こかん
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こかんは、天理教教祖中山みきの末の子として、天保八年(1837年)十二月十五日に生まれた。 そして、こかんがようやくもの心のついたころには、教祖は、神のやしろとして、世界の人間をたすけるために、貧に落ち切る道を急がれていた。 それで、こかんは、変わりゆくわが家の姿を見ては、子ども心にさびしい思いをしたこともあったが、だんだん成長するにつれて、教祖のしていることが、世界たすけのためであるとわかり、自分も、教祖の手伝いをしたいと決心した。 嘉永六年(1853年)、こかんが、十七才年の二月、思いがけず、父が出直しになり、家は、いよいよ貧のどん底へと向かった。 こかんは、この大ぶしの中を、教祖のことばを素直にうけて、はるばる大阪へ神名を流しに行った。 そして、にぎやかな町のつじつじに立ち、手にした拍子木を打ちながら、 「なむ天理王命、なむ天理王命。」 と神名を流した。 これが、お道のにをいがけの始まりになった。 http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/tenridokuhon_/dokuhon6.html#09