藤原継彦

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

藤原 継彦(ふじわら の つぐひこ、天平勝宝元年(749年) - 天長5年(828年2月26日)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての公卿藤原京家出身。参議藤原浜成の子。大宰大弐藤原広敏治部少輔藤原清敏兵部少輔藤原雄敏治部卿藤原貞敏らの父。

宝亀11年(780年)2月、正六位上より従五位下に叙される。天応元年(781年)5月、兵部少輔に任ぜられる。延暦元年(782年)閏正月に氷上川継の謀反(氷上川継の乱)に連座して解任された(姉妹の一人が氷上川継の妻だった)が、延暦8年(789年)5月に主計頭に任ぜられる。大同3年(808年)11月正五位下に昇叙される。大同5年(810年)正月に従四位下に昇叙され、弘仁元年(810年)9月に山城守に任ぜられ、弘仁5年(814年)2月従四位上を授けられる。天長3年(826年)正月に従三位に叙せられたが、天長5年(828年)2月26日に薨去した。享年80。人柄は聡敏で識度があり、天文学に詳しく、管弦に熟達していたという。

関連項目[編集]