西川恵

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西川恵(にしかわ めぐみ、男性、1949年- )は、親共左翼思想の毎日新聞社外信部専門編集委員。

長崎県生まれ。1971年東京外国語大学中国語専攻卒、毎日新聞社入社。社会部を経て79年外信部。82-84年テヘラン支局、86-93年パリ支局長、96-98年ローマ支局長。97年『エリゼ宮の食卓』でサントリー学芸賞受賞、98-2001年外信部長。論説委員を経て2002年専門編集委員。フランス政府農事功労賞、2009年フランス国家功労勲章受章。

主張

「日韓交流おまつり」が、2011年9月25日はソウルで、10月1、2の両日は東京でと、共鳴するように開かれた。日本と韓国の人々が一緒に作り上げる交流事業で、そもそもは2005年に日韓国交正常化40周年を記念した「日韓友情年」の主要行事としてソウルでスタート。2009年から東京でも始まったものだ。

東京での初日の1日、会場の六本木ヒルズのアリーナで見物した。韓国食文化の紹介と実演、日韓の打楽器や伝統民謡の公演、K-POPと、盛りだくさんのメニュー。

観客は盛り上がりに身をゆだね、体でリズムをとり、次のメニューに移る舞台転換の合間には、韓流スターの映像メッセージに憧れのまなざしで食い入り、カメラを向ける。そんな光景を見ながら感じたのは、日韓には満ちてきたものがあるのではないか、ということだ。

パリ特派員時代、フランスとドイツの戦後の和解を踏まえ、折々に「仏独関係を日韓関係にしよう」と書いた。いまから20年ほど前のことで、日韓関係は脆弱だった。

関係が動き出したのは、金大中大統領(当時)が訪日した1998年からだ。大統領が提唱した「未来志向の関係」を小渕恵三首相が受け止め、韓国で日本の大衆文化の開放が始まった。

日韓のサッカー・ワールドカップ共催や韓流ブーム。両国間の人の往来が1日1万人を超えた2004年には「両国を1日生活圏に」という標語が生まれた。3・11で一時的に落ち込んでいるが、いまや往来は年間500万人を超える。

潮が満ちてきたいま、次のステップは日韓経済連携協定(EPA)である。竹島問題や歴史教科書問題などで屈折した感情の交錯はある。ただ両国の相互依存関係を深め、一致点を大きく広げるEPAは、対立点を相対的に小さくする。EPAが経済のみならず、政治的に重要な意味合いをもつゆえんだ。

交渉再開に向け、親日派の李明博大統領と野田佳彦首相がいるのも追い風だ。就任した前後、首相は韓国と中国がらみでA級戦犯発言だけがメディアで突出して取り上げられた。しかし首相が野党時代から大局観に立った日韓EPAの必要性を力説してきたことはもっと知られていい。

ただあまり時間はない。来年、韓国は大統領選挙の季節。関係を新たな段階に押し上げるため、日韓両国の政治主導力に期待したい。日韓EPAを実現し、高いレベルでの自由貿易協定(FTA)を共に中国に求めていく。こうした構想力もあってしかるべきなのだ。

著書

  • エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交 新潮社 1996.8 のち文庫 
  • 国際政治のキーワード 2002.9 (講談社現代新書)
  • ワインと外交 2007.2 (新潮新書)
  • 国際政治のゼロ年代 2001-2010 毎日新聞社 2010.9

参考

  • 著書附載の略歴