男嶌舟藏
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男嶌舟藏(おとこじま せんぞう、明治11年2月18日(1878年)‐昭和18年12月1日(1943年))は、明治・大正時代の大相撲力士。本名三船専造。秋田県由利郡(秋田県由利本荘市)出身。所属は秀ノ山部屋→出羽海部屋。最高位は前頭12枚目。身長176㎝・体重98㎏。得意手は左四つ・吊り・寄り。
秋田県由利郡島海町小川に生まれる。秀ノ山部屋(元幕内天津風)に入門して明治33年(1900年)初土俵。十両までは順調に出世し、太刀山の再来と期待されたという。しかしその後は振るわず、幕内在位はわずか4場所にとどまり、おおむね十両と幕下を往復しながら徐々に番付を下げていった。大正3年(1914年)師匠秀ノ山が死去したため出羽海運右エ門(常陸山虎吉)の出羽海部屋に移籍。出羽海部屋では出羽海運右エ門以後の3代の出羽海(出羽海・常陸山・両國)の指導下にいた。最後は序二段まで落ち、大正13年(1924年)1月場所に45歳で廃業。その後は郷里で筏を押し流す仕事に従事した後、北海道に移住した。昭和18年12月1日、65歳で没した。
幕内経験者で晩年に序二段まで落ちたものの、初土俵から24年もの間1場所も休まずに出場した(相手力士休場による休場を除く)という珍しい経歴を持つ。
大正6年(1917年)5月場所3日目、幕下での友ノ山惣五郎との取組は、はずみで男嶌の前袋がはずれて男性器を露出してしまい不浄負けとされるという相撲史上有名な珍事件となった。
- 初土俵:明治33年5月場所序ノ口
- 十両昇進:明治38年5月場所
- 新入幕:明治41年1月場所
- 最終場所:大正13年1月場所
- 幕内成績:12勝18敗3分3預4休(4場所)
- 勝率:0.400
関連項目
参考文献
- 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
- 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。