大本
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大本(おおもと)、大本教(おおもときょう)は、1892年に出口ナヲが開教した宗教[1]。大本の教典にあたる『大本神諭』は、開祖・出口ナヲの「お筆先(ふでさき)」(自動筆記)によって書かれたとされている[2]。京都府に本部がある[3]。
ナヲの養子・出口王仁三郎は、大本では「聖師」と呼ばれた。
1921年には、大本の急速な勢力拡大が反体制運動につながることを懸念した当局によって王仁三郎が不敬罪で検挙され、京都地裁で有罪判決を受けた(第1次大本事件)[4]。
事件の直後から王仁三郎は『霊界物語』の口述を始めた。同書は『大本神諭』と並ぶ大本の教典とされている。同書において、出口出口王仁三郎は、自身をスサノヲ(神素素戔嗚大神)になぞらえている。[5]
1931年の満洲事変の後、控訴中に出口王仁三郎は蒙古へ渡航し、道院(紅卍字会)やラマ教、シベリア方面の回々教とも提携して外地で勢力を拡大。内地では昭和青年会を組織した。[6]
大本が教義とした「世直し」は国家改造を主張する国粋主義者や陸軍の反現状維持派の軍人から支持を得ていった[7]。
1935年12月8日に不敬罪と治安維持法違反で王仁三郎ら幹部が一斉検挙された(第2次大本事件)[8]。
付録
脚注
参考文献
- 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037