知的障害者
知的障害(ちてきしょうがい、英語:Intellectual Disability)とは、
- 知的機能に制約があること
- 適応行動に制約を伴う状態であること
- 発達期に生じる障害であること
の3点で定義される[1]が、一般的には金銭管理・読み書き・計算など、日常生活や学校生活の上で頭脳を使う知的行動に支障があることを指す。
精神遅滞(せいしんちたい、英:mental retardation)とほぼ同義語であるが、一般的には、医学用語上は「精神遅滞」を用い、学校教育法上の用語として「知的障害」を用いる形で使い分けを行う。日本では、1950年代から学校教育法では、精神薄弱という語が使われていたが、1998年に法改正があり「知的障害」に変わった。アメリカ合衆国などでも、こうした障害は「精神遅滞」と呼ばれていたが、retardation(遅滞)という語の差別的な側面に配慮して、「intellectual disability」との呼称が好まれるようになった。この分野の国際学会も病名などで「mental retardation」という表現を用いていたが、次回の改正で改名される予定である。
目次
法律上の定義
法令上、一般的な知的障害の定義は存在しない。福祉施策の対象者としての知的障害者について定義する法令は存在するが、個々の法令において、その目的に応じた定義がなされている。客観的な基準を示さず、支援の必要性の有無・程度をもって知的障害者が定義されることもある。
客観的基準を示す法令にあっては、発達期(おおむね18歳未満)において遅滞が生じること、遅滞が明らかであること、遅滞により適応行動が困難であることの3つを要件とするものが多い。遅滞が明らかか否かの判断に際して「標準化された知能検査(田中ビネーやWISCやK-ABCなど)で知能指数が70ないし75未満(以下)のもの」といった定義がなされることもある。
通常、事故の後遺症や認知症といった発達期以後の知能の低下は知的障害としては扱われない。事故の後遺症については通常の医療給付の問題であり、認知症については老人福祉の問題と考えられるためである。したがって、法令上の用語としての知的障害は、精神医学の領域における知的発達障害に照応することが多い。また、外見だけでは知的障害者と気づかれないことも多く、体力にも遅滞が生じることもある。
よくある傾向
- 乳幼児期
- 同年齢の幼児との交流が上手くいかなかったり、言葉に遅れがあったりする場合が多い。染色体異常などの病理的原因(後述)の場合は早期に発見されることが多い。
- 学齢期(6 - 15歳ごろ)
- 判断力や記憶力などの問題で、普通学級の授業についていけない場合が多い。複雑なルールの遊びに参加することは困難である。そういったストレスから、各種二次障害が発生する場合もある。また、後期中等教育への進学に当たっては、各種の問題がある[2]。
- 成年期(18歳 )-
- 一般的な職場への就労はハードルが高く、障害者の保護者やボランティアなどが開設する通所施設で活動する例が多い。また、日常的でない判断(高額な契約など)が難しく、時に判断を誤ることや、悪意の接触にだまされることがある。
呼称の変遷
以前は、「独:schwachsinn」「英:feeble mindedness」「英:mental deficiency」などの外来語の直訳として「精神薄弱(せいしんはくじゃく、略称・精薄)」という用語が広く使われており、法律用語にも多用されていたが、「精神」という言葉は人格も含むうえ、精神障害と混同されやすいため、関係団体などでは「知的障害」という用語が使われるようになった。平成12年(2000年)3月からは法律上の表記も、知能面のみに着目した「知的障害」という用語に改められた。
また、かつては重度知的障害を「白痴」、中度知的障害を「痴愚(ちぐ)」、軽度知的障害を「魯鈍・軽愚(ろどん、けいぐ)」と呼称しており、これらの用語は法律などにも散見されたが、偏見を煽るとして「重度」「中度」「軽度」という用語に改められた。
医学的な診断名には「英:mental retardation:MR」の訳として「精神遅滞(せいしんちたい)」、「精神発達遅滞(せいしんはったつちたい)」という用語が用いられる。これらは「知的障害」と同じ意味で使われる場合が多い。ただし、厳密な医学的分類では「精神遅滞」・「精神発達遅滞」と「知的障害」を使い分ける場合もある。DSM-IVやアメリカ精神遅滞学会(AAMR)の定義では、「精神遅滞」は「知的障害」の症状に加えて生活面、すなわち「意思伝達・自己管理・家庭生活・対人技能・地域社会資源の利用・自律性・学習能力・仕事・余暇・健康・安全」のうち、2種類以上の面にも適応問題がある場合をさす。しかし、こういった生活面に適応問題があるかどうかを判断するのは難しく、現実的には知能のみで判断しているので、知的障害と精神遅滞は同義語だと考えても差し支えない。
現在では、教育分野や行政やマスコミなどでは、「知的障害」や「知的発達障害」や「知的発達遅滞」と呼ばれることが多く、医学関係では、「精神遅滞」や「精神発達遅滞」と呼ばれることが多い。また、古くからあるくだけた言い方、俗に使われる名称として「知恵遅れ(ちえおくれ)」や侮蔑した呼び方として「ノータリン」(脳味噌が足りないという意味)という言葉があり、それらは子供内でも平然と用いられた。 またインターネットスラングとして、俗的略称である知障(ちしょう)の誤変換である「池沼」の文字を当てる場合がある。
社会における歴史と現状
日本国外での歴史
19世紀以前にも重度の知的障害者はいた。しかし、軽度の知的障害者の場合は、それほど支障なく社会生活を送れていた。しかし、近代的な学校制度が普及するにつれて、年齢主義的な進級制度が広く行われるようになり、年齢基準の学年編成では、遅れをとる児童の存在が無視できなくなった。そのような児童生徒は、単純な怠惰や学業への無関心のために成績が悪い生徒と、努力しても成績が悪い生徒の二種類に分類できた。1905年に、フランスのアルフレッド・ビネーが世界初の知能検査を公表したが、これ以降、知的障害の児童は、厳密な診断のものさしで区分されることになった。ビネー死後、知能検査はさまざまな心理学者によって改良され、現在では知能指数を基にして知的障害を判定するようになった。
福祉国家スウェーデンの不妊手術をはじめ、諸外国でも知的障害者は社会的に抑圧されてきた。
日本での歴史
江戸時代中期の医師(漢方医、古方派)で儒学者である香川修徳(香川修庵)は、その著書「一本堂行余医言(いっぽんどうこうよいげん)」の巻5にて「痴鵔」として記述している[3][4]。
知的障害者福祉は民間から始まった。明治20年代に立教女学院教頭の職にあった石井亮一が、孤女学院を開設したことにはじまる。濃尾大地震の震災孤女を引き取った亮一は、孤女の中に知的障害児がいたことで強い関心を示し、アメリカへの二度にわたる留学を経て、日本初の知的障害者福祉施設滝乃川学園を開設したのが、日本における知的障害者福祉の先鞭である。亮一は、夫人筆子とともに知的障害者福祉事業に生涯をささげ、後には日本精神薄弱児愛護協会(現・日本知的障害者福祉協会)を設立した。
重度障害児には就学免除などが適用されていたが、養護学校は1979年に義務教育の学校となり、重度障害児も入学可能となった。
『障害者白書』平成21年版によると、厚生労働省が確認した日本国内の知的障害者数は約55万人(在宅者約42万人、施設入所者約13万人)。
公的支援
知的障害があると認定されると療育手帳が交付され、各種料金の免除などの特典が与えられる。自治体によって、「愛の手帳」や「緑の手帳」などの名称がある。また、障害年金や特別障害者手当などの制度もある。療育手帳などの福祉手帳は、社会福祉法の制度で65歳未満と制限されている。人口比で計算すると先進国各国では年々減少はしているが、開発途上国各国や後発開発途上国各国では減少が見られない国も多い。
知能指数の分布から予測すると、IQ70以下の人は2.27%(認知症を含む)存在するはずなので、理論的には日本の知的障害者数は284万人になる。しかし、公的に知的障害者とされている人は推計41万人であり、実際に存在するはずの障害者数と比較すると6分の1ないし7分の1であり、著しく少ない。また、上記の41万人のうち84%が療育手帳所持者であるが、軽度・中度の手帳の所持者が55%、重度・最重度の手帳の所持者が45%であり、理論上の出現頻度は障害が軽いほど多いので、それを考慮すると、軽度・中度の手帳所持者は実際の軽度・中度の人数のうちのごく一部であると考えられる。
知的障害者関連の犯罪
知的障害者の「問題行動」などによって重大犯罪の加害者もしくは被害者になる場合も多い。
元衆議院議員の山本譲司は不正受給問題で懲役刑を受けた時の体験から『獄窓記』という書籍を出版し、刑務所内の知的障害者の比率が一般社会と比べて異常に高いと指摘している。著書『累犯障害者』の中で山本は、実社会では生きるすべを持たない知的障害者たちが、繰り返し犯罪を犯しては刑務所に戻ってくる様を克明に描いている。服役囚全体の4分の1が知的障害者である現実を伝えている。
実例
- 甲山事件
- 西宮市の知的障害者施設で園生(=園児。当時の呼称)の死亡事故が発生し当初は事故として扱われたが検察審査会の決定により再捜査。保母(当時の呼称)の女が「貯水槽に突き落とした」とされ、検察の取り調べ時に園生から有力な証言が得られたとして起訴された事件。第二次控訴審で無罪が確定。
- 野田事件
- 千葉県野田市で起きた幼女殺害事件に際し近くに住む知的障害を持つ青年(当時)が犯人として逮捕された事件。裁判では無実を主張したが、一・二審共に懲役12年の有罪判決。最高裁に上告をするが棄却され刑が確定し1994年に刑期満了で出所している。
- 水戸事件
- 水戸市の段ボール加工業者が住み込みで働いていた知的障害者を虐待した事件。同社は障害者雇用の優良企業として評判が高かった。
- レッサーパンダ帽男殺人事件
- レッサーパンダ帽をかぶった男が通行人に自分を馬鹿にされたと思い込み殺害した事件。知的障害はあったものの完全な責任能力があったとし無期懲役の判決。
- 東金市女児殺害事件
- 千葉県東金市で全裸の幼女が倒れているのが発見され、病院で死亡が確認された。現場近くのマンションに住む知的障害の男が死体遺棄容疑で逮捕された。その後、殺人容疑で再逮捕された[5][6][7]。
知的障害の分類
原因による分類
- 病理的要因
- ダウン症候群などの染色体異常・自閉症などの先天性疾患によるものや、出産時の酸素不足・脳の圧迫などの周産期の事故や、生後の高熱の後遺症などの、疾患・事故などが原因の知的障害。
- 脳性麻痺やてんかんなどの脳の障害や、心臓病などの内部障害を合併している(重複障害という)場合も多く、身体的にも健康ではないことも多い。染色体異常が原因の場合は知的障害が中度・重度であることが多く、外見的には特徴的な容貌であることも多い。
- 生理的要因
- 特に知能が低くなる疾患があるわけではないが、たまたま知能指数が低くて障害とみなされる範囲(IQ69または75以下)に入ったというような場合。生理的要因の知的障害がある親からの遺伝や、知的障害がない親から偶然に知能指数が低くなる遺伝子の組み合わせで生まれたことなどが原因である。合併症はないことが多く、健康状態は良好であることが多い。知的障害者の大部分はこのタイプであり、知的障害は軽度・中度であることが多い。「単純性精神遅滞」などともいう。
- 心理的要因
- 養育者の虐待や会話の不足など、発育環境が原因で発生する知的障害。リハビリによって知能が回復することもある。関連用語に「情緒障害」がある[8]。また、離島や山岳地帯や船上などの刺激が少ない環境で成育した児童の場合も、IQが低い場合が多い(知能指数#生活環境参照)。IQテスト自体○や△など抽象的な図柄を見分けるといった文明社会に馴染んだ者にとって有利な問題となっている。従って、都会生活を経験したことのない先住民族などには不利な評価が下されることになる。
知能による分類
基本的には、知能指数が100に近い人ほど人数が多い。しかし、知能指数の種類によっては最重度まで正確な存在数比率を出せない場合もある[9]。
教育の分野では、軽度の生徒を「教育可能」、中度の生徒を「訓練可能」と分類する。医学的に考えると精神年齢は12歳以下と推定される(厚生労働省などの発表)。
- ボーダー(境界域)
- 知能指数は70 - 85程度。知的障害者とは認定されない。
- 軽度
- 知能指数は50 - 69程度。理論上は知的障害者の約8割がこのカテゴリーに分類されるが、本人・周囲とも障害にはっきりと気付かずに社会生活を営んでいて、障害の自認がない場合も多いため、認定数はこれより少なくなる。生理的要因による障害が多く、若年期の頃では健康状態は良好。
- 中等度(中度)
- 知能指数は35 - 49程度。合併症が多数と見られる。過半数の精神年齢は小学生低学年程度。
- 重度
- 知能指数は20 - 34程度。大部分に合併症が見られる。多動や嗜好の偏りなどの行為が、問題になっている。概ね精神年齢は4歳児程度しかない。
- 最重度
- 知能指数は19以下程度。大部分に合併症が見られる。寝たきりの場合も多い。しかし運動機能に問題がない場合、多動や嗜好の偏りなどの行為が問題になる場合がある。実際の精神年齢は1歳児程度。
多元的アプローチによる分類[10]
AAMR第9版においてなされている定義。 ①精神遅滞の概念を広げること、②IQ値によって障害のレベルを分類することはやめること、③個人のニードを、適切なサポートのレベルに結びつけること、の3点を意図している。
- 一時的(intermittent)
- 必要なときだけの支援
- 限定的(limited)
- 期間限定ではあるが、継続的な性格の支援
- 長期的(extensive)
- 少なくともある環境においては定期的に必要な支援
- 全面的(pervasive)
- いろいろな環境で長期的に、しかも強力に行う必要がある支援
大島分類表
運動能力と知能指数による分類として、大島一良による大島分類が使用されている。下記の表は大島分類の表に障害別の大まかな分布範囲を表記したものであるが、個人差があることに注意されたい。
大島分類では、分類1 - 4該当するものを定義上の「重症心身障害児」(ただし、児童福祉法上の話であり、学校教育法上は、重度重複障害の一種に過ぎない)とし、分類5 - 9に該当するものを「周辺児」と呼んでいる[11]。
知的障害とその他の発達障害の関連
知的障害と自閉症
「自閉症」という障害は、知的障害があるもの(狭義の自閉症)と、知的障害がないもの(高機能自閉症・アスペルガー症候群。いわゆる高機能PDDと称される)に便宜的に分類されているが、その他の関連した障害を含めて自閉症スペクトラムという連続した障害と捉えることがかつて提案された。広汎性発達障害(厳密には、知的障害のないものについては、高機能広汎性発達障害(いわゆる高機能PDD)となる)という用語がほぼ同義語として機能している。知的障害は、知能面の全体的な障害であり、自閉症の本質であるコミュニケーション障害は、対人関係面を主とした障害である。昔から知られている種類の自閉症は狭義の自閉症のことであるが、これはコミュニケーション障害と知的障害が合わさったものである。近年知られてきた種類の自閉症である高機能自閉症は、コミュニケーション障害のみであり、知能指数の全体平均は知的障害の域に達しない。しかし、知能指数を要素別に計測すると、各要素間に大きな差が見られる。
ただし、精神障害の診断と統計マニュアル第5版では、(カナー型)自閉症、アスペルガー症候群、高機能自閉症、特定不能の広汎性発達障害の4つを包括し、自閉症スペクトラムと規定された。
知的障害と学習障害
学習障害(LDのこと。厳密には、学習障害というよりも、主に読み書きの障害であるディスレクシアとするのが正確とされる)は、読み・書き・計算など学習面に困難があるが、会話能力・判断力などの知能の他の面では障害がない(そもそも、LDの定義の中に「知的遅れがない」とされている)。知的障害の場合は、学習面も含めて、知能面など全般的に問題がある。
軽度発達障害・高機能PDDにおける「軽度」・「高機能」の語
軽度発達障害に使われる「軽度」、およびその一つにカテゴライズされる高機能広汎性発達障害(いわゆる「高機能PDD」のこと。これに含まれる高機能自閉症を含む)に使われる「高機能」とは、いずれも、本稿で説明されている「知的障害」がないながらも障害が発生している、というニュアンスで用いられており、決して、障害の度合いや複雑さなどを表す接頭辞として使われていない点に十分注意する必要がある。このため、近年では、「軽度」という用語では誤解を招く恐れがあることから、単に「発達障害」とのみいう場合や、「(軽度)発達障害」と表現するケースが多い。
ちなみに、「重度重複障害」などに使われる「重度」は、上述の「軽度」の対義語として使用されており、すなわち、「知的障害の度合いが重い重複障害」ということを意味する(ただし、主たる障害は知的障害以外にある点に注意)。
脚注
- ↑ 小島道生「知的機能に関する制約と支援」橋本創一ら〔編〕『障害児者の理解と教育・支援』金子書房、2008年。
- ↑ 非常に稀ではあるがダウン症の青年(女性)が大学(国文学科)に進学し、卒業した事例もある。
- ↑ 日本医家列伝 鈴木昶 大修館書店 2013年 ISBN 9784469267457 p94-p95
- ↑ 精神障害者をどう裁くか 岩波明 光文社 2009年 ISBN 9784334035013
- ↑ 産経ニュース2008年12月6日
- ↑ 四国ニュース2008年12月22日
- ↑ 産経ニュース2008年12月26日
- ↑ 自閉症が情緒障害に分類される場合もあるが、自閉症は先天性の脳機能障害である。
- ↑ 障害評価の最近の話題 -知能指数と遷延性意識障害- - waybackのキャッシュ
- ↑ 小島道生「知的障害に関する制約と支援」橋本創一ら〔編〕『障害児者の理解と教育・支援』金子書房、2008年。
- ↑ 加藤昭和「重症心身障害者への地域支援」橋本創一ら〔編〕『障害児者の理解と教育・支援』金子書房、2008年
参考文献
橋本創一、菅野敦、大伴潔、林安紀子、小林巌、霜田浩信、武田鉄郎、千賀愛、小島道生、池田一成〔編著〕『障害児者の理解と教育・支援 特別支援教育/障害者支援のガイド』金子書房、2008年。
関連項目
- 統合失調症
- パーソナリティ障害
- 障害者
- 精神科医
- 小児科医
- 障害者権利条約
- 特別支援教育
- 国際生活機能分類
- 国際障害分類
- 病身舞
- ロボトミー
- スペシャルオリンピックス
- セックスボランティア
- 臨床心理士
- 養護教諭
- サヴァン症候群