梅谷 光貞(うめたに みつさだ、1880年 - 1936年)は、日本の内務官僚。
1880年、兵庫県養父郡養父町(後の養父市)に生まれる。
東京帝国大学法科大学独法科卒業後、高等文官試験に合格し、内務省入省。警視庁配属後、岩手県警察部部長や栃木県警察部部長等、警察畑の要職を歴任するも、途中から台湾総督府に転出した。その後、新竹州知事等を経て、山梨県知事として帰国。しかし、次の長野県知事就任後、自らの失政から警廃事件を招き、免官される。
免官後は、海外移民組合連合会専務理事としてをブラジル移民事業を指導した。