打ち切り (テレビドラマ)
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テレビドラマにおける打ち切り(うちきり)とは、基本的に放送話数が決まっている為に低視聴率でも打ち切りとなる場合は少ない。ただし、中には話数を減らして特番で埋めたり、諸事情により急遽終了に追い込まれた例も少なからずある。
話数を削減した例[編集]
開始当初に予定していた話数を終盤で減らして、残りの回に終盤の展開を詰め込むパターン。
- 大激闘マッドポリス'80(日本テレビ)
- 過激なスタントに特化し過ぎて刑事ドラマとは名ばかりの「戦争ドラマ」になってしまった。そのため、色々な意味でやり過ぎ。
- その反省か、タイトルを『特命刑事』に改め、路線も軽量化したが焼け石に水。
- ピーマン白書(フジテレビ)
- フジテレビの黒歴史。
- 当初は「90分枠・全26話(2クール)」という力の入れっぷりだったが、開始時点で「60分枠・全13話(1クール)」に削減。更に全盛期の全員集合の裏で視聴率2%を記録した為、5話の時点で打ち切りを決定し、6~8話を素っ飛ばして急遽、最終話を放送。[1]
- 生徒役の中にサラリーマン金太郎や磯野カツオがいたりする。
- 警視-K(日本テレビ)
- あの勝新太郎が主演兼製作総指揮を勤めたアクション刑事ドラマだったが、極端な低視聴率だった上に制作費高騰の為に全26話の予定が半減され、全13話になった。結局これが元で勝プロダクションが多額の負債を抱え、破産してしまった。
- また主題歌を担当した山下達郎がカメオ出演する計画があったが、ドラマ自体が打ち切られた為に実現しなかった。さらにルー大柴が勝アカデミー在籍時にこのドラマにチョイ役(ブティック店員)で出演していた。
辞め時を間違えた例[編集]
- 逆転あばれはっちゃく(テレビ朝日)
- 人気低迷形との複合形。
- 前作の『痛快あばれはっちゃく』の後半から人気に陰りを見せ始め、ファンタジー路線に転換したり主題歌を変えたりしたが半年で撃沈し、シリーズも終了。
- その結果、後枠がバラエティ枠となる。
- Gメン'75(TBS)
- 人気絶頂だったのに「サスペンスドラマのブーム」か何かでなぜか強制打ち切り。
- 半年後『Gメン'82』として復活させたが、裏の大河ドラマ『徳川家康』や『西部警察』、ニューステの人、欽ちゃんに撃沈される[2]。
出演者がパクられた例[編集]
それ以外の例[編集]
- 追跡(フジテレビ)
- 収録済みのエログロ満載の回を制作局の重役が放送させず、出演者と制作スタッフの一部がボイコットして途中終了。
- ちなみに上述の前番組も途中打ち切りを食らっている。
- フードファイト(日本テレビ)
- 厳密にはレギュラー放送の後。
- 視聴率が良かったため数回に分けての続編をやる予定だったが、完結する前に真似して給食早食い競争をしてのどに詰まらせて亡くなったお調子ものの中学生のせいで伏線を残したまま消滅。
- 若者たち(フジテレビ)
- 第33話は在日朝鮮人差別を描いた話だったが、同時期に北朝鮮からの密航事件が起こり、日韓関係に刺激を与えることを憂慮した局上層部の判断で放送中止となり、その次の回をもってドラマそのものも打ち切りに。
- 風雪(NHK)
- 「明治維新」から「太平洋戦争敗戦」までを全100話の予定で描くはずだったが、「日露戦争」「社会主義」「朝鮮人虐殺」等の描写をめぐって脚本の改変や抗議による再放送中止が続々と発生したため、物語が昭和に入ることもなく第76話のラジオ放送開始(大正15年)の回をもって打ち切りに。
脚注[編集]
- ↑ 6~8話は後日に深夜枠で放送された。
- ↑ ただしDVDが発売されたり、CSで再放送されたりしたため、かろうじて黒歴史にはなっていないようである。
- ↑ 『盤嶽の一生』のみ、お蔵入りになった話を放送するチャンスに恵まれた。