上野公園

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上野公園(うえのこうえん)は東京都台東区にある日本初の都市公園の一つである。正式名は「東京都立上野恩賜公園」である。「上野の森」「上野の山」とも言われる。

概要[編集]

1873年1月、江戸時代は寛永寺の寺地であったが、明治に入り、当初は大学東校の病院建設予定地となった。長崎医学校教官でオランダ人医師のボードワンが上野の自然が失われることを危惧して一帯を公園として指定し、近代的な公園にすべきと提言した。「1873年(明治6年)1月15日 太政官布達第16号」により、上野山一帯を公園と選定する旨の通達があり「上野公園」が誕生する。1876年、1 月 「東京府」から「内務省博物局」に移管され、上野公園は、博物館所属の公園地となる。1878年(明治11年)3月に内務省博物局が太政官に上野公園地の実測図を提出する[1]1890年、公園地は帝室「御料地」となり、宮内庁の管理下におかれる(大正13 年1 月26 日まで) 。1924年1月、公園地が東京市に下賜され、「上野恩賜公園」となる。1958年、上野公園とその周辺に約 500 灯の水銀灯が新設された。

太政官布告[編集]

太政官布告を受け、東京府は太政官政府に、浅草(金竜山浅草寺)、上野(東叡山寛永寺)、芝(三縁山増上寺)、深川(富岡八幡社)、飛鳥山の5箇所を上申して、東京に五つの公園が誕生した。公園設置の要件2つは(1)官有地であること、(2)「群集遊観ノ場所」であることであった。「太政官公園」といわれる。


府県ヘ
○ 公園設置ニ付地所選択ノ件
三府ヲ始人民輻輳ノ地ニシテ古来ノ勝区名人ノ旧跡等是迄群集遊観ノ場所(東京ニ於テハ金龍山浅草寺東叡山寛永寺境内ノ類、
京都ニ於テハ八坂社清水ノ境内嵐山ノ類総テ社寺境内除地或ハ公有地ノ類)従前高外除地ニ属セル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ
公園ト可被相定ニ付府県ニ於テ右地所ヲ択ヒ其景況巨細取調図面相添ヘ大蔵省ヘ可伺出事」


公園内施設[編集]

公園内施設。

  • 旧寛永寺五重塔
  • 寛永寺清水堂
  • 国立科学博物館日本館(旧東京科学博物館本館)
  • 国立西洋美術館本館
  • 旧東京帝室博物館本館
  • 表慶館
  • 旧十輪院宝蔵
  • 旧因州池田屋敷表門
  • 旧東京音楽学校奏楽堂
  • 寛永寺旧本坊表門(黒門)
  • 常憲院霊廟勅額門及び水盤舎
  • 上野大仏
  • 彰義隊墓碑

文化施設[編集]

①東京国立博物館 ②国立科学博物館 ③国立西洋美術館 ④東京都美術館 ⑤東京文化会館 ⑥恩賜上野動物園 ⑦区立下町風俗資料館 ⑧上野の森美術館 ⑨旧東京音楽学校奏楽堂

  • 日本芸術院会館
  • 日本学士院会館
  • 横山大観記念館
  • 国際子ども図書館
  • 旧岩崎邸庭園
  • 黒田記念館
  • 東京藝術大学美術館
  • 東京藝術大学奏楽堂

銅造[編集]

樹木[編集]

寛永寺を創建した時、天海僧正は上野の山に桜の木を植えた。桜の名所として知られるようになったのは元禄年間と言われる。

  • ①サクラ
  • ②ウメ
  • ③コブシ
  • ④サザンカ
  • ⑤ツバキ
  • ⑥アジサイ
  • ⑦アメリカデイゴ
  • ⑧シャガ
  • ⑨キショウブ
  • ⑩ハンゲショウ
  • ⑪ハス
  • ⑫キツネノカミソリ
  • ⑬ヒガンバナ
  • ⑭ボタン
  • ⑮スイセン
  • ⑯紅葉

==注==