北欧司音

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北欧司音(きたおうじおと、1984年11月28日-)は、入間川部屋に所属した元力士。本名はオット・ユーリカス。エストニア共和国出身。198cm、137kg。最高位は東序二段114枚目(2004年9月場所)。

来歴[編集]

  • 当時のエストニア・ソビエト社会主義共和国パルノマ市に生まれ、地元の高校で柔道、相撲に励んでトレーニングをしていた。卒業後は、深夜のガードマンのアルバイトに就いたが、同じトレーニング仲間でガードマンをしていたカイド・ホーベルソン(のちの把瑠都凱斗)とともに、それに飽き飽きしていた。2003年、2人はエストニアの相撲関係者、リホ・ランニクマーに日本に行って力士になりたい旨を伝えた。ランニクマーは、10月に相撲研修で日本を訪れた際、国際相撲連盟の田中英寿事務総長と面談、2人の意志を伝えた。2004年1月、日本から2人を招待する返事が届いて日本行きが決まり、2月18日に2人で日本に向けて出発した。
  • 日本に着いた2人は、しばらく日本大学相撲部に稽古をつけてもらい、相撲部屋からの勧誘を待った。そしてユーリカスは入間川部屋、ホーベルソンは三保ヶ関部屋に入門が決まり、ユーリカスは本名から北欧司音の四股名を名乗ることになった。[1]
  • 4月27日に行われた新弟子検査で、北欧司は握力計に小指が入らないハプニングがあったものの、右70kg、左75kgを計測、足のサイズも35cmと周囲に期待を持たせ、「将来は横綱になりたい」と抱負を語った。[2]
  • 5月場所で初土俵を踏み、初めて番付に載った7月場所は5勝2敗(このうちの1敗は把瑠都凱斗に喫したもの)と、1場所で序ノ口を通過、9月場所は序二段に上がることになっていた。しかし、肩を傷めたことに加え、ホームシックにかかってしまい、9月場所限りで引退し、母国に帰ることになった。[3]

成績[編集]

  • 通算3場所5勝2敗7休[4]

四股名[編集]

  • 改名歴なし

出典[編集]

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