マルティン・ハイデッガー
マルティン・ハイデッガー (ハイデガー)(Martin Heidegger, 1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。
現象学の手法を用い、存在論を展開した。また、後の実存主義などに大きな影響を与えた。
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略歴[編集]
1889年ドイツ・バーデン州メスキルヒにて生まれる。はじめ神学を学ぶが、哲学に専攻を変更。
1913年に学位論文『心理学主義の判断論──論理学への批判的・積極的寄与』を提出。1915年に教授資格論文『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』を提出。主査はリッケルト。エドムント・フッサールに現象学を学ぶ。
1922年『アリストテレスの現象学的解釈──解釈学的状況の提示』(ナトルプ報告)
1927年に未完の主著『存在と時間』で存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試みた。
エルンスト・ユンガーの『労働者・支配と形態』の深い影響を受け、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に入党し、フライブルク大学総長就任演説『ドイツ大学の自己主張』(Die Selbstbehauptung der deutschen Universitat)を行なう。ハイデッガーはナチス左派、突撃隊に共感を抱いていた為、長いナイフの夜を機にナチスに幻滅する。
戦後はナチス協力を問われて、しばらく教職を追われるが、カール・ヤスパースなどの協力により復帰。実存主義者サルトルによってハイデッガーの哲学は実存主義とのレッテルを貼られたが、ハイデッガーはこれを否定した。ポストモダン、ポスト構造主義思想家フーコー、デリダ、ラクー・ラバルトに影響を与えた。特にデリダの脱構築にハイデッガーの形而上学の解体は深い影響を与えた。
また弟子に哲学者のハンス・ゲオルク・ガダマー、哲学者のカール・レーヴィットや政治哲学者ハンナ・アレントがいる。
日本における影響[編集]
初期においては、九鬼周造、三木清、和辻哲郎等の哲学者がハイデガーの思想から影響を受けた。戦後、マルクス主義思想の隆盛等によってその影響は退潮したものの、サルトルやモーリス・メルロー=ポンティらに代表される実存主義との関連で読まれることもあった。紹介者として有名なのは木田元等である。 さらに、80年代のいわゆる「ニュー・アカ」ブームにおいて、ニーチェやデリダの著作と共に知られる機会が多くなった。
著作[編集]
- Die Lehre vom Urteil im Psychologismus. Ein kritisch-positiver Beitrag zur Logik (1913)
- 『心理学主義の判断論──論理学への批判的・積極的寄与』
- Die Kategorien- und Bedeutungslehre des Duns Scotus (1915)
- 『ドゥンス・スコトゥスの範疇論と意義論』
- Phanomenologische Interpretationen zu Aristoteles (1922)
- 『アリストテレスの現象学的解釈――解釈学的状況の提示』
- Sein und Zeit (1927)
- 『存在と時間』
- Nietzsche (1961)
- 『ニーチェ』
関連項目[編集]
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