谷口雅宣

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谷口 雅宣(たにぐち まさのぶ、1951年 - )は、宗教団体・生長の家の第3代総裁(2009年 - )。同教団の創始者・谷口雅春の孫にあたる。教団副総裁時代の1992年に太平洋戦争を侵略戦争と認める発言をし、総裁就任後も雅春の著書の一部を絶版にするなど、国家神道への回帰路線を否定し、エコロジーを追求する路線を進めた。

経歴[編集]

1951年(昭和26)生まれ[1]。「生長の家」の第2代総裁・谷口清超の二男で、創始者・谷口雅春の孫にあたる[2]青山学院大学法学部を卒業後、米・コロンビア大学国際関係論の修士課程修了[1]

産経新聞の記者を経て、「生長の家」の教団に入った[1]

  • 柏書房 (2011 112)は、教団では、経営企画に手腕を発揮した、としている。

1986年に教団の副総裁に就任[1]。教団の副総裁時代の1992年(平成4)に、太平洋戦争を侵略戦争と認める発言をし、祖父で初代総裁の谷口雅春が主張した「聖戦」論を否定[1]

2005年(平成17)に教団総裁の父・谷口清超が体調を崩したことから総裁代行となり、2008年(平成20)10月の清超の死去を受けて、翌2009年3月1日に第3代総裁に就任[1]。総裁就任後に、祖父・雅春の著書の一部を絶版にした[1]

2005年には弟で教団の副理事長を務めていた谷口貴康が退職し、週刊誌や教団関係者のウェブサイトなどで、雅宣による左遷が理不尽だったことが原因と指摘された[1]

2011年当時は、教団の天皇信仰や右傾化路線を修正して、新たな信者獲得の試みを模索しているが、それに代わる新たなイメージが打ち出せていない、と評価されていた[1]

2017年当時、教団は、谷口雅春の、国家神道体制への回帰志向路線を否定し、エコロジーを追求する宗教団体となった、と評価されていた[3]

家族[編集]

  • 父・谷口清超(旧姓・荒地)は「生長の家」の第2代総裁[4]
  • 母・恵美子は教団の初代総裁・谷口雅春の長女[4]
    • 姉の寿美とその夫・宮沢潔は「生長の家オーストラリア法人」を独立させて、その日本本部として宗教法人・ときみつる会を設立[1]
    • 兄は夭逝した[1]
    • 弟の谷口貴康は教団幹部だったが、のちに退団した[1]

付録[編集]

脚注[編集]

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 柏書房 2011 112
  2. 柏書房 2011 112。同書 p.106 は、谷口雅春の長男、としている。
  3. 島田 2017 12,292
  4. 4.0 4.1 柏書房 2011 111

参考文献[編集]

  • 柏書房 (2011) 島田裕巳(監修)柏書房(編)『現代にっぽん新宗教百科』柏書房、ISBN 978-4760139729
  • 島田 (2017) 島田裕巳『日本の新宗教』〈角川選書〉KADOKAWA、ISBN 978-4041052525