シング

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株式会社シング (CING INC.) は、かつてコンピュータゲーム、携帯電話向けゲームコンテンツの企画・制作を行っていた企業である。

概要[編集]

リバーヒルソフトで『殺人倶楽部』『琥珀色の遺言』などのゲームデザインを手がけた宮川卓也や、同じくシナリオを担当した鈴木理香らによって設立された。

リバーヒルソフトの系譜をもっとも受け継いだデベロッパーとして、質の高いアドベンチャーゲームで一定の評価を得ていた。

しかし、「王様物語」の開発が長引き開発費がかさんだことや、2009年後半に持ち込みの自社企画が相次いで不採用となるなど受注量が減少したことで経営が悪化。2010年3月1日、破産手続申請の準備に入ったと報じられた。

「作るだけ」では生き残れない[編集]

3月1日、ゲームソフト開発を手掛けるシングが破産手続申請の準備に入った。負債総額は約2億5,600万円が見込まれる。この一報が流れるや否や、国内外で倒産を惜しむ声や、逆に同社を批判するような書き込みが一斉にネット上でなされた。ゲームソフト開発においては一定の評価を得ていた同社がなぜ倒産に至ったのか、その経緯を追った。

当時は息巻いていた[編集]

シングの代表を務めていた宮川卓也氏は、もともと、福岡市に本社を構えコンシューマー(CS)やパソコン(PC)でゲーム開発を手掛けていた(株)リバーヒルソフトゲームデザイナー。そこで専務だった鈴木理香氏、総務部長だった城内眞保氏(城内氏と鈴木氏は姉妹)、プログラマーだった市丸俊彦氏らと独立し、1999年4月にシングを設立したのが同社の始まりである。

リバーヒルソフトは、テトリスオンライン・ジャパン(株)(福岡市中央区、2005年12月設立)の元代表だった岡崎一博氏が鈴木理香氏らと1982年に立ち上げた、パソコン向けのゲーム開発・販売会社。初期からのスタッフとして、宮川氏や市丸氏、そして現在(株)アルティ(福岡市早良区、1999年4月設立)の社長を務めている宮崎慈彦氏らが参加していた。1998年10月に(株)レベルファイブを立ち上げ、福岡のゲーム業界をけん引する立場となった日野晃博氏も元リバーヒルソフトのプログラマーだった。

「殺人倶楽部(マーダークラブ)」「琥珀色の遺言」など、とくにアドベンチャーゲームでは業界内やゲームファンからも比較的高い評価を得ていた。一連のシナリオは鈴木氏が、ゲームデザインは宮川氏が手掛けていたという。しかし、97年~98年頃より業績悪化が表面化し、数度のリストラを行ない、その過程で宮川氏らの独立などもあってリバーヒルソフトの経営は立ち行かなくなった。2000年からモバイル向けコンテンツ制作に方針転換するも、04年3月1日にはアルティへNTTドコモiモード公式サイト運営事業のすべての権利を譲渡。同年6月には破産宣告を受けた。

こうしてリバーヒルソフトはなくなったが、その系譜をもっとも受け継いだのがシングだった。新しく会社を設立した後も、質の高いアドベンチャーゲームを開発することで一定の評価を得ており、相応の知名度を有していた。

代表作となった任天堂DSソフト「アナザーコード 2つの記憶」(発売日05年2月24日)の販売本数が13万本、「ウィッシュルーム 天使の記憶」(発売日 07年1月25日)が21.5万本と言われており、「当時のシングは息巻いていた」と同社を知る関係者は語る。

「勝ち組」と目されたが[編集]

ピークとなる2008年8月期の売上高は5億7,700万円で、当期利益1,015万円を計上していた同社。一時は(株)トーセ(京都市下京区、代表:齋藤茂)の子会社となり、トーセ事業本部営業推進室長の西忠司氏が同社取締役会長を務めたこともあったが、09年8月期までに関係を解消。同期の売上高は2億8,412万円に半減、1億1,900万円の当期赤字を計上し1億5,900万円の債務超過となっていた。

「勝ち組」と目されていた同社が倒産に至った要因は何か。複数の関係者の話から、推測の域は出ないが検証してみよう。

まず、取引業者など一部関係者によると、もともと利益率が低い体質だったところに、09年9月3日にリリースされたWiiソフト「王様物語」の開発期間が3年と長期化したことが挙げられる。同ソフトは、元リバーヒルソフトの社員だった安永紀和氏がゲームデザイナーとして参画し、(有)タウンファクトリー(福岡市博多区、代表:湊伸一)と共同企画して製作していた。湊氏もまた、元リバーヒル社員である。

利益率が低かった理由として考えられるのは、1本あたりの開発に関わる人件費だ。同社の場合、プロパーに加えてアルバイトや外部スタッフと常駐契約して開発に当たっていたようだ。1本のタイトルに対して支払われる開発費は、納品までの期間や販売計画などを勘案して契約段階で決まる。そのため開発が遅れると利益率が落ちる。

昨今、任天堂ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)もクオリティチェックの基準が高くなっており、細部にわたって一定の基準をクリアできなければ納品には至らない。ゆえに、納期を守るうえでもクオリティを維持するうえでも人手に頼るしかないため、プロジェクト終盤は人件費がかさむ傾向にあったという。

また、新たに開発費を得ようと昨年後半に行なったプレゼンが続けて不採用になったのも原因の1つという話も聞かれる。さらに、携帯向けコンテンツの開発やインターネットのウェブサイト制作・管理なども、受注量が一時期に比して減っていたとも言われている。

どこで明暗分かれたか[編集]

同社が開発し、2010年1月に発売されたDSソフト「ラストウィンドウ 真夜中の約束」は、ゲーム専門誌でも非常に高い評価を得ていた。決して技術面で他社に劣っていたというわけではない。では、同じソフト開発会社出身でありながら、倒産した同社と急成長したレベルファイブとの大きな違いは何か。

どちらも設立当初は、任天堂やSCEの販売タイトル向けに商品開発を行なう、いわゆる「デベロッパー」だった。しかし2006年以降、レベルファイブは自社開発のゲームソフトを自社で販売する「パブリッシャー」になった点が大きく違うと考えられる(ただし、レベルファイブにも「ドラゴンクエスト」のようにデベロッパーラインは存在する)。

デベロッパーが受注に至る主な経路は2つある。1つは、自社企画を任天堂やSCEに持ち込み承認を受け、開発までして納品するパターン。もう1つは、任天堂やSCEからの開発依頼を受けるパターン。ほかにも他社タイトルのコンバート(あるハード用につくられたソフトをほかのハード用に移植すること)や共同開発というパターンもあるが、デベロッパー案件の多くはこのいずれかである。自社でのパッケージ販売を行なわないため、開発費がそのまま「売上」になる(売上本数に応じたインセンティブの契約がつく場合もある)。

したがって、同社の場合は開発費が確保できなければ致命的となる。最近ではヒット作に恵まれず、開発の遅れも重なったことから開発費負担がのしかかったこともあるが、一部では「浦島太郎化した会社」とも揶揄されている。

今の時代、ゲーム業界は「ただ面白いものを作る」だけでは生き残っていけない。そこには時代に沿って戦略的に販売していく仕掛けが必要だ。それはプレゼンで売り込む場合もしかりである。事実、レベルファイブは「レイトン教授」や「イナズマイレブン」などの作品を、ただ作るだけでなく、戦略的な広告宣伝で巧みに顧客の購買意欲をかきたて、しかもシリーズ化して長く愛されるような仕掛けを構築している。

ほかにも、「人使いが粗かった。契約途中でも服務規定に少々違反するだけで解雇や契約解除となるケースが多かった」(元契約スタッフ)など、組織作りにも難があったようだ。いずれにせよ、ゲーム業界が抱える問題が表面化した倒産劇だった。

開発作品[編集]

プレイステーション2[編集]

ニンテンドーDS[編集]

Wii[編集]

沿革[編集]

  • 1999年 有限会社シング設立。
  • 2000年 有限会社から株式会社に改組。
  • 2004年 本社移転。
  • 2005年 本社を現所在地に移転。
  • 2008年 東京オフィスを現所在地に移転。
  • 2010年 破産手続申請準備に入る。負債総額は約2億5,600万円。