妄想記事
妄想記事(もうそうきじ)とは、その名の通り、執筆者の完全な妄想だけでできている記事のことである。妄想記事かどうかの判断基準は非常に曖昧であるが、結局のところ面白ければ良い。なぜなら、『アンサイクロペディア』はユーモア成分たっぷりだから。
目次
概要[編集]
もし、日本とハワイが鉄道で繋がっていたらおもしろいだろうなあ…そうだ、記事書こう。
こんな感じで書かれたものが妄想記事である。厳密に言えばこれとかも妄想記事になるのかもしれないが、面白いのでどうでもよい。もし妄想記事を書きたくなったのならば、アンサイクロペディアンに7割くらいが理解できて、なおかつ強烈な何かしらの風刺・皮肉が必要である。そのため妄想記事を書くのは非常に難しく、妄想記事の95%は結果的に削除されているのが現状である。
又、今までに大量の妄想記事が投稿されてアンサイクロペディアンたちも飽きているのが現状で、アンチ妄想記事の者も出てきて妄想好きな人にはとても邪魔な存在となっている。
問題点[編集]
妄想記事は、他の人に理解させるのが非常に難しく、高度な技術を必要とする。同時に多大の時間を要し、数十分くらいで考えた妄想記事はおそらくNRVが貼られることだろう。人に理解させるのが非常に難しいので、ここで大抵の人は諦める。
さらにここに皮肉やユーモア、風刺を入れなければならない。人に理解させるのに大幅な体力を奪われた執筆者たちはここで大半は諦める。
以上のことから、まともな妄想記事を残すのは非常に難しい。アンサイクロペディア歴10年以上のベテランが執筆するのが望ましいと思われる。しかし結局、あまりに労力が必要になり精魂使い果たして力尽きる可能性が高いので、遺書をしっかり残しておく必要がある。
これに対する妄想記事執筆を専門とする主に数字の子の反応[編集]
妄想記事執筆専門家の多い数字の子たちはアンサイクロペディアの体制に大きな不満を持っており、時々デモや集会が行われている。彼らはアンサクロペディアに対して雇用拡大や待遇を良くすることを求めているが、アンサイクロペディアの管理人の大半は妄想記事を理解できないのでまったく改善の余地がない。できるだけ面白くして管理人に消せないような記事を突き付けるのが今最も有効な方法となっている。
これに対する妄想記事執筆を専門とする主にお子様ユーザーの反応[編集]
自尊心の高いお子様ユーザーは、自分の妄想が受け入れられないとわかった瞬間「自分は面白い、他の奴が面白くないんだ」と強く思い込み、ノートで宣戦布告することが多い。この場合内容に知性のかけらも見られない点や論点を整理し反論するという、建設的行動が全くできていない事から雛見沢症候群に罹患していると推測される。また症状が深刻化するにつれ、俺以外全員ソックパペットだ!と主張し始める事もあるので注意が必要である。
ウィキペディアにおける妄想記事[編集]
ウィキペディアでは妄想記事を完全に排除しており、妄想記事は存在しない。一時期、ソレナンテ・エ・ロゲの項目も存在したが、アンサイクロペディアに強制的に押し付けられた上に抹殺された歴史がある。今でも細々と存在しているようだが。このとき多数の妄想記事専門家が移動してきたと思われる。ウィキペディアの人たちは頭が固いので妄想記事はまったく受け入れない。アンサイクロペディアの方がまだマシであろう。
チャクウィキにおける妄想記事[編集]
チャクウィキにおいてはもしwikiや勝手にシリーズなど、個人の妄想や思いつきを専門に取り扱うコーナーが存在し、今や本来のメインであった「ご当地の噂」を凌ぐ勢いで記事数が増加している。しかし、これらのページのみを専門に投稿したがるバカユーザーが後を絶たず、チャクウィキ本来の趣旨である「個人の主観の共有」を忘れた独りよがりの妄想記事(特に鉄道・放送局・サブカル関連で顕著)ばかりが幅を利かせる状況となってしまい、管理者たちを悩ませている。
妄想記事執筆者の偏り[編集]
妄想記事を書く人の9割は厨房やDQN、ゆとりであろうと言われている。彼らは空気解読障害で面白いかどうかを判断することなど到底できないので、どうしようもない記事しか残せない。まぐれで、まともな妄想記事を書くこともあるのかもしれないが、まぐれであるか、誰かに記事を拡張されたものと思われる。