山本遼太郎
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山本遼太郎(やまもと りょうたろう、1986年(昭和61年)4月30日 – )は、日本の政治家。日本維新の会。
人物[編集]
誕生~幼少期[編集]
- 1986年(昭和61年)4月30日、浜松市北区引佐町渋川で薬種店「山本商店」の長男として出生。周囲を山と川に囲まれた自然豊かな町で育った。
- 薬種店と言っても、いわゆる「なんでも屋さん」。薬だけでなく衣料品や布団、栄養食品も扱う商店。
- 祖母からお店の龍角散・南天のど飴・VICKS・仁丹など、飴や栄養食品を貰うのが楽しみだった。このおかげで、「大声を出しても枯れないのど」ができた。
- 祖父と村櫛や海釣り公園へ釣りに行くのが日課。近所の幼馴染とも、毎日のように川へ魚採りに行っていた。
- 大自然の中で育ったにもかかわらず、昆虫は今でも苦手。とくにカブトムシの裏側やエビの裏側、カニの裏側。最も苦手なのはカブトガニの裏側。
- 絵本を読んでもらうのが好きだった。好きな本は「めっきらもっきらどおんどん」。怖かった本は「モチモチの木」。
小学校時代[編集]
- 引佐町立渋川小学校を卒業。全校生徒60人という小さな学校でゆったりと育つ。
- 父親と一緒に山や海へ行くのが日課。自然や環境について考える機会に恵まれていた。
- 休日に母親と浜松駅まで来て「イトーヨーカドー」や「松菱」で買い物をするのが本当に楽しみだった。この頃の思い出が、今の「浜松を活性化させたい」という気持ちにつながっている。
- 祖父が髪を切ってくれていた。6年間のほとんどを、おかっぱ頭で過ごす。
- 給食では毎日「いなさ牛乳」、家では「静岡茶」を飲んでいたため、のちに東京へ出たとき、味の違いに驚く。
- 渋川小学校は平成22年をもって閉校。閉校式ではステージイベントに出演。
中学校時代[編集]
- 引佐町立北部中学校を卒業。全校生徒100人弱という小さな学校でのびのびと育つ。
- 野球部所属・副主将を務める。不動の「2番セカンド」。調子によっては8番9番も打つ。引退試合はベンチだった。
- 研究を重ねた独特のバッティングフォーム。当たれば1塁線に痛烈なファールボールが飛ぶ。守備が苦手で、ボールを勘で取る動きから「神取忍」というあだ名がつく。
- おしゃれに目覚める。学生服の下に着ていたシャツの素材から「タオル」というあだ名がつく。
- 中学生のディベート大会で優勝。当時から、ある議題に対して徹底的に話し合うのが好きだった。
- 生徒会長を務める。当時は10人を前に話すだけでも緊張して震えた。本人が関わった学校行事などで、生徒が楽しそうにしている状況に何とも言えない満足感を覚える。
高校時代[編集]
- 静岡県立浜松商業高等学校経理科を卒業。全校生徒1000人という状況でビシビシと学ぶ。
- 2年時から生徒会長を3期連続で務める。集団社会の面白さ・難しさに興味を持ったきっかけとなる。生徒会での活動が、今の「人前で話すときに緊張しない」ことにつながっているとされている。
- 新聞部所属。簿記部の部活見学に向かう途中、3年生の先輩数人に囲まれて褒め倒しにあい仮入部。そのまま新聞部に入部。不定期でコラム欄を担当。
- 応援団所属。当時はクラスで一人応援団を出さなければならず、仲の良い友人がじゃんけんに負け入団、じゃんけんに勝った罪悪感から山本も入団する。「応援団」との出会いが、今後の応援人生の始まりとなった。
- 2年時にアクトシティ浜松で行われた「早稲田大学応援部ステージ」を見て心奪われる。この応援団の団長になりたいと強く決心。翌日、進路希望を就職から進学に変更。早稲田大学を目指すこととなる。
- 奇跡的に現役合格、生まれ育った浜松を離れ、上京する。
大学時代[編集]
- 早稲田大学教育学部 社会科社会科学専修。東京では新宿区・練馬区・西荻窪 (杉並区)・王子 (東京都北区)に住む。
- 応援部に入部。授業も学生服、休日も学生服、大学時代の全てを捧げる。
- 坊主禁止であったため、下級生時代は前髪だけを残した「大五郎カット」で過ごす。
- 練習が厳しすぎた。頑張っている人に「頑張れ!」と言わないといけない応援部。その為には自身も全力で頑張らないといけない。練習について行けず何度か辞めようと思ったこともある。
- 部活で全国各地をまわる。社会人時代も含め、全国46都道府県(沖縄以外)を訪れた。各地での興奮・驚き、それらが地方の活性化に興味を持つきっかけとなる。
- 4年時に主将となる。高校時代からの夢が実現。アクトシティ浜松での引退公演、自然と涙がこぼれた。心から、浜松で生まれ育ったことを誇りに思い「浜松に戻ってきたい」と決意した。
- 勉強が好きすぎて留年。4年間は部活一筋。引退後は「自分の限界」を上乗せしたいと考え、様々な活動を行う。
- 最も早稲田らしい学生を決めるコンテスト「早稲田王決定戦」で優勝。
- 仙台~東京笹かまウォーク。仙台から東京まで1日80キロ「笹かまぼこ」だけを食べて歩き続けるイベント。空腹・不眠・不休の5日間。自分の限界と日本のありがたさを知る。
- 山本「桜島が見たい」、友人「自転車に乗ってみたい」という理由でロードレーサーを購入。翌日から12日かけて東京~鹿児島を縦断。一気に自転車が好きになる。
- Vリーグサポーターとして、バレーボールで全国を周る。地方によって文化も県民性も様々だと実感。
社会人時代[編集]
- 株式会社キーエンスに入社。愛知県豊田市に配属される。「人に伝える力をつけたい」、「日本のものづくりを考えたい」、そんな思いから営業力の強化で有名な株式会社キーエンスに入社。
- 岡崎市、蒲郡市地区を担当。2年目からは自動車メーカーの本社工場も担当し、技術の最先端に触れる。日本の技術力、日本人の「力」を実感。
- 変位センサー(1ミクロンの違いを瞬時に計る機械)や除電器(風を一瞬あてるだけで静電気が取れる機械)で工場ラインの自動化を提案。生産現場の生の声を聞く。