新美隆
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新美 隆(にいみ たかし、1947年-2006年12月)は、日本の弁護士。1986年頃の外国人登録法の指紋押捺問題で押捺拒否者の弁護活動に従事。1986年以降、花岡事件の被害者の代理人弁護士として鹿島建設との補償交渉にあたり、対鹿島訴訟の原告側弁護団長を務めた。
経歴[編集]
1947年生[1]。
1986年頃、外国人登録法の指紋押捺問題で、指紋押捺拒否(予定)者の弁護活動に従事[2]。
1986年8月から、花岡事件の被害者の代理人弁護士として鹿島建設との交渉にあたる[3]
1995年6月、鹿島建設に対する花岡事件の損害賠償請求訴訟の原告側弁護団長を務める[4]。中国紅十字会の和解参加を促し、2000年11月に和解を成立させたが、和解条項の問題点について批判を受けた[5]。
2006年当時、島根大学法科大学院教授(公法、国際人権法担当)[1]。
2006年12月に死去[6]。
著作物[編集]
- 新美(2006) 新美隆『国家の責任と人権』結書房、4-342-62590-3
- 「鄭香均訴訟大法廷判決について」『正義なき国、「当然の法理」を問い続けて』明石書店、2006年2月
- 「『花岡事件』和解から西松中国人強制連行広島高裁判決への道のり」『専修大学社会学研究所社会科学研究叢書7』専修大学出版、2005年
- 「公務員就任問題からみた在日共生の展望」徐龍達先生古希記念論文集『21世紀韓朝鮮人の共生ビジョン』日本評論社、2002年12月
- 「子どもの権利条約に基づいて転換を迫られる保育行政」『げ・ん・き』エイデル研究所、2002年12月
- 「『ホロコースト見直し論』名誉毀損事件判決の意味」『ジャーナリズムと歴史認識』凱風社、1999年12月