中野坂上駅

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中野坂上駅(なかのさかうええき)は、東京都中野区にある、東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局都営地下鉄)のである。

東京メトロの駅は本町二丁目に、東京都交通局の駅は中央二丁目にそれぞれ所在する。

概要[編集]

東京メトロの丸ノ内線と、都営地下鉄の大江戸線が乗り入れ、接続駅となっている。各路線の駅番号は丸ノ内線がM 06、大江戸線がE 30である。

丸ノ内線については、当駅で本線と方南町支線が分岐しており、かつ当駅が後者の起点駅となっている。方南町支線は一部の列車を除いて、当駅で折り返し運転を行っている。

年表[編集]

  • 1961年昭和36年)2月8日 - 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)荻窪線新宿駅 - 新中野駅間および当駅 - 中野富士見町駅間開通と同時に開業。
  • 1972年(昭和47年)4月1日 - 荻窪線を丸ノ内線に改称。
  • 1973年(昭和48年)11月1日 - 定期券発行機を導入[1][2]
  • 1974年(昭和49年)3月1日 - 自動改札機を導入[2]
  • 1997年平成9年)12月19日 - 都営地下鉄12号線の駅が開業し、乗換駅となる。
  • 2000年(平成12年)4月20日 - 都営地下鉄12号線を大江戸線に改称。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 - 営団地下鉄が民営化され、丸ノ内線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)が継承する。
    • 5月8日 - 丸ノ内線ホームの2番線でホームドアが稼働開始。
    • 7月31日 - 方南町支線でワンマン運転を開始。
  • 2006年(平成18年)8月21日 - 丸ノ内線ホームの1・3番線でホームドアが稼働開始。
  • 2009年(平成21年)3月28日 - 丸ノ内線全線でワンマン運転を開始。
  • 2012年(平成24年)8月11日 - 丸ノ内線新中野駅側に本町方面改札と3番出口がオープン。
  • 2013年(平成25年) - 大江戸線ホームでホームドアが稼働開始。

駅構造[編集]

東京メトロ[編集]

青梅街道の直下に位置する島式ホーム2面3線を有する地下駅である。

中野坂上交差点方面改札には、ホームと改札コンコースを連絡するエスカレーターが設置されているほか、改札外コンコースと1番出口の間は階段に加えてエスカレーターも併設されている。エレベーターは中野坂上サンブライトビル内にあり、改札外コンコースとを連絡している。また、本町方面改札にはホームと地下3階の改札内コンコースを連絡するエスカレーターとエレベーターが設置されているほか、改札外コンコースと3番出口の間にもエスカレーターとエレベーターが設置されている。

のりば[編集]

番線 路線 行先 備考
1 M 丸ノ内線 荻窪方面 一部は2番線
2 m 丸ノ内線(支線) 方南町方面 一部は1番線
A線(荻窪方面1番線)側・B線(池袋方面3番線)側どちらも2番線と称する
3 M 丸ノ内線 新宿銀座池袋方面 一部は2番線

当駅から、荻窪に向かう「本線」と方南町に向かう「支線」(分岐線)とに分かれるため、当駅から荻窪に向かう本線は分岐線の下をくぐり新中野駅に向かう。

当駅は支線の起点および始発・終着駅であるが、朝夕と深夜には中野車両基地への車両の出入庫の関係で、基地最寄りの中野富士見町駅まで直通する本線系統の電車が設定されている。同駅までのホーム有効長は本線系統の6両編成に対応している。それ以外の電車は当駅を始発・終着とする3両編成のワンマン電車が運行される。

支線内運行の電車は中央の2番線で折り返し、両側のドアが開くので1番線ホームと3番線ホームの双方から乗り降りすることができる。ただし、中野富士見町発池袋行は池袋方面ホーム(3番線)から、池袋・荻窪発中野富士見町行は荻窪方面ホーム(1番線)に発着する。

丸ノ内線は第三軌条方式を採用している。通常は乗客が万一軌道部に転落した場合の感電の危険性を低める目的で第三軌条をホームの反対側に設置している。しかし、当駅では2番線ホーム(方南町支線発着ホーム)は両側から乗り降りが可能なため、3番線ホーム側直下に第三軌条があって、感電の危険性が高く[3]、ホームに柵もなかった。このため、レールおよび防護カバーは警戒の意味で赤色に塗られていた。さらに、第三軌条の側面にも防護カバーが取り付けられていた。

2001年頃にホーム改装工事を実施した際に、柱の上部の色で方面を分かりやすくするため、荻窪方面は水色に黄緑色、池袋方面は水色に桃色のタイルが貼付された。

2004年に方南町支線はワンマン運転を開始し、2番線ホームには可動式ホーム柵が設置された。電車到着時以外は可動式ホーム柵が閉まっているため、安全が確保されるようになった。さらに2006年には、本線でもワンマン運転を開始するため、1・3番線ホームにも可動式ホーム柵が設置された。色は1・3番線と2番線で異なる。本線でもワンマン運転が開始されたのは2009年3月28日からで、これで丸ノ内線全線がワンマン運転となった。なお、ホーム柵設置から全線でのワンマン運転開始までは1・3番線の発車ブザーを可動式ホーム柵の線路側に移設しており、列車により発車ブザーを鳴らすことがあった。

方南町支線での当駅での乗り換え放送は冒頭の「乗り換えのご案内です」を省略し、乗り換え案内を放送する。なお、電車到着時の駅での自動案内放送は、他方面への乗り換え案内を流さず、都営大江戸線への乗り換え案内のみを放送する。

自動改札機は、1990年代初頭からの各駅への本格導入以前にも1974年頃から有楽町線銀座一丁目駅とともに試験的に設置されていた。

開業以来、改札口と出入口は西新宿側のみに設置されていたが、2012年8月11日始発より、新中野・中野新橋駅側に本町方面改札と3番出口が新たに設置された。そのため、ホームの幅員が一部狭くなっている。本町方面改札には上りエスカレータ、エレベーターも設置されたが、改札は、赤坂見附駅と同様に、ホームの下に設置される構造となっている。

LED式の発車標が設置される前は、1番線に電動板式の発車標が、2番線の池袋側には2番線からの池袋行を表示する電光掲示板が設置されていた。

都営地下鉄[編集]

山手通り首都高速道路中央環状新宿線山手トンネルの直下に位置する、島式ホーム1面2線を有する地下駅である。そのため、改札口からホームまでを連絡するエスカレーターの距離が非常に長いのが特徴である。

なお山手トンネルは丸ノ内線のわずか2m下、都営大江戸線の5m上の隙間を通している[4]

駅名併称は「実践学園中・高等学校前」であるが、到着時の案内放送では「堀越学園宝仙学園へお越しの方は、こちらでお降り下さい」と流されている。

2010年1月頃から、駅名標の下に「東京工芸大学前」の副名称板が設置された。

駅業務は東京都営交通協力会に委託されており、都庁前駅務管理所管内の受託駅を統括する8区ブロック長が配置されている。

のりば[編集]

番線 路線 行先
1 E 都営大江戸線 都庁前六本木(都庁前のりかえ)飯田橋方面
2 E 都営大江戸線 練馬光が丘方面

利用状況[編集]

  • 東京メトロ - 2011年度の一日平均乗降人員は61,969人である[5]
  • 都営地下鉄 - 2011年度の一日平均乗降人員は33,011人(乗車人員16,424人、降車人員16,587人)[6]である。

各年度の一日平均乗車人員数は下表のとおり。

年度 東京メトロ 都営地下鉄 出典
1992年 21,600 - [7]
1993年 20,693 - [8]
1994年 20,375 - [9]
1995年 19,896 - [10]
1996年 21,219 - [11]
1997年 25,044 5,845[12] [13]
1998年 28,137 8,742 [14]
1999年 29,372 9,997 [15]
2000年 30,112 11,589 [16]
2001年 29,715 13,742 [17]
2002年 29,575 14,427 [18]
2003年 29,697 15,246 [19]
2004年 29,962 15,556 [20]
2005年 30,353 16,025 [21]
2006年 30,718 16,764 [22]
2007年 31,724 17,743 [23]
2008年 32,167 17,542 [24]
2009年 31,893 16,850 [25]
2010年 31,556 16,765 [26]
2011年 31,463 16,468 [27]

駅周辺[編集]

中央 (中野区) も参照

バス路線[編集]

中野坂上駅

中野坂上

歴史[編集]

当初、甲武鉄道は『中野駅』を当駅上に設置する計画であったが、住人の反対運動が起き、東多摩郡中野村(現・中野区中野)に場所を移し開業した。このような経緯があったため、1961年荻窪線に当駅設置の際、反対運動が懸念されたが、特に混乱もなく開業を迎えた。

隣の駅[編集]

東京地下鉄
M 丸ノ内線
本線
新中野駅 (M 05) - 中野坂上駅 (M 06) - 西新宿駅 (M 07)
方南町支線
中野新橋駅 (m 05) - 中野坂上駅 (M 06)
東京都交通局
E 都営大江戸線
西新宿五丁目駅 (E 29) - 中野坂上駅 (E 30) - 東中野駅 (E 31)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]