夏目房之介
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夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - )は、漫画批評家、漫画家。花園大学の客員教授と京都大学の非常勤講師を務めている。本人は「漫画コラムニスト」を名乗っている。1992年発行の著書『手塚治虫はどこにいる』で評価を確立。ネームバリューを活かした多数の著作やテレビ出演によって、それまで一部の同人誌やマニア誌などで内輪話的に論じられてきた漫画評論の敷居を低くした。それと同時に、新たな漫画研究に対する指針を標榜した。しかし、本人はあくまでもコラムニストとしての活動であるとしており、研究自体は若手学者の論説を支持する程度にとどまる。
経歴[編集]
東京都港区高輪に生まれる。文豪・夏目漱石の長男である夏目純一(ヴァイオリニスト)の長男。本人の談によると、若い頃には「漱石の孫」というレッテルを重荷に感じていたと述懐している。母・嘉米子(ハープ奏者)は三田平凡寺(特異な趣味人で蒐集家)の末娘。チェリストで画家の雨田光弘は、母方を通じて従兄にあたる。本人にとって「祖父」といえば会ったことがない漱石ではなく、自分を可愛がってくれた三田平凡寺のことだという。
高輪台小時代から漫画を描くのが大好きで「マンガのなっちゃん」と呼ばれた。中学から青山学院に入学。祖父が夏目漱石ということで、同級生の女の子から顔をまじまじと観察され「おじいさん(漱石)はハンサムだったのにね」と心ない批評をされ傷ついたこともあった。国語の時間には、教師から「このクラスに漱石の孫がいるぞ」と言われるのが不愉快だったという。青山学院高等部在学中には美大進学も考えたものの結局は断念、青山学院大学文学部史学科に進み、中国史を専攻した。
大学時代に作品集『漫画』を自費出版し、尊敬する手塚治虫に見てもらった。同時期に赤塚不二夫にも作品を見てもらったが、このときは酷評を受けた。また在学中に実家を出て中野で恋人と同棲し、新宿や渋谷のジャズ喫茶に入り浸る青春を送った。吉本隆明、大江健三郎、ドストエフスキーなどを愛読。卒論のテーマは三一運動。
1973年、卒業後に恋人と結婚して世田谷区給田に転居。杉並区にあった小さな出版社の入社試験を受けたところ、「漱石の孫」と聞いて興味を持った社長の強力な後押しで採用が決定。切手の雑誌の編集などに携わったが、就職後も片手間に挿絵イラストレーターとしての副収入を得、次第に仕事のウェイトを副業に移していた。しかし、就職3年目で会社が倒産したためそのままフリーのイラストレーターとして独立。会社倒産直前、世田谷区松原にマンションを買ったところ、売主の倒産で裁判沙汰に巻き込まれ苦汁をなめてもいる。そのころ「漱石の孫が漫画を描いている」という噂を聞きつけた『週刊朝日』の取材を受けた縁から、1978年に同誌の新コーナー「デキゴトロジー」のイラストを担当するようになり、これが1982年に『學問』として夏目をメインとした漫画コラムへと発展するに至った。この連載が夏目の名を有名にし、漫画コラムニストとしての評価を固めた。また、1984年に漱石の肖像が千円札に採用されると、直系の子孫としてマスコミから取材を受ける。1986年、ディレクターが夏目のファンであった縁からTBSのクイズ番組・クイズダービーに出演する。1988年からNHK教育テレビで放映された土曜倶楽部で、レギュラー出演者として『夏目房之助の講座』コーナーを担当し、以降NHKに度々出演する。
漫画家としては、谷岡ヤスジや土田よしこの影響下にシュールな作風のギャグ漫画を発表していた。実作者としての長年の経験が、漫画批評家としての洞察に深みを与えている側面は見逃せない。また、『月刊OUT』において『鉄人28号』や『仮面ライダー』のその後をパロディ漫画として描いたおり、これが後の作品の一部を模写し分析するという手法に繋がっていく。
漫画作品のストーリー上のテーマではなく、「コマと描線」に着目して漫画分析を行う手法で漫画評論をしている。マンガの文法と呼べる表現技法を分析し、その複雑な内容を説き明かしている。これは、後に「マンガ表現論」として、他のマンガ批評家も同じ手法を取り入れるようになった。NHKの『人間大学』で3ヶ月間シリーズの「マンガはなぜ面白いのか その表現と文法」を担当したが、これを見て、初めてマンガの読み方を理解したという高齢者の感想が寄せられたという。
作品模写による引用・分析を得意とする。この手法は書家の石川九楊から高く評されており、石川は書という芸術の分析評価方法との類似点を指摘している。漫画業界では、絵の引用は著作権者の許諾がいるという風潮が強いが、夏目は絵の引用は著作権法上、著作者の許諾は必要ないと主張した。夏目も当初は業界の慣例に従い許諾を得ていたが、1997年の『マンガと「戦争」』で無許諾の引用に踏み切った(ただし、引用の要件から外れると弁護士に指摘された絵はこの限りではない)。クレームをつけてきたところはあったが、夏目を訴えることはできなかった。なお1992年発表の『手塚治虫はどこにいる』以降では、作品自体の絵を直接引用することが増えている。
たまたま、小林よしのりが自著『新ゴーマニズム宣言』の絵を批判本に引用した上杉聰を東京地方裁判所に著作権法違反で訴えており、上杉側は夏目の著書を引用が正当である証拠として提出した。最終的に、漫画の絵の引用は合法だが、コマの配列改変のみ違法との判決が出た(詳細は上杉聰の項を参照)。
しかし、実のところ夏目は著作権法について疎いらしく、自身のブログで不特定多数に対し、ビデオの貸し出しを求めている。これは放送者の複製権の侵害ととられかねない行為である(ただし夏目の主張の正当性には関係ない話ではある)。
NHK-BS2で不定期放送中の『BSマンガ夜話』のレギュラーメンバーでもあり、番組中の「夏目の目」のコーナーを担当。
大の太極拳愛好家であり、気功についても造詣が深い。バリ島のファンでもあり、バリを語らせればとどまるところを知らない。そのためかガラムを吸っていることが多い。極度の上がり症であると自称し、祖父漱石と同じく胃腸が弱く、下戸である。
著書[編集]
- 『おじさん入門』(イースト・プレス、2005年8月、ISBN 4872575776)
- 『とんでるバカ本1』(廣済堂)
- 『とんでるバカ本2』(廣済堂)
- 『デキコトロジーイラストレイテッド』『夏目房之介の学問』(新潮社、週刊朝日連載作をまとめたもの)
- 『夏目房之介の漫画学』
- 『マンガはなぜ面白いのか―その表現と文法』(NHKライブラリー、人間大学のテキスト)
- 『マンガと「戦争」』(講談社現代新書、1997年12月、ISBN 4061493841)
- 『マンガの力―成熟する戦後マンガ』(晶文社、1999年8月、ISBN 479496403X)
- 『マンガ世界戦略 カモネギ化するかマンガ産業』(小学館、2001年、ISBN 4093873364)
- 『マンガの深読み、大人読み』(イースト・プレス、2004年9月、ISBN 4872574818)
- 『消えた魔球』―熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか(新潮社、1994年3月、ISBN 4101335117)
等多数
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 夏目房之介の「で?」
- スタイルの変革が求められている日本のマンガ界(Internet Archiveによる保存)
- 東京ランダムをウォーク・トークイベント07 対談:夏目房之介(漫画評論家)×竹田青嗣(哲学者/文芸評論家) テーマ:「マンガ論、思想に出会う」
- コミック・ガンボ スペシャル対談 江川達也vs夏目房之介「坊ちゃん」を語る
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