株式会社鉄友会を合併して同月に麴町にレストランと喫茶店を開業するなど小売事業以外の店舗展開も行っている[5]。
1970年(昭和45年)2月に日ノ出町店を出店したのを皮切りに、同年11月に久里浜店、1971年(昭和46年)10月に平和島店、同年11月に大鳥居店、1973年(昭和48年)7月に野比店、同年10月に屏風ヶ浦店、1974年(昭和49年)12月に浦賀店、1975年(昭和50年)7月に三浦海岸店、1978年(昭和53年)5月に葉山店と1970年(昭和45年)以降は多店化を加速させた[5]。
これら1970年代に出店した店舗のうち1978年(昭和53年)5月に開業した葉山店は当社では最初の郊外型スーパーで[5]、京急沿線の駅前以外への出店の先駆けとなった。
1990年に会社名、店舗名とも「京急ストア」に改称した。
1994年(平成6年)6月に品川店を改装した際に当社で初めて生鮮3品の販売を直営に切り替えると共に、専門店を入居させている店舗でも販促企画などを統一するなど生鮮食料品の販売力の強化に乗り出している[10]。 この生鮮食料品の販売直営化にあたっては精肉については完全な直営化ではなく、関連会社の京急フーズが運営する形態で実質的な直営化を図っている[11]。
1997年(平成9年)4月に横須賀中央駅に隣接して「魚屋の新鮮ずし」を開店するなど総菜販売の強化も進めている[12]。
2006年(平成18年)8月1日には京急グループとして一体的に運営することで意思決定のスピードを上げて経営を効率化させることを目的に、株式交換方式によって京浜急行電鉄が全株式を取得して完全子会社されることになった[13]。
2012年(平成24年)4月18日にユニオネックスを2013年(平成25年)4月に吸収合併することが決定された[14][15]。
なお、京急上大岡駅ビルに1996年(平成8年)10月1日に開業した京急百貨店は[16]、当社ではなく1989年(平成元年)12月設立の株式会社京急百貨店が運営している[17]。
沿革[編集]
年表[編集]
- 1933年(昭和8年)
- 6月 - 株式会社 京浜デパートを設立。(資本金10万円[3])
- 7月 - 1号店の品川店を開店。
- 1942年(昭和17年) - 東京急行電鉄の関連会社になる。
- 1943年(昭和18年)3月 - 株式会社 京浜百貨店に社名変更[5]。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 京浜急行電鉄が発足[7]。
- 1949年(昭和24年)6月 - 京浜急行電鉄が当社株を引き継ぎ、同社の関連会社となる[5]。
- 1954年(昭和29年)8月 - 京浜急行電鉄が株式の過半数を取得して同社の子会社化となる[5]。
- 1955年(昭和30年)11月3日 - 新橋店を開店[9]。(戦後初出店[5])
- 1987年(昭和62年)8月 - 株式会社 八社会を設立。
- 1990年(平成2年)10月 - 株式会社 京急ストアに社名変更。
- 1991年(平成3年) - 生鮮部門の直営化を青果・惣菜・鮮魚・精肉の順に着手[18]。
- 1994年(平成6年)11月 - KEIKYU SHOPの1号店、金沢文庫店を金沢文庫駅構内に開店。
- 2006年(平成18年)8月1日 - 意思決定を速める目的で京浜急行電鉄が当社の全株式を収得。京浜急行電鉄の完全子会社となる[19]。
- 2012年(平成24年)4月 - 本社事務所を大田区大森北六丁目12番17号(京急ストア平和島店向かい)から現在地へ移転。
- 2013年(平成25年)4月1日 - ユニオネックスを吸収合併し、京急ストアが存続会社となる[20]。
店舗[編集]
2014年5月1日現在、東京都・神奈川県の京急線沿線を中心に3業態50店舗を展開する。
- 京急ストア
- 主力業態となるスーパーマーケット(食品スーパー)。36店舗。うち4店舗は京急百貨店・京急サニーマートおよび京急ショッピングセンター「WING」の地下食品売り場の役割を担っており、いわゆるデパ地下が別法人による運営という形態となっている。
- もとまちユニオン
- 1958年創業の高級スーパーマーケット。元々は横須賀産業→ユニオネックスが運営していたが、2008年の京急グループ入りから2013年の合併に際して順次京急ストアに運営が移管された。9店舗。
- 「もとまちユニオン」名のスーパーマーケットはコレット(福岡県北九州市)内にもあるが、これはユニオネックス元オーナーの谷尾凱夫が代表取締役会長を務めるニューヨーク・エボリューション(旧・とみやま)が運営する店舗であり、京急ストアとは関係がない。
- 専門店
- 京急線駅構内の飲食店などの統括を行う3店舗と、京急百貨店・ルミネウィングの青果部門を担う2店舗。
出店店舗の詳細については、公式サイト「店舗案内」を参照
関連会社[編集]
- 京急エルベフーズ
- 京急マリンフーズ
- 京急フーズ
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ 『白木屋三百年史』 白木屋、1957年3月18日。
- ↑ 谷内正往. “戦前京阪デパートの創立”. 梅信 2012年6月号 (近畿大学 通信教育部) (2012年6月1日)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 『日本小売業運動史 第1巻 戦前編』 公開経営指導協会、1983年3月。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 由井常彦 『セゾンの歴史 変革のダイナミズム 上巻』 リブロポート、1991年6月1日。ISBN 978-4845706259
- ↑ 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 京浜急行電鉄社史編集班 『京浜急行八十年史』 京浜急行電鉄、1980年3月15日。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 菊池久 『堤義明西武 vs. 五島昇東急』 山手書房、1984年6月。
- ↑ 7.0 7.1 『小田急電鉄 第88期有価証券報告書』 小田急電鉄、2009年6月26日。
- ↑ 『東京 生きる姿・新しい步み』 朝日新聞社出版局、1954年。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 『最近の十年』 京浜急行電鉄、1958年。
- ↑ “京急ストア、生鮮部門を直営化 テナント育成にも力”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月18日)
- ↑ “京急ストア、生鮮直営化で売場に活気 仕入れ改善も進む”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年11月6日)
- ↑ “京急ストア、ミールソリューションチーム発足 生鮮・惣菜の満足追求”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年9月19日)
- ↑ “京急ストア、京急電鉄の完全子会社に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年3月24日)
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「keikyo-release-2012-4-18
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “京浜急行電鉄、系列のSMユニオネックスを京急ストアに統合”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2012年4月25日)
- ↑ “京急百貨店、1日開店の上大岡店 米飯・惣菜は“できたて”提供を強調”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年10月7日)
- ↑ “京急電鉄グループ、百貨店事業に進出 第1号店を上大岡駅に8年10月開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年4月28日)
- ↑ 京急ストア、生鮮直営化で売場に活気 仕入れ改善も進む 食の情報源
- ↑ 京急ストア、京急電鉄の完全子会社に 食の情報源
- ↑ 連結子会社の合併に関するお知らせPDF - 京浜急行電鉄・2012年4月18日