第1次大本事件(だいいちじおおもとじけん)は、1921年2月12日に、警察当局が大本の本部を捜索し、出口王仁三郎を不敬罪で検挙した事件。大本の急速な勢力拡大が、反体制運動につながることを懸念したものとみられている。
出口は地裁で有罪判決を受けた。控訴中で満州事変後の1931年に蒙古に入り、外地で勢力を拡大した[1]。