デマゴーグ
デマゴーグ(独:Demagog)は、古代ギリシアの煽動的民衆指導者のこと。英語ではdemagogueであり、rabble-rouser(大衆扇動者)とも呼ばれ民主主義社会に於いて社会経済的に低い階層の民衆の感情、恐れ、偏見、無知に訴える事により権力を得かつ政治的目的を達成しようとする政治的指導者を言う。デマゴーグは普通、国家的危機に際し慎重な考えや行いに反対し、代わりに至急かつ暴力的な対応を提唱し穏健派や思慮を求める政敵を弱腰と非難する。デマゴーグは古代アテネの時代より民主主義社会に度々現れ、民主主義の基本・原理的な弱点、則ち究極的な権限は民衆にありその中でより大きな割合を占める人々の共通の願望や恐れに答えさえすれば(それらがどの様なものでも)政治的権力を得られるという点を利用した。
概要[編集]
古代ギリシア語ではデマゴゴスと言う。日本においては主に、意図的に虚偽の情報を流し、嘘をついて人を扇動しようとするさまを指してデマゴーグと批判として用いられるが、「流布された誤った情報」の意味でのデマ、それを意図的に流すものとしてのデマゴーグは日本に限った用法であり、本来「嘘」の意味は無い。
語源は「民衆を導くであり、本来は民衆指導者を指すが、アテナイではペリクレスの死後、クレオンを初めとする煽動的指導者が続き、衆愚政治へと堕落した。このことから「デマゴーグ」は人々の感情や偏見に訴え、力を得る政治家や権力者の意味で使われるようになった。また、彼らの民衆煽動はデマゴギーと呼ばれる。
煽動政治家クレオン[編集]
クレオンはアテナイの政治家である。典型的なデマゴーグとされ、好戦的な主張で民衆を煽動した。
ペロポネソス戦争中の紀元前429年に指導者ペリクレスが病死すると、弁論術を武器に民衆の人気を集めたクレオンらは、スパルタとの和平案に反対し、民会で戦争の継続を主張した。このため戦争は続行されたが、クレオンは紀元前422年に戦死した。彼の死の翌年にニキアスの和約が成り、平和が訪れるかに思えたが、後に遠征軍が悲劇的な末路を遂げたシケリア遠征を唱えたアルキビアデスによって戦争は再開された。アテナイは適切な指導者を欠いたため漸次敗北した。紀元前404年に降伏したアテナイはギリシアの覇権を失い、デロス同盟は解散し、全てを失った。
アリストパネスやトゥキディデスはクレオンを粗野な成り上がりのデマゴーグ、主戦論者として酷評している。