馬場 辰猪(ばば たつい、1850年 - 1886年頃)
嘉永3年(1850)、土佐藩士の家に生まれる[1]。
維新後、早い時期に、慶應義塾で学ぶ[1]。
数年間、イギリスに留学して法学を修める[1]。
帰国後、『天賦人権論』を著し、明治義塾を開設するなど、自由民権思想の啓蒙活動、法学教育に注力[1]。
1885年(明治18)、爆発物取締規則の違反容疑で逮捕される[1]。
半年後に無罪放免となり、まもなく渡米[1]。フィラデルフィアで客死した[1]。