平忠頼
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平 忠頼(たいら の ただより、延長8年6月18日(930年7月16日)? - 寛仁2年12月17日(1019年1月25日)[1]?)は、平安時代中期の武将。父は村岡五郎平良文。子に忠常、頼尊らがおり、平将門(平良将の子)とは従兄弟にあたる。父と同じく村岡を号とし、村岡次郎と称した。名は経明、恒明とも。
父の良文は葛原親王の子高望王(臣籍降下し平姓を名乗る)の子で、下総国に勢力を持ち、忠頼は武蔵国に勢力を伸ばしたが、従兄弟の平繁盛(平国香の子)と対立した。子孫は秩父党(河越氏、畠山氏)、房総平氏(上総氏、千葉氏)、中村党(土肥氏、土屋氏)などに分かれ、関東における武士団を形成し勢力を伸ばした。
脚注[編集]
- ↑ 『千葉大系図』による
関連項目[編集]