優奈
優奈(ユーナは日本の作曲家)埼玉県熊谷市出身。芸能事務所 41PROMOTION (フォーワンプロモーション) に所属。花子くらぶのメンバー(音楽ユニット)、音楽プロデューサ、キーボードプレイヤー、ヴォーカリスト、ベーシスト、音楽講師、ラジオパーソナリティ。
来歴・人物[編集]
埼玉県熊谷市にて生まれ育つ。三歳に母親からの進めでバイオリン教室に通い、基礎となる音楽活動の一歩を踏み出す。
四歳に本格的にピアノレッスンを開始、音大入学を目標に、ピアノレッスンに明け暮れる。一般受験にて一発で上野学園大学器楽学科ピアノに入学。ちなみに音楽大学に入学するまでは、一斉ポピュラー音楽の活動は考えていなかったと言う。 (バンド系のミュージシャンを理解出来なかったらしい。松田聖子、南野陽子、浅香唯、マドンナ等には、憧れていたようだ。)
大学の先輩が、相当のヘビーメタルマニアであり、その影響でメガデス、テスタメント、ジューダスプリースト等の激しいサウンドに刺激を受け、ポピュラー音楽に対する興味と関心を持つ。
バイト先で知り合った、タカシューから、バンドのキーボード奏者として誘われ参加。ポピュラー音楽活動の一歩を踏み出す。
目立つ事を本来好む性格上、キーボード奏者での参加に満足が出来ず、ヴォーカリストに転向。
1994年5月に、熊谷ボーグ(現在のVJ-1ヘブンズロック熊谷)にて初ステージ。
ベースの音の魅力にとりつかれ、びっくすの活動の後半からは、ボーカル兼任ベーシストとしてLIVEステージに立つ。
1998年6月、メンバーとの音楽性とLIVE中心の音楽活動に違和感を覚え、池袋サンライズのステージを最後に、びっくすでの活動に終止符を打ち、『日本の唄心♪時代を斬る音心♪』をコンセプトに、タカシューと独自の音楽創作を目的とした二人組のユニット,花子くらぶを結成。
レコーディング制作のみを展開する音楽活動をする。
花子くらぶでの演奏ポジションは、メインボーカル、コーラス、ベース、キーボード(鍵盤楽器)を主に担当。
創作面は花子くらぶ作品の全楽曲、楽曲提供プロデュースアーティストに対しての一部の編曲をメインに担当。
レギュラー出演(2010年)[編集]
RadioMAXさいたまCityエフエム 『まむし天国』パーソナリティー 『ユーナの何かいい事ないかなぁ~?~花子さん!』パーソナリティー
過去テレビ出演[編集]
テレビ埼玉 『ミュージックトラック』1994年 BIGS Live
テレビ朝日 『ブレイクアウト』2000年 花子くらぶ
ディスコグラフィー[編集]
主な作品
シングル 『キューティーダーリン』花子くらぶ(1998年)あなぽっぷの部屋レコード
シングル 『電気ショック』花子くらぶ(1998年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『Mie』花子くらぶ(1999年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『スヌーカー』花子くらぶ(1999年)あなぽっぷの部屋レコード
アルバム 『オスとスメ』花子くらぶ(2000年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『我が闘争』花子くらぶ(2000年)あなぽっぷの部屋レコード
アルバム 『ランタナ』花子くらぶ(2000年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『ヒリ!ヒリ!ガン!ガン!』花子くらぶ(2000年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『ボンベイナッツ』花子くらぶ(2001年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『ヒステリックの高級薬』花子くらぶ(2001年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『雷っ娘!』花子くらぶ(2002年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『花子の国』花子くらぶ(2003年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『浪漫華子』花子くらぶ(2003年)あなぽっぷの部屋レコード
アルバム 『幻想短歌』花子くらぶ(2004年)あなぽっぷの部屋レコード
マキシシングル 『花枕』花子くらぶ(2005年)あなぽっぷの部屋レコード
アルバム 『夜桜天国』花子くらぶ(2006年)あなぽっぷの部屋レコード
~オムニバス参加作品~
『ポテンシャル・オブ・インフィニティ~シリーズ』 (1999年~2006年)ラックス
『ガールズプラネット』 発売元/Seventh Eye 花子くらぶ作品『Mie』
所属芸能事務所[編集]
41PROMOTION ミュージックプロジェクト部