和歌乃山洋
和歌乃山 洋(わかのやま ひろし、本名:西崎 洋、1972年5月12日 - )は、和歌山県御坊市出身武蔵川部屋所属の元大相撲幕内力士。現年寄山分 裕司。血液型はB型、身長178cm、体重164kg。得意は突き押し、左四つ、寄り、趣味はプロレス観戦。最高位は西小結(2001年3月場所)。弟は同じ武蔵川部屋所属の床山・床健、愛称は本名のニシザキ、酒豪。
来歴[編集]
幼い頃から相撲を始め、大輝煌と同じ相撲道場に通っていた。中学時代は相撲部に所属し全国大会に出場する活躍を見せた。武蔵川部屋の関係者から再三の勧誘があり武蔵川部屋に入門を決意した。1988年3月場所初土俵。曙、貴乃花、若乃花、魁皇らと同期。俗に言う「花の63組」の1人である。早くから期待の星とされ1991年7月場所に十両に昇進。1992年5月場所には新入幕を果たした(新入幕は若貴や曙より遅かったものの魁皇より1年早かった)。順調に番付を上げていったが、糖尿病を患って以降、精彩を欠く相撲が多くなり幕下で低迷した。徐々に復調し1998年11月場所に十両に復帰してからは十両・幕内に定着した。かつての様に粘り強い相撲が取れるまで体調が良くなり上位でも安定した成績を残し、2001年3月場所には小結に昇進し武蔵川部屋の全盛期を支えた。西十両6枚目で迎えた2005年7月場所ではわずか3勝12敗という精彩を欠く成績で幕下へ陥落。同年8月11日、引退届を提出、年寄・山分を襲名した。2006年9月30日には両国国技館で引退相撲を行った。2007年6月には部屋のちゃんこ番の元力士(三段目の越ノ山)を竹箒などで繰り返し殴って約2週間のけがを負わせたとして、警視庁は同年9月に書類送検した。
取り口 [編集]
彼の押し相撲は非常にしつこく粘っこく、対戦した寺尾に「接着剤」のようだと言われた、また残る時が非常に巧かった、またこの取り口に関して体毛の濃さと合わせ「毛蟹」や「毛虫」というあだ名も付けられた事もある。
主な成績[編集]
- 通算成績:629勝618敗33休(105場所)
- 幕内成績:204勝254敗22休(32場所)
三賞[編集]
- 敢闘賞:1回
各段優勝[編集]
- 十両優勝:2回
- 幕下優勝:3回
改名歴[編集]
- 西崎 洋(にしざき ひろし)1988年3月-1989年9月
- 和歌乃山 洋(わかのやま -)1989年11月-2005年7月
年寄変遷[編集]
- 山分 洋(やまわけ ひろし)2005年8月-2005年11月
- 山分 裕司(-ひろし)2005年11月-
関連項目[編集]
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