貞元親王
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貞元親王(さだもとしんのう、生年不詳‐延喜9年(909年)11月26日)は平安時代前期の皇族。清和天皇の第3皇子で、母は更衣藤原氏(参議藤原仲統女)。陽成天皇の異母弟。閑院親王と呼ばれた。
母方の祖父藤原仲統は藤原南家の出身で、右大臣藤原三守の次男。
貞観15年(873年)4月21日、親王宣下を受ける。仁和3年(887年)1月、四品に叙される。同年2月、上総太守に任ぜられる。延喜9年(909年)11月26日薨去。没年齢は不明だが、40歳前後と推定される。
妻は藤原基経女とされ、2人の息子兼忠・兼信はいずれも源氏を賜った。孫に歌人の源重之(次男源兼信の子)がいる。
『後撰和歌集』に宮廷女官との贈答歌が収録されている。
- おほかたはなぞや我が名の惜しからむ昔のつまと人にかたらむ(『後撰和歌集』633)
- 詞書に「おほつぶねに物のたうびつかはしけるを、さらに聞き入れざければ、つかはしける」とある。「おほつぶね」は在原棟梁の娘で、陽成天皇に仕えた女官とされる。
- 深緑染めけん松の枝にしあらば薄き袖にも浪は寄せてん(同931)
- 詞書に「土左がもとより消息はべりける返事につかはしける」とある。「土佐」も女官の名。