イギリスの歴史
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イギリスの歴史(イギリスのれきし)
古代[編集]
- 前6世紀頃、ケルト人が大陸から侵入して先住民を征服[1]
- 前1世紀、ローマ軍が侵攻してイングランド南部を支配[1]
- 5世紀、ゲルマン民族のアングロ・サクソン人が侵入してイングランドに小王国群を形成[1]。ケルト人はウェールズやスコットランドに移住[2]。
中世[編集]
- 11世紀、ノルマン系デーン人の侵入[1]
- 1066年、大陸北西部から侵攻してきたノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世〈征服王〉)がイングランドを統一した(ノルマン朝)。その後、断絶。[1]
- 1154年-1399年 プランタジネット朝[1]
- 1215年、貴族が結束し、王権を制限するマグナ・カルタ(大憲章)を認めさせる[1]。
- 1282年[2]または1284年[1]にウェールズを併合
- 1295年、身分制議会を形成[1]
- 1337年‐1453年、英仏百年戦争[2]
- 1343年、上下両院制となる[1]
近世[編集]
- 16世紀前半、ヘンリー8世主導の宗教改革でイギリス国教会が成立。国王を首長と定めてローマ教皇の権威から離脱し、絶対王政も進展。[1]
- 1558年 - 1603年のエリザベス王朝時代には、1588年にスペインの無敵艦隊を撃破、1600年に東インド会社を設立した[2]。
- 1642年-1649年、宗教的・社会的対立からイギリス革命が起こり、1649年-1660年にかけて王政廃止。[1]
- 王政復古後も国王との対立は止まず[1]
- 1688年の名誉革命の後、1689年の権利章典によって議会主権の立憲君主国となる[2][1]。次第に「国王は君臨すれども統治せず」の原則が生まれる[1]。
- 16世紀後半以降、海外植民地を拡大。[1]
- 1707年、スコットランドを併合し、グレート・ブリテン王国成立[2][1]。
- 1714年、ハノーバー朝が発足し、議院内閣制が成立[2]。
近代[編集]
- 18世紀後半、木綿工業から始まる産業革命を達成。広大な海外植民地とあわせて「世界の工場」と称される。[1]
- 1801年、アイルランドを併合してグレートブリテン・アイルランド連合王国となる[2][1]。
- 1837年 - 1901年、ヴィクトリア王朝時代[2]。
- 1830年、リバプールとマンチェスターを結ぶ、世界初の鉄道が開通[1]。
- 19世紀後半、選挙法改正など自由主義的改革が進む。[1]
- 19世紀後半の「帝国主義時代」の開始期に絶頂期を迎える。[1]
- 1922年、第1次世界大戦の後でアイルランドの大部分が独立。グレートブリテン・北部アイルランド連合王国となる。[1]
- 1931年、海外植民地と英連邦を形成[1]
現代[編集]
- 第2次世界大戦の後、植民地の独立が相次ぐ[2]。
- 1949年、NATOに加盟[2]。
- 1945年-1951年、労働党政権の下で基幹産業の国有化や保健サービスの拡大など、福祉国家建設の道を歩む。[1]
- 経済の停滞と米・ソ両陣営の冷戦で世界政治における発言力は低下[1]
- 1965年、ポンド危機が深刻化[1]
- 1966年、賃金・物価統制令を発布[1]
- 1973年、ヨーロッパ共同体(EC)に加盟[2][1]。
- 1979年、保守党のサッチャーがイギリス史上初の女性首相に就任(1990年まで在任)。民営化路線を軸とする新自由主義的政策を導入して経済基盤回復を実現。[1]
- 1982年、アルゼンチンとのフォークランド紛争勃発[2]。
- その後も保守党と労働党の政権交代が生じる。[1]
近況[編集]
- 2003年、労働党のブレア政権(1997年-2007年)はアメリカのイラク戦争に追随して一部から批判を受ける[1]。
- 2008年、EU新基本条約を批准[2]。
- 2010年、下院の総選挙で労働党が敗れ、保守党と自由民主党の連立政権が成立[2][1]。
- 2016年、国民投票でEU離脱を決定[2]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 二宮書店 (2017) 二宮書店編集部『データブック オブ・ザ・ワールド 2017年版』二宮書店、ISBN 978-4817604118
- ハンドブック (2013) 「世界各国ハンドブック」編集委員会『ニュースがわかる 世界各国ハンドブック』山川出版社、ISBN 978-4634640641