地獄変

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地獄変』(じごくへん)は、芥川龍之介短編小説。初出は1918年大正7年)「大阪日日新聞」(夕刊)。説話集『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」を基に、芥川が独自にアレンジしたものである。高校課程において本作を扱う学校は多く、芥川の代表的作品の一つ。主人公である良秀の「芸術の完成のためにはいかなる犠牲も厭わない」姿勢が、芥川自身の芸術至上主義と絡めて論じられることが多く、発表当時から高い評価を得た。

なお、『宇治拾遺物語』では、主人公の良秀をりょうしゅうであるが、本作ではよしひでとなっている。

あらすじ[編集]

時は平安時代絵仏師の良秀は高名な天下一の腕前として都で評判だったが、その一方で猿のように醜怪な容貌を持ち、恥知らずで高慢ちきな性格であった。そのうえ似顔絵を描かれると魂を抜かれる、彼の手による美女の絵が恨み言をこぼすなどと、怪しい噂にもこと欠かなかった。この良秀には娘がいた。親に似もつかないかわいらしい容貌とやさしい性格の持ち主で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。娘を溺愛していた良秀はこれに不満で、事あるごとに娘を返すよう大殿に言上していたため、彼の才能を買っていた大殿の心象を悪くしていく。一方、良秀の娘も、大殿の心を受け入れない。

そんなある時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、につつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいが、どうしても描けない。つまり、実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。

当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを見守る。やがて車に火がかけられ、縛り上げられた娘は身もだえしつつ、纏った豪華な衣装とともに焼け焦がれていく。その姿を父である良秀は、驚きや悲しみを超越した、厳かな表情で眺めていた。娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日ごろ彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。絵を献上した数日後、良秀は部屋で縊死する。

歌舞伎作品[編集]

三島由紀夫1953年(昭和28年)11月18日に歌舞伎台本『地獄変』を執筆し、初演は、同年12月5日に歌舞伎座で中村吉右衛門劇団により、中村歌右衛門中村勘三郎らの共演で上演された。

公演[編集]

12月興行 中村吉右衛門劇団大歌舞伎

1953年(昭和28年)12月5日 - 26日 東京・歌舞伎座
演出:久保田万太郎
出演:中村歌右衛門中村勘三郎松本幸四郎市川中車中村芝鶴市川八百蔵、ほか
※ 第二部、長谷川伸作『刺青奇偶』ほかと併演。
※ 1953年(昭和28年)12月23日にNHKテレビで舞台中継。

9月興行大歌舞伎

1954年(昭和29年)9月3日 - 26日 大阪・大阪歌舞伎座
演出:郷田悳。補綴:川尻清譚。振付:藤間勘十郎
出演:坂東鶴之助片岡仁左衛門坂東蓑助林又一郎市川寿美蔵、ほか
※ 夜の部、岡本綺堂作『箕輪の心中』ほかと併演。

6月花形歌舞伎

1978年(昭和53年)6月3日 - 27日 東京・新橋演舞場
演出:中村歌右衛門戌井市郎
出演:坂東玉三郎中村吉右衛門片岡孝夫市川男女蔵坂東蓑助、ほか
※ 夜の部、『藤娘』ほかと併演。

映像作品[編集]

映画[編集]

1969年東宝製作。1969年9月27日公開。カラー・シネマスコープ作品。

スタッフ
キャスト

ほか

テレビドラマ[編集]

脚本:三島由紀夫。脚色:松浦竹夫。演出:三枝孝栄
出演:坂東蓑助柳永二郎鳳八千代文野朋子平田守内田稔
※ 舞踊劇として放映。終了後に三島由紀夫が出演し、斉藤光太郎アナウンサーと対談。

その他[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 地獄変 - 青空文庫で配布されているもの。全文が閲覧でき、再配布可能なフリーライセンス。