宮崎大学

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宮崎大学(みやざきだいがく、英語: University of Miyazaki)は、宮崎県宮崎市学園木花台西1-1に本部を置く日本の国立大学である。2003年に設置された。大学の略称は宮大(みやだい)。

概要[編集]

1949年(昭和24年)に設置の旧宮崎大学1974年(昭和49年)設置の旧宮崎医科大学が統合し、2003年(平成15年)10月に誕生した。教育文化学部、農学部、工学部は木花キャンパス(宮崎市)、医学部は清武キャンパス(宮崎市清武町)にある。スローガンは「世界を視野に、地域から始めよう」、学長は菅沼龍夫。

旧宮崎大学の前身となる旧制専門学校および師範学校の校地は宮崎市中心部の各所に点在していた。このため、旧宮崎大学は1972年8月にキャンパスの移転・統合を決定し、1980年代後半に宮崎学園都市の主要施設として宮崎市南部の木花地区に移転・統合した。

歴史[編集]

女子学生の裸撮影、卒論に掲載。宮崎大元准教授(2012年6月)[編集]

宮崎大は2012年6月28日、教育文化学部に勤務していた40歳代の元准教授の男が、指導する女子学生の裸の写真を撮影し、卒業論文に掲載させていたと発表した。

元准教授は3月に退職したため、大学は同日、「懲戒解雇相当」とした。退職金は支給を保留しており、支払わないという。

大学によると、元准教授は昨年の夏から秋にかけ複数回にわたり、自分の研究室に所属していた当時3、4年の女子学生4、5人の上半身裸の写真を大学外の野外で撮影。うち2人の共同執筆による卒業論文に写真十数枚を添付させた。元准教授は約8年前から大学に勤務。「裸の写真は撮影していない」などと否定しているという。

写真はコンピューターグラフィックスで加工していたが、裸と判別でき、顔も分かる状態。大学は学生の被害申告を受け、調査委員会を設けて調べていた。卒論の指導から審査まで1人で担当しており、大学は「女子学生らは、指示に従わないと単位をもらえないと考えていた可能性がある」としている。

教育文化学部[編集]

教育文化学部の直接のルーツは、旧制の宮崎師範学校宮崎青年師範学校に求められる。これらの学校はさらに、1884年(明治17年)設立の宮崎県尋常師範学校と1922年(大正11年)設立の宮崎県実業補習学校教員養成所までその淵源を辿ることができる。

戦後の学制改革の中で、1949年、宮崎師範学校と宮崎青年師範学校をもとに宮崎大学に学芸学部が設置された。1966年(昭和41年)、学芸学部は教育学部に改称し、さらに1999年(平成11年)、教育学部が教育文化学部に改組され現在にいたる。1994年(平成6年)に大学院教育学研究科が設置(修士課程)されている。2008年(平成20年)には教職大学院が設置(専門職学位課程)された。

農学部[編集]

農学部のルーツは、旧制の宮崎農林専門学校さらに遡って1924年(大正13年)設立の宮崎高等農林学校がルーツである。この宮崎農林専門学校を母体に1949年、宮崎大学に農学部が設置された。1967年(昭和42年)に宮崎大学の中ではいちばん早く大学院農学研究科(修士課程)が設置されている。

2007年には、農学・工学を連携・融合させた農学工学総合研究科(博士後期課程)を設置し、2010年には、医学・獣医学を連携・融合させた医学獣医学総合研究科(博士課程)を設置した。

1988年(昭和63年)から、九州内のいくつかの大学とともに鹿児島大学大学院連合農学研究科(博士課程)に参加し、1990年(平成2年)には、獣医学科を設置する周辺大学とともに山口大学大学院連合獣医学研究科(博士課程)に参加したが、2007年度より農学工学総合研究科(博士後期課程)の設置に伴い鹿児島大学大学院連合農学研究科から離脱、2010年度より医学獣医学総合研究科(博士課程)の設置に伴い山口大学大学院連合獣医学研究科から離脱した。

工学部[編集]

1944年(昭和19年)2月に宮崎県高等工業学校として設立し、同年8月に改称した宮崎県工業専門学校が、工学部のルーツである。1949年に宮崎大学工学部として学芸学部や農学部と同時に設置された。大学院工学研究科は1976年(昭和51年)に修士課程(1997年より博士前期課程)が、1996年(平成8年)に博士後期課程が設置されていたが、2007年博士後期課程は農学工学総合研究科設置に伴い廃止された(これに伴い、博士前期課程は修士課程となった)。

医学部[編集]

医学部は、1974年(昭和49年)設立の宮崎医科大学がそのルーツである。設置の前年1973年(昭和48年)に、創設準備室が宮崎大学内に設置されていた。いわゆる1県に1医科大学を設置するという政府方針によって作られた大学である。1977年(昭和52年)に附属病院が、1980年(昭和55年)に大学院医学研究科(博士課程)が設置された(修士課程は2003年に設置)。博士課程は2010年の医学獣医学総合研究科設置に伴い廃止となり、修士課程は医科学看護学研究科へ改称された。

2003年(平成15年)全国的な大学統合の流れの中で、宮崎大学と統合し宮崎大学医学部となったが、部活動などは旧宮崎大学と統合されず、そのまま存続するものがほとんどだった。

2005年度の入学試験からは地元枠を設け、地元宮崎県出身者約10人が入学した。

特色[編集]

教育文化学部[編集]

農学部[編集]

応用生物科学科がJABEE認定を受けている。

同窓会の名誉会長に、自民党旧江藤亀井派会長であった江藤隆美氏が、長年の会長職在任を経て、就任している。

工学部[編集]

JABEE認定に力を入れており、2005年度までに土木環境工学科、物質環境化学科、電気電子工学科、機械システム工学科、情報システム工学科(情報システム専修コースのみ)で認定をうけ、2010年度に材料物理工学科も認定をうけた。他学科についても認定有効期間を更新しており、すべての学科がJABEE認定されている。

医学部[編集]

全国的に進級が厳しい医学部として知られており、1学年38人もの留年生を出した年もある。現在は緩和されたものの留年者は各学年とも毎年のように15人程度出ており依然として進級は厳しいと言える。また、すべての単位が取り消されるという単位取り消し型の留年方式を取っているため、留年した年もすべての講義に出席しなくてはならなかったが、2005年度の2年生からは単位制が導入された。なお、ここ数年でこれらの印象は薄まり、4年以上の臨床科目は卒業試験も含めて落第者がいないとされる(2005年度4年留年生は5名)。

2006年の入試から推薦入学を実施。宮崎県内の高校出身者による地域枠と一般枠とからなる。

組織[編集]

学部・学科[編集]

教育文化学部

2008年に大幅に改組された。2008年度以降の入学生と2007年度以前の入学生にはそれぞれ別のカリキュラムが組まれており、該当学生の卒業まで地域文化課程・生活文化課程・社会システム課程は残存する。

  • 学校教育課程
    • 初等教育コース
    • 中学校教育コース
    • 特別支援教育コース(旧:障害児教育コース)
  • 人間社会課程
    • 言語文化コース
    • 社会システムコース
  • 地域文化課程(2007年度まで)
  • 生活文化課程(2007年度まで)
    • 芸術文化コース
    • 生活健康コース
    • 生活環境コース
  • 社会システム課程(2007年度まで)
農学部

※2009年度まで

工学部
医学部

大学院[編集]

教育学研究科
  • 専門職学位課程
  • 修士課程
    • 学校教育支援専攻
    • 学校教育専攻(2007年度まで)
農学研究科
  • 修士課程
    • 生物生産科学専攻
    • 地域資源管理科学専攻
    • 森林草地環境科学専攻
    • 水産科学専攻
    • 応用生物科学専攻
  • 博士課程
工学研究科
  • 修士課程
    • 応用物理学専攻
    • 物質環境化学専攻
    • 電気電子工学専攻
    • 土木環境工学専攻
    • 機械システム工学専攻
    • 情報システム工学専攻
農学工学総合研究科
  • 博士後期課程
    • 資源環境科学専攻
    • 生物機能応用科学専攻
    • 物質・情報工学専攻
医科学看護学研究科
  • 修士課程
    • 医科学専攻
    • 看護学専攻
医学獣医学総合研究科
  • 博士課程
    • 医学獣医学専攻
      • 高度臨床医育成コース
      • 研究者育成コース
      • 高度獣医師育成コース

別科(農学部)[編集]

  • 畜産別科
    • 畜産専修

附属施設[編集]

対外関係[編集]

他大学との協定[編集]

国際交流協定締結校

イベント[編集]

学園祭[編集]

宮崎大学の学園祭清花祭(きよかさい、武と木の合成語)と称され、11月中旬の3日間に渡り開催される。2005年に旧宮崎大学の宮大祭と旧宮崎医科大学のすずかけ祭を統合して開始された。初日(金曜日)は旧宮崎大学時代から続くみこしパレードが宮崎市中心部の橘通りなどを練り歩く。2日目・3日目(土曜日・日曜日)は各キャンパスで模擬店や展示発表が行われる。最後は打ち上げ花火(木花キャンパス)で学園祭を締める。

大学関係者と組織[編集]

大学関係者一覧[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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