ウィキメディア財団

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ウィキメディア財団(ウィキメディアざいだん、Wikimedia Foundation Inc.)は、ウィキペディアを運営し、その母体となる団体である。米国フロリダ州法による非営利組織(非営利コーポレーション)であり、ウィキペディアの創立者の一人でもあるジミー・ウェールズによって設立された。財団名称のウィキメディアは英語版ウィキペディアの参加者シェルドン・ランプトンの命名により、ウィキマルチメディアから造語された。

同財団の目的は、ウィキを用いたオープンコンテントの知的資源を開発するプロジェクトの促進、およびその資源を無料、広告なしで広く公衆に提供することにある。多言語百科事典ウィキペディアの運営に加え、多言語辞書兼シソーラスであるウィクショナリー、警句箴言集のウィキクォート、主に学生向けの電子書籍集であるウィキブックスのサポートなどを行っている。ウィキメディア財団が運営するプロジェクトについては、本項目の#ウィキメディア・プロジェクト欄を参照。

しばしば誤解されることであるが、全プロジェクトに共通の方針や法的措置にかかわる場合を除き、財団は各プロジェクトのコンテンツの内容にかかわる議論や個別の運用方針には関わらない。また各プロジェクトの代表者というものも存在しない。

組織

ウィキメディア財団の最高意志決定機関は、7名からなる理事会である。フロリダ州法の規定により理事は無給である。 2007年7月14日現在の理事会構成メンバーは次の通り[1]:

ジミー・ウェールズはしばしば愛称のジンボ・ウェールズの名で言及され、本人もプロジェクト内ではこの名前で活動している。デイヴィスはウェールズの事業上の関係者である。ドゥヴアール・メーラー・ウォルシュ・ブリオスキはコミュニティ代表理事であり、プロジェクト参加者の互選による選挙によって信任された。ドゥヴアールは2004年以来、メーラーとウォルシュは2006年以来、理事職にある。メーラー、ウォルシュ、ブリオスキは2007年の選挙で信任された。デ・フリーデは任命による理事である。前理事ティム・シェルの退任に伴い、就任した[2]

理事会は、財団とプロジェクトに対する最終的な決定権を持ち、また定款を変える権限をもつ。2006年12月付けで定款が改正された。2006年現在、理事の任期は、任命による理事は1年、ユーザ選出による理事は2年である。2006年より2008年にかけて理事会は漸進的拡大を行っており、この間、任命による理事の任期はかならずしも1年に満たない場合がある。理事の定員は財団創設以来5人とされていたが、2006年に7人に拡大された。2008年7月までに定員を9人に拡大することが予定されているが、任命により2人を増員するか、それとも選挙により新たに理事を加えるかはまだ発表されていない。

会員資格

ウィキメディア財団は会員資格を持たない。会員制度は2006年以前の定款に記述があるが、実現には到らなかった。この改定以前の定款で「会員よりの選出」とされた理事枠は、「コミュニティ」の投票による理事枠として残された。投票権者の詳細は理事会がこれを定める。2007年の選挙では、一定の編集回数と編集歴によるほか、システム管理者、職員で一定の活動歴をもつもの、および理事に投票権が与えられた。

地方支部

ウィキメディアを名乗る資格を財団から認められたユーザ団体を、地方支部(local chapter)と呼ぶ。支部という名称であるが、財団の下部組織ではなく、それぞれ独立した組織である。地方支部と財団の法的関係は、必ずしも一様ではなく、個別に契約を締結する。ウィキメディア財団を現地で法的に代表する資格を持つものから、独立な法人格をもち非公式な協力関係にあるものまで、主に現地の法律上の理由にもとづきさまざまな関係が存在する。

ウェブサイト上のコミュニティでもある各プロジェクトと、地方支部の間には法的には関係がない。支部は企業・学校・他の社会団体と現地ユーザとの連携を図ると共に、また独自の資産をもち、財団の活動の支援を行う。支部はそれぞれ独自の会計をもち、支部への寄付はウィキメディア財団の直接の収入とはならない。一方で支部が取得した財産がウィキメディア財団の活動の支援のために利用されることがある。代表的な例として、ドイツ支部からのウィキマニア2005(後述)への寄付、ドイツ支部の保有する計算機資源の提供(toolserver)などがある。

2007年7月現在、現地で法人認可されかつウィキメディア財団から公式に認められた地方支部は七つ存在する。設立順に、ドイツフランスイタリアポーランドセルビアスイスオランダ台湾である。どれもみな非営利団体である。現地で法人認可されたユーザ団体が、ほかにイギリスに存在し、その地位をめぐりウィキメディア財団と協議中である。

既存の支部のほか、インドルーマニアオーストラリア香港ノルウェーカナダおよびアメリカ合衆国ペンシルヴェニア州などで地方支部の設立が具体的に計画されている。イギリスについては、イングランドとは税法の異なるスコットランドを管轄するかどうかが議論の的となり、議論の末、ウェールズとイングランドのみを管轄するUK支部の発足が結論された。Hi See i was right.

職員

ウィキメディア財団はフロリダ・セントピータースバーグに事務所をもっており、数名の常勤職員がこの事務所で働いている。またサーバの管理等に数人の契約職員を雇用している。国外にいる職員はフルタイム契約・パートタイム契約を問わず、すべて契約職員である。[3]

職員が最初に雇用されたのは2005年で、この年、3人の職員が雇用された(ブライアン・ヴィバー、ダニー・ウール、サーバ担当の非常勤職員1名)。以後、業容の拡大に伴い、順次職員を採用している。

2007年7月現在、以下の常勤職員がいる。また2007年より、地元で採用したインターンが管理部門の業務を補助している。

管理部門
  • スー・ガードナー:最高顧問
  • マイク・ゴドウィン(en:Mike Godwin):法律顧問・法務調整担当
  • キャリー・ベース:ボランティア調整担当
  • ヴィシャル・ペタル:ビジネス調整担当
  • サンドラ・オルドネツ:コミュニケーション・マネージャ
  • バーバラ・ブラウン:オフィス・マネージャ
技術部門
  • ブライアン・ヴィバー:最高技術責任者
  • ロブ・ホールセール:ネットワーク管理

また、以下の契約職員がいる。

  • ティム・スターリング:(在オーストラリア)
  • マーク・ベルグスマ:ネットワーク調整担当(在オランダ)
  • デルフィーヌ・メナー:支部調整担当(在ドイツ)

歴史

ウィキペディアを初めとするプロジェクトは、当初ジミー・ウェールズの個人プロジェクトとして開始された。諸プロジェクトのサーバドメイン名およびデータは、ジミー・ウェールズが当時、最高経営責任者であったインターネット会社 Bomis によって所有されてきた。2003年6月にウェールズがウィキメディア財団の設立を発表すると同時に、これらの所有権は財団に寄付された。

財団設立後も、プロジェクトの消費電力ネットワーク費用は、Bomisの寄付によって賄われてきた。非営利団体の設立によって、寄付金や米国連邦政府からの研究資金などを獲得しやすくすることで、これらのプロジェクトの安定した発展が保証されるとの見方が大勢を占めた。財団設立後、2004年から2005年初頭には他の団体からの寄付や助成の申し出があり、2005年3月現在、Bomis の寄付は、プロジェクトの使用する全帯域の2/3に相当する。

当初、財団の定款では理事会の定員は5人とされ、うち2人がユーザ代表であるとされた(2007年現在では定員7名)。しかしほぼ1年間ユーザ代表理事は置かれず、その間、財団のガバナンスのあり方、理事会などについての詳細が関連プロジェクトのメンバーによって議論された。2004年6月、最初のユーザ代表理事が選ばれた。このときの任期は1年であったが、のち2005年にはユーザ代表理事の任期は2年に延長された。

財団の活動をより強化し、また財団運営へのユーザの参加を促すことがしばしば課題として指摘される。これに対し、地方支部理事の財団理事会へのオブザーバーとしての招聘、および各種テクノロジー法務広報などの分野にユーザから選ばれた委員をおくなどの措置が2005年に取られた。また2006年には、これら委員が個人で分掌していた仕事をさらに効率的にすすめるべく、ユーザーからなる委員会がいくつかの分野に設置された。

委員会はすべて理事会決議によって設置され、設置と同時に委員長を含む原初構成員が指名される。構成員には、議決権をもつメンバーと議決権をもたないアドバイザーの二種があり、理事、地方支部理事、一般ユーザ、外部のエキスパートなどが構成員となりうる。構成員は理事の指名または委員会メンバーからの推薦および承認によって決定される。

ただしこのような委員職や委員会の設置は、その職にない一般ユーザが自分の裁量で行動することをさまたげるものではない。ユーザの裁量による行動は、サイト上のコンテンツ制作にとどまらず、外部資金の獲得や、企業との提携などにも及んでいる。財団は法的な権利を保持しつつ、ユーザの自主的な活動を積極的に奨励している。したがって、ユーザーはアグレッシブに参加でき、その点においてユーザー主導の立体的な辞典の構築が可能である。ただ、この点については逆にデメリットであるという指摘もあることを見落とすべきではないだろう。

なお、2007年10月9日には、財団の本部をフロリダ州セントピーターズバーグからカリフォルニア州サンフランシスコテクノロジハブへ移転することが発表された。移転は2008年1月末を予定している。財団は、サンフランシスコへ移転する理由として、アメリカのハイテクの中心地であること、展開しているプロジェクトに関連した優秀な人材やサポートを確保できること、地理的にアジアでの事業パートナー候補との結び付きを深めることができること、などを挙げている[4]

交流の支援

本項目:ウィキマニア

ウィキメディア財団の事業のなかには、ユーザ同士の交流の促進も含まれる。ウィキメディア財団は、2005年以降、毎年国際会議通称ウィキマニアを開催している。1開催地は次の通り。

毎年350人から400人程度、国・地域別では50ヶ国前後から出席者がある。

2004年ごろから、ユーザ主体によるミーティングが主にヨーロッパで催される中、多言語プロジェクトゆえの国際的な交流の要望が高まり、ウィキメディア財団主催による国際的会議の構想につながった。

ウィキマニアはユーザの交流と同時にウィキメディア・プロジェクト全般に対する研究の促進を目標にしており、外部から優れた招待講演者を招くことにも力をいれている。これまでの招待講演者には、リチャード・ストールマンウォード・カニンガムローレンス・レッシグブリュースター・カール伊藤穣一などがいる。

この試みは他の同種の非営利団体からも好感されており、Open Source Initiativeからは発展途上国からのウィキマニア参加希望者に3年連続で旅費の援助がなされている。

プロジェクトの拡大

2004年には3つの新規プロジェクトが発足した。画像や音声リソースを扱い各ローカルプロジェクトへ供給するウィキメディア・コモンズ(しばしばコモンズと略称される)、生物種分類を扱うウィキスピーシーズ、ニュース報道を扱うウィキニュースである。

またウィキペディアのコンテンツを使った若年層向けの教育コンテンツウィキジュニアの作成も新規プロジェクトとして進められている。またウィキバーシティもベータ版プロジェクトとして2006年に開始された。

ウィキメディア・プロジェクト

以下は2006年10月現在、稼動中のウィキメディア・プロジェクトの一覧である。すべて非営利の活動である。

個々のコンテンツの管理や運営の方針などは、利用者コミュニティの自主性に多く任されている。財団が定めた公式方針の侵犯や、第三者の法的権利が侵害されるなどの事情を除き、財団から各コミュニティの取る方針や行動を指令することはない。個々のプロジェクトにおける「編集責任者」のようなものは存在しない。各プロジェクトのコンテンツにかかわる決定は参加者の議論を通じて行われる。

このほか、かつてウィキメディア財団の所有するサーバでホスティングされていたウェブサイトに、2001年の同時多発テロの犠牲者を記念する911ウィキ(英語・ウィキペディアから派生)、ウィキペディア以前にジミー・ウェールズが運営していたオープンコンテント型百科事典、ヌーペディアがある。この二つのサイトの運営も、休止以前にはウィキメディア財団が所管していた。しかしこれらが正規のウィキメディア・プロジェクトの一部と位置づけられたことはない。

その他

財団では寄付を受け付けてる。財団に寄付すると、どんなに暴言を吐いても、ソックパペットを多数作っても余程の事が無い限りブロックされない、管理者に立候補すると確実に管理者になれる、という噂がある。質が劣る管狸者が跳梁跋扈するのは、このため、と言われる。典型的な金権体質、と言ってよい。

参考資料

外部リンク

テンプレート:Wikimedia Foundation

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