島津ハル事件
島津ハル事件(しまづはるじけん)は、1936年8月に、元女官で神政龍神会の影響を受けた島津ハルら3人が不敬罪で逮捕された事件。島津は、昭和天皇が15年後に崩御すると予言し、高松宮の即位を訴えるなどしていた。3人は精神異常者とされ、有罪にはならなかった。
島津ハル[編集]
島津ハル(治子[1])は、香淳皇后に仕えた女官。1923年8月に宮内省御用掛となり、まもなく東宮妃付女官長に就任。1927年3月に皇后宮職女官長になったが、同月、夫が病死したことに伴い辞職していた。[2]
辞職してからしばらくした後で、神政龍神会の矢野祐太郎に接触し、影響を受ける[3]。
1936年2-3月の神道系新興宗教団体の幹部の逮捕に続いて、同年8月に不敬罪で逮捕[4]。
取り調べの中で、昭和天皇が15年後に崩御する、秩父宮は引退して、高松宮が摂政・補佐になるなどの予言をし、天皇は前世の因縁があって国体を維持できず早晩崩御するから、国体護持のために高松宮を擁立すべきだと主張した[4]。
島津ハルら女性3人は、精神異常者とされ、不敬罪にはならなかった[4]。
西園寺公望は原田熊雄に、「元の女官長の処分について、同様な人達を2人とも精神病にしてしまつたが、将来皇室攻撃の材料になるやうなことはないかと懸念する。即ち司法権でてきぱきやつておいた方がよかつたやうに思はれる。とにかく皇室を倒さうとするやうな運動が単に赤の運動のみならず、いろゝゝな意味のものがあるのであるから、今日日本だけにその手が及ばないといふことはないので、よほど用心しないと危険だ」と述べている[5]。
三村 (1953 211)によると、特高は、島津ハルのあとに女官長に擬せられた松平俊子についても神政龍神会との関係を疑っていた。
三村 (1953 211-212)は、事件の真相を知るはずの人物として小笠原孝次と宮腰明将の名前を挙げている。
関連作品[編集]
松本清張「特設軍法会議」『昭和史発掘 8』〈文春文庫〉2005年[6]
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037
- 三村 (1953) 三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』八幡書店、1986年
- 初出:日猶関係研究会、1953年
- 新装版:八幡書店、2000年、ISBN 4893500163