坂本隆志
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坂本 隆志(さかもと たかし、1968年10月14日 - )は日本のプログラマ。
経歴[編集]
- 青森県三沢市出身。元ウォーターマークス代表の小林孝志とは小学校以来の友人である。三沢市立岡三沢小学校・三沢市立第一中学校・青森県立三沢商業高等学校卒。
- 高校時代にBPSのザ・ブラックオニキスとアーコンをプレイしBPSのファンになり、1987年秋にBPS社に入社。現レッドエンタテインメント社長の名越康晃は、坂本が開発部に居た時の先輩及び開発部マネージャーである。
- パソコン版テトリスのX1(シャープ)、X68000(シャープ)、FMR(富士通)、PC-9801(NEC)、PC-88VA(NEC)の機種別部分の全部又は一部を担当。X1版はBPS外部のプログラマが担当していたがバグのために完成せず、坂本が担当することになった。
- またパソコン版テトリスのグラフィックには、ハンス・ヤンセン一人しか居なかったグラフィック・セクションの負担を軽くするため、坂本の提案でイメージスキャナが使用された。さらにプログラムには、当時流行し始めていたC言語を採用することと、また全機種共通部分(C言語のみ)と機種別部分(C言語とアセンブリ言語で作られた)を分けて作成することを提案した。このアイディアが採用され短期間で開発でき、中毒性の強さと相乗効果を上げ、大ヒットにつながる要因の一つとなった。一回のゲームで3度プレイ(ライフ制)できるアイディアを提案したのは坂本であるが、逆にゲーム性を損なうことになった。ヒット後、広告会社でデザインをしていた小林をBPSに呼び寄せ、一緒に仕事をしている。
- その後、ホリ電機(現HORI)の子会社ホリソフトやカゼ(現カゼ・ネット)に数ヶ月在籍していた。カゼ在籍時スーパーピンボール~ビハインドザマスク~に、侍などが出てくる日本的な台を入れることを提案したが、このゲームでは実現しなかった。だが小林はこのアイディアをデジタルピンボール ラストグラディエイターズで採用した。また将来当時はゲーム機では無かった(MacにはQuick Timeがあった)動画をハリウッドで撮影するなど提案し、ラストグラディエイターズではこのアイディアが採用された。
携わった作品[編集]
- スーパーブラックオニキス - 開発用グラフィックツールをリチャード・チャールズ・ロジャースと共同開発した。
- テトリス
- ランセイバー - リチャード・チャールズ・ロジャースと共同開発し、サウンドドライバーを担当した。
余談[編集]
- ソフトバンク社の雑誌だった月刊Oh!Xのコーナー「User's worksは」、坂本とアバンギャルドアップスターツの友人田口義春が編集部に訪問・依頼して作られたものである。最後はUser's Worksの特別版であるUser's Works Specialがメインコンテンツになった。
関連項目[編集]
Category:ビーピーエス も参照