関東電気労働組合
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関東電気労働組合(かんとうでんきろうどうくみあい)は、実質1925年に創設された東京電灯従業員の労働組合。1927年当時、組織対象約5万人に対し組合員は350人ほどだった。
創設[編集]
1925年に非公式の東電従業員組合として発足したが、会社の干渉により解散[1]。
1926年9月に再度組織され、統一労働組合同盟に参加して「関東電気労働組合」に改称した[1]。
当時、東京電灯は関東地方全域と福島・新潟・長野・静岡で営業しており、組織対象約5万人に対し組合員は350人ほどで、地域的にも、また従業員の職種や教育・意識にもばらつきが大きいという特徴があった[2]。
委員長の西村祭喜は電気技術者で、組合運動のため解雇されていた[1]。
ほかに本部員は、幹部の林征木、組織部長で解雇された労働者出身の吉田資治、争議部員で元関東金属労働組合精工舎分会出身の勝俣宗義らがいた[3]。
評価[編集]
石堂 (198 89)は、同組合が再組織の時に加盟した統一同盟は評議会に近く、労農党寄りでアカ宣伝が入りやすい体質だったとし、それまで組織がなかったため労働条件は悪く、やり方によっては運動が発展する余地はあったが、最初から統一同盟加入や労農党支持を決めていたのはプラスよりマイナスが多い気がした、としている。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 石堂 (1986) 石堂清倫『わが異端の昭和史』勁草書房、ISBN 4326151749