クィディッチ
クィディッチ(英語: Quidditch)とは、イギリスの児童文学作家J・K・ローリングが、スポーツという概念を一切理解しないまま、己の主人公であるハリー・ポッターを、何の努力もチームワークもなしに「学園のヒーロー」として活躍させるためだけに生み出した、史上最も欠陥だらけの球技(の形をした何か)である。
その本質は、スポーツマンシップや戦術の探求ではなく、ただ一人の「選ばれし者(シーカー)」が全てを決定し、残りの12人(両チーム)がその前座として命がけの空中サーカスを繰り広げるという、「ハリー・ポッター俺TUEEEE化システム」(HPOS)に他ならない。
この文学史上類を見ない「クソゲー」がいかにして成立し、そしてなぜ魔法界の住人たちが、この根本的に破綻したシステムに狂喜乱舞しているのか、その集団ヒステリーの謎に迫っていこう。
目次
はじめに[編集]
イギリス(及び日本)を代表する大人気小説兼映画『ハリー・ポッター』。その世界観を彩る重要な要素の一つが、この「クィディッチ」である。 しかし、我々「マグル」(非魔法族、すなわち常識人)の頭の中には、この競技について、常に二つの巨大な謎が、アズカバンのディメンターのように浮かび上がってくる。
1.チェイサーとキーパーの、絶望的なまでの存在意義のなさ
2.なぜ、こんな「クソ」みたいなバランス崩壊ゲームに、登場人物(特にオリバー・ウッド)は命を賭け、熱狂しているのか
実際、ホグワーツの生徒たちは、クィディッチ以外のスポーツ(例えば、サッカーやバスケットボール、あるいはドッジボール)に、一切の興味を示さない。彼らのスポーツ観は、完全にクィディッチによって汚染され、麻痺している。これはもはや「人気スポーツ」の域を超え、「カルト」であり、狂気の沙汰である。
「クソゲー」たる所以[編集]
まず、クィディッチがいかに常軌を逸した「クソゲー」であるかを、ルールから紐解いてみよう。 このゲームは、2チーム(各7名)で構成され、4つのボールを使用して行われる。
- クアッフル(赤いボール):1個。これを相手のゴール(3つの輪っか)に入れると10点。
- ブラッジャー(黒い暴れ球):2個。選手を無差別に攻撃する。
- 金のスニッチ(黄金の高速球):1個。これを捕まえると150点。そして、その時点でゲームが強制終了する。
聡明な読者の諸君は、もうお気づきだろう。 そう。このゲームの最大の問題点、それは「金のスニッチ(150点)」の存在である。
通常のスポーツ、例えばバスケットボールを考えてみよう。3ポイントシュートは高得点だが、それだけで試合が決まることはない。1点差を積み重ねる地道な努力が、最終的な勝利に繋がる。
しかし、クィディッチは違う。仮に、AチームがBチームに対し、140対0 という、コールドゲーム級の圧倒的な差をつけてリードしていたとしよう。Aチームのチェイサーたちは血反吐を吐くような努力を重ね、キーパーは神がかり的なセーブを連発した。その瞬間、Bチームのシーカー(ただ、ぼーっと空を眺めていただけ)が、たまたま目の前を通りかかった「金のスニッチ」を捕まえる。
結果:Aチーム 140点 vs Bチーム 150点
Bチームの勝利である。
Aチームが90分間積み上げてきた全ての努力、戦術、血と汗の結晶は、最後の数秒で、たった一人の「スニッチ・ハンター」によって、全て無に帰される。これがスポーツと呼べるだろうか? いや、呼べない。これは、ロジックの崩壊であり、努力の否定である。
チェイサーたちがやっている10点刻みの攻防は、メインゲームではなく、スニッチ争奪戦という「本番」が始まるまでの、壮大な「前座」、あるいは「時間稼ぎ」に過ぎないのである。
メンバー構成[編集]
このゲームのルールが、いかに「ハリー・ポッター」という主人公に最適化されているかは、各ポジションの役割(という名の「存在価値の格差」)を見れば、火を見るより明らかである。
シーカー (Seeker) - 唯一神、エース、そして「戦犯」候補[編集]
- 役割:金のスニッチ(150点)を捕獲する。
- 存在意義:100%(むしろ150%)
第一の必要ポジション。むしろ、これ以外のポジションは、厳密には必要ないとすら言われる。 シーカーの仕事は、チームワークではない。仲間と連携すること(パス)も、守ること(ディフェンス)もない。彼の仕事は、ただ一人、孤独に空を飛び、試合の99%を決定づける「I WIN ボタン」である金のスニッチを、相手より先に見つけ、押すことだけである。
このポジションこそ、J・K・ローリングがハリー・ポッターのために用意した、完璧な「俺TUEEEE」装置である。
なぜ、ハリーに最適化されているか?
- 体格不問: むしろ、小柄で軽量(虐待により痩せている)な方が、高速飛行に有利。
- スポットライト独占: 試合の勝敗は、100%、彼一人の手に委ねられている。彼が勝てば(スニッチを獲れば)、彼は学園のヒーロー。彼が負ければ、ただ彼一人が非難される。
ハリー・ポッターという、協調性があまりなく、地道な基礎練習を嫌い、しかし目立ちたい(運命によって目立たされてしまう)という、複雑な中二病的主人公の自己顕示欲を満たすためだけに、この「シーカー」というポジションは錬成されたのである。
ビーター (Beater) - ほぼ無罪の暴力装置[編集]
- 役割: 棍棒を持ち、ブラッジャー(暴れ球)を打ち返し、敵選手(主にシーカー)を攻撃する。
- 存在意義:40%(まあ、なくても良いが、あっても良い)
第二の必要ポジション。彼らは、試合の勝敗には直接関与しない。彼らの仕事は、「合法的な傷害行為」である。 ブラッジャーという、鉄(推定)でできた、自意識を持つ砲弾が、無差別に選手を襲う。それを、ビーターはバットで打ち返し、敵チームに「お見舞い」する。
冷静に考えてほしい。これは、普通に危なすぎる。魔法界には、「骨を粉砕されても、一晩で治せる」という、ふざけた医療技術(魔法)が存在するため、この危険極まりないルールが許容されているに過ぎない。マグル界でこれをやれば、試合開始3分で傷害致死事件が発生し、競技は即刻禁止、関係者は全員逮捕である。
このポジションの唯一の戦術的価値は、敵シーカーを集中攻撃し、病院送りにすることだけである。原作や映画では、なぜかチェイサー(どうでもいい10点係)にもブラッジャーを打ち込んでいるが、これは戦術的に全く意味がない。ビーターの正しい運用は、2人がかりで、敵シーカー1人を、殺さない程度に半殺しにすることである。
このポジションは、「スポーツ」ではなく、試合を「デスマッチ」に変貌させ、ハリー・ポッター(シーカー)の受難を演出するための、舞台装置(ギミック)なのである。
チェイサー (Chaser) - 悲劇の「無駄」担当[編集]
- 役割: クアッフル(10点)を相手ゴールに入れる。
- 存在意義:-5%(マイナス。いない方がマシ)
いらない。
彼ら(3人)は、この『クィディッチ』という壮大な茶番劇における、最も悲劇的な存在である。彼らは、クィディッチというゲームの中で、唯一「スポーツらしい」こと(パス、フォーメーション、シュート、ディフェンス)を律儀に行っている。彼らは、血の滲むような練習を重ね、10点を奪い合う、まっとうな「空中バスケットボール」を繰り広げているのだ。
しかし、その地道な10点の積み重ねは、常に「どうせ、あとでシーカーが150点獲って、全部ひっくり返すんでしょ?」という、虚無感(ニヒリズム)に晒され続ける。彼らが10点ゴールを決めた時、観客は「おおー(一応、拍手しとくか)」という、生ぬるい反応しかしない。なぜなら、観客(と作者)の視線は、今、この瞬間も、空の彼方で黄昏れているシーカー(ハリー・ポッター)に釘付けだからである。
彼らの努力は、完全に無駄。彼らの存在は、シーカーがスニッチを見つけるまでの「時間稼ぎ」でしかなく、その存在自体が、このゲームの不条理を際立たせるための「哀れな道化」なのである。
キーパー (Keeper) - 史上最も無意味な「壁」[編集]
- 役割: チェイサーが放つクアッフル(10点)から、3つのゴールを守る。
- 存在意義:-100%(チェイサーより悲惨。なぜならカメラに映らない)
もっと、いらない。彼らの悲惨さは、チェイサーのそれを遥かに凌駕する。
チェイサーは、まだ3人で連携し、フィールドを飛び回る「見せ場」がある。しかし、キーパーは、試合中、ただ一人、クソでかい3つの輪っか(ゴール)の前で、ひたすら待つだけである。
彼が守るものは何か? 10点である。彼が100回スーパーセーブをしようが、相手のシーカーがスニッチを獲れば、150点入って負けである。
彼の仕事は、勝敗に全く寄与しない点数(10点)を、ただ守るだけ。オリバー・ウッドは、グリフィンドールのキャプテンであり、キーパーであった。彼は、毎日毎日、狂ったように作戦盤を眺め、チェイサーのフォーメーションを考案し、ハリー(シーカー)をマンツーマンで指導した。
しかし、彼自身の本職(キーパー)の仕事は?「10点を防ぐこと」である。彼は、自らの人生を、ゲームの勝敗に一切関係のない、無意味な作業に捧げていた、最も純粋な「狂人」であり、最も哀れな「犠牲者」であった。彼がどれだけ失点を防ごうと、ハリーがスニッチを獲り逃した瞬間に、彼の4年間の努力は全て「無」と化す。この残酷なシステムに気づかず(あるいは、気づかないフリをして)、熱狂し続けた彼の姿は、涙を禁じ得ない。
唯一の存在意義[編集]
ここで、浅ましい考えをした反論者も多いだろう。
「待て。もし、自分チーム(グリフィンドール)が160点入れていて、相手(スリザリン)は0点だったら? その状況で、相手のシーカー(マルフォイ)がスニッチ(150点)を獲っても、160対150で、ウチの勝ちだ! これこそ、チェイサーとキーパーの努力が報われる瞬間ではないか!」
なるほど。確かにその通りだ。この、「160点以上の点差をつける」という、極めて稀な、限定的なシチュエーションにおいてのみ、チェイサー(10点)の努力は、初めて意味を持つ。
しかし、それで何になるというのか。このシナリオは、チェイサーやキーパーが「役に立つ」ことを証明するものではない。これは、シーカーという存在が、「戦犯」になる可能性を秘めていることを証明する、極めて歪んだシナリオなのである。
クィディッチにおいて、シーカーが「戦犯」となる負けパターンは、主に二つ存在する。
- 戦犯パターン1:シーカーが「獲った」せいで負ける(例:グリフィンドール 0点 vs スリザリン 160点)
この絶望的な状況で、ハリー(シーカー)が、起死回生を狙って金のスニッチ(150点)を獲ったとする。
結果:グリフィンドール 150点 vs スリザリン 160点。 試合終了。敗北。
この時、ロッカールームで何が起こるか?
チェイサーたちは言うだろう。「ハリー…なぜ獲った…。俺たちが、あと2ゴール(20点)獲るまで、なぜ待てなかったんだ!」と。この場合、シーカーは「試合を終わらせるタイミングを間違えた」という、究極の「KY(空気読めない)」戦犯となる。
- 戦犯パターン2:シーカーが「獲られた」せいで負ける(例:グリフィンドール 140点 vs スリザリン 0点)
チェイサーたちが死ぬ気で14ゴールを決め、勝利目前。その瞬間、ハリーが油断し、相手のシーカー(マルフォイ)にスニッチ(150点)を獲られたとする。
結果:グリフィンドール 140点 vs スリザリン 150点。 試合終了。敗北。
この時、ロッカールームで何が起こるか?
チェイサーたちは言うだろう。「ハリー…なぜ獲られた…。俺たちが、あれだけ140点も獲った(というどうでもいい点)のに! お前一人のせいで、俺たちの努力が全てパーだ!」と。
そう。チェイサーとキーパーという地位は、この「どちらに転んでも、全てをシーカー一人のせいにできる」という、究極の「責任転嫁」システムにおいてのみ、その存在意義が輝くのである。彼らの仕事は、勝つために160点以上獲ることではない。「負けた時に、『俺たちは(0点だろうが140点だろうが)仕事をしていたのに、シーカーが(獲るタイミングを間違えた、あるいは獲られた)せいで負けた』と、全ての責任をシーカー一人に押し付ける」そのための、アリバイ作りなのである。よって、やはり、いらない。
結論[編集]
見出しで言った通り、このクィディッチという名の「クソゲー」は、大してスポーツ好きでもない(と、そのルール設計の雑さから断言できる)J・K・ローリングが、主人公ハリー・ポッターを「俺TUEEEE」させるためだけに最適化された、究極の「主人公補正」装置である。
作者は、主人公をヒーローにしたかった。しかし、ハリーはいじめられっ子で、学業もハーマイオニーには勝てず、運動神経も(普通のスポーツでは)未知数。そんな彼を、どうやってヒーローにするか?
- チームワーク(パス)や地道な努力(得点)が必要な「チェイサー」はダメだ。
- 屈強な肉体(と暴力性)が必要な「ビーター」もダメだ。
- ひたすら待つだけの「キーパー」は地味すぎる。
そうだ!「シーカー」を作ろう!「血統(才能)だけでレギュラーになれて、チームワークは一切不要。試合の9割は空を眺めてるだけで、最後の1分で、たった一人で試合をひっくり返し、全校生徒の喝采を浴びることができる」 そんな、夢のようなポジションを。
クィディッチは、スポーツではない。それは、ハリー・ポッターという「お客様」を、チームメイト(という名のホスト)全員で接待し、必ず勝利という名の「快感」を与えるための、壮大なる「接待ゲーム」なのである。魔法界の住人が、この破綻したゲームに熱狂している理由は、ただ一つ。
彼ら全員が、ハリー・ポッターという物語の「エキストラ」だからである。
