ブリキ
ブリキ(錻力・鉄葉は当て字、英語:tinplate)は、スズをめっきした鋼板のことである。缶詰など、常に水分と接触する部材に用いられるほか、かつては玩具の主要な材料でもあった。
性質[編集]
イオン化傾向により、スズは鉄より腐食しにくいため、全面を覆うことで鉄の腐食を防ぐことができる。しかし、一部でも鉄が露出すると、その箇所から鉄の腐食が広がるのが欠点である。
なお、鉄より腐食しやすい亜鉛をメッキしたものは、トタンと呼ばれる。
主な用途[編集]
ブリキの玩具[編集]
日本国内ではブリキの板をロボットや自動車・鉄道車両(電車など)・船舶・航空機など乗り物のような形に成形・塗装した玩具を「ブリキのおもちゃ」と呼び、懐古趣味的に愛好する人々がいる。昭和初期~中期の生活史を懐かしむ文脈に、ブリキのおもちゃは現れる。19世紀から20世紀初頭にかけてドイツのメーカーが主戦場を築き上げたが、第一次世界大戦後、日本のメーカーが台頭して重要な輸出品になった。全盛期は戦後1950年代~1960年代(昭和20~30年代)で、その郷愁を意欲的に追求するために金銭と労力を投入してでもブリキのおもちゃを蒐集する愛好家も存在し、彼らの中で稀少価値の高い品が高値で売買されている。
戦後の復興期においてブリキ製玩具の輸出は外貨獲得に貢献した。当時の玩具に錆びやすいブリキが使用されていた理由はコスト面だけでなく、主力産業へ優先して供給すべき伸銅製品の使用が玩具には制限されていた事も一因と思われる。(玩具ではなく教材として販売する場合は伸銅の使用は認められていた)
アサヒ玩具(後にママレンジシリーズを発売後ブリキ玩具から撤退)・バンダイ(後発だが赤箱シリーズの発売により台頭し、後に米国3大メーカーの一社TONKAと提携JAPAN TONKAを発売の後、キャラクター玩具中心となる)・イチコー(最後までブリキにこだわり、子供服のMIKIHOUSEとのコラボでも活躍)・増田屋コーポレーション(ラジコン=ラジオコントロールを1955年に世界に先駆けて玩具に応用、商標を保有)等が有名。
ブリキの玩具は資本投下も少なく、金型の製造以外は高度な技術や熟練した工程も少ない。そのため発展途上国が工業化・近代化を促す第一歩として最適な産業と言えよう。戦後日本の輸出を支えたのは燕の洋食器とブリキ玩具とも言われている。その後高度成長期において人件費の高騰によりプラスチックなど主に石油を原料とした作業工程も少なく、人件費のかからないものがブリキにかわり玩具の主流となっていった。昨今一部の蒐集家によりブリキの玩具は過去のものというイメージが強いが現在でも日本を始めとしてマニア向けの復刻版だけでなく、少数ではあるが幼児用の商品が生産されている。ただ、人件費の安い海外製のものも多くなっており、それらはST(玩具安全基準)を満たしていないものもあるので幼児に与えるには注意が必要と思われる。
ブリキ製品は大別して塗装と印刷の2種類に分けられる。ブリキの板をプレス加工した後、さびないように下地に塗装を掛け、もう一度塗装をかける。玩具などでは大体0.25mm~0.4mmが中心で欧米では鋭利で触ると危険なプレスの切断面をジャブ付けと言われる厚地の皮膜で覆うことが多く、そのため比較的厚めである。日本製のものは切断面をもう一度プレスで工程をかけ、折り曲げて安全にする手法をとっており、そのため薄目のものが多い。また塗装も下地をかけてからもう一度塗装するなどの気配りをしている。印刷されたブリキ板をプレス加工し、組み立てるものは印刷のデザインが加工されて出来上がったものを想定したものとなるため高度な技術が必要となる。何回ものテストを繰り返して初めて想定した製品となりうる。印刷は主にスクリーン印刷が使用される。
昔の製品には白色顔料に鉛化合物が含まれていた為に経年変化により黄色味を帯びている。占領下の日本で生産された事を示す"occupied japan"の表示のある物は高値で取引されている。
語源についての異説[編集]
- オランダ語のBlikjeから来たという説。
- 明治時代、レンガを鋼板で保護しているものを見た日本人が、鋼板のことを尋ねるつもりでそれは何かと質問したところ、"brick"(レンガを意味する英語)という答えが返ってきたことから誤って付いた名である、とする説。しかしブリキについては江戸時代より知られており、この説は疑わしい。
関連項目[編集]
- トタン、亜鉛めっき鋼板 - 鉄よりも錆びやすい亜鉛をめっきして、鉄の錆を防ぐ鋼板。食品包装には使われない。
- 『ブリキの太鼓』 - ギュンター・グラスの小説。ブリキの玩具。
- 一斗缶 - 典型的なブリキ缶製品。
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