世界恒久平和研究所
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世界恒久平和研究所(せかいこうきゅうへいわけんきゅうじょ)は、1945年に藤田勇、松岡駒吉らによって設立された政策研究所。清水行之助が陸軍省軍務局から調達した300万円を設立資金とした。
設立の経緯[編集]
1945年8月16日以降、藤田は旧日本無産党の加藤勘十、鈴木茂三郎、片山哲らと徳川生物学研究所の食堂などで会合して、「勤労大衆を基盤とし、国体護持を前提とする」全国的な無産政党の結成を企図した[1]。
このとき藤田は、清水行之助が用意した370万円(三月事件の際に徳川義親から借入れた20万円、陸軍省軍務局の稲葉正夫から調達した300万円を含む)を結党の資金として提供しようとしていた[2]。
しかし、旧社会民衆党系の水谷長三郎が藤田や徳川の入党に反対、会合でも戦争協力者の入党に反発する意見があり、旧日本無産党の関係者は藤田や徳川と訣別するため、生物学研究所から新橋の蔵前工業会館前の貸ビルにあった平野力三事務所に拠点を移し、同年11月2日に日本社会党を結党[3]。
日本社会党から排除された藤田は、松岡駒吉、平野、稲垣守克らと共に世界恒久平和研究所を創設した[4]。
同研究所は基本金300万円により設立されており、清水行之助の370万円の大半は、同研究所に流れたとみられている[5]。
同研究所には、徳川林政史研究所から事務員として立石百合子が参加した[6]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 小田部(1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192
- 中野(1977) 中野雅夫『革命は芸術なり‐徳川義親の生涯』学芸書林、1977年、全国書誌番号:78013751