「秋篠宮悠仁親王」の版間の差分
細 (→脚注) |
細 (→外部リンク) |
||
135行目: | 135行目: | ||
{{line2thronebox|title=[[日本]]の[[天皇|皇位]]|before=[[秋篠宮文仁親王|文仁親王]]|beforenote=[[秋篠宮]]|orderprec=3|after=[[常陸宮正仁親王|正仁親王]]|afternote=[[常陸宮]]}} | {{line2thronebox|title=[[日本]]の[[天皇|皇位]]|before=[[秋篠宮文仁親王|文仁親王]]|beforenote=[[秋篠宮]]|orderprec=3|after=[[常陸宮正仁親王|正仁親王]]|afternote=[[常陸宮]]}} | ||
{{End box}} | {{End box}} | ||
+ | |||
+ | [[Image:悠仁親王 4.jpg|300px]][[Image:悠仁親王 5.jpg|300px]] | ||
+ | |||
{{DEFAULTSORT:ひさひと しんのう}} | {{DEFAULTSORT:ひさひと しんのう}} |
2009年12月26日 (土) 23:56時点における版
悠仁親王 | |
---|---|
[[画像:|0|]] | |
続柄 | 秋篠宮文仁親王第一男子(今上天皇孫) |
称号 | |
全名 | |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 His Imperial Highness |
お印 | 高野槇 |
出生 | 2006年9月6日((2024-2006)+((11-9)*100+(14-6)>=0)-1歳) 東京都港区、愛育病院 |
死去 | |
埋葬 | |
配偶者 | |
子女 | |
父親 | 秋篠宮文仁親王 |
母親 | 文仁親王妃紀子 |
役職 | |
テンプレートを表示 |
テンプレート:日本の皇室 悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年9月6日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は高野槇。皇位継承順位第3位。今上天皇の孫にあたり、姉に眞子内親王、佳子内親王がいる。
略歴
誕生
平成18年(2006年)9月6日 、東京都港区の愛育病院にて誕生。身長48.8センチ、体重2,558グラム。
日本の皇族としては初めて帝王切開により誕生。秋篠宮家においては佳子内親王以来12年ぶりの子女の誕生、皇室においては、父・秋篠宮文仁親王以来41年ぶりの男子誕生となった。
同年9月12日、命名の儀。父の秋篠宮文仁親王により「悠仁親王」と名付けられる。宮内庁によると「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」命名されたという[2]。家族からは「悠ちゃん(ゆうちゃん)」「ユージン」「ゆうゆう」[3]の愛称で呼ばれているという。また、お印に高野槇が選ばれたのは、「大きく、まっすぐに育ってほしい」との思いを込めてのものである。
皇族男子の不足から誕生の前年・平成17年(2005年)には皇位継承問題が表面化していたこともあり、各地で奉祝をもって迎えられた。明治神宮をはじめ、各地の神社・神社庁で、神輿の奉納・提灯行列・奉祝行進など祝賀行事が行われた。悠仁親王の誕生によって、皇統断絶の危機が当面は解消されたことで、皇室典範改正案の提出は見送られることとなった。
愛育病院からの退院時、宮邸のある赤坂御用地までの沿道には約1800人が集まった。警備は警視庁の機動隊など計1,200人態勢で行なわれた[4]。
幼少期
2009年12月2日、お茶の水女子大学附属幼稚園へ2010年4月より入園することが宮内庁より発表された。特別選抜での合格による[5]。
逸話
誕生に際して
- 誕生時には、インドネシアのユドヨノ大統領など21か国の元首から天皇・皇后へ、31か国の元首から天皇へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた[6]。中でもタイ政府は、タイ王室にも前年に王孫が誕生していることをあげ、両国の親密さを示したと思えるとコメントした。また、ユドヨノ大統領は、2006年11月27日来日した際、今上天皇との会談において「国をあげて悠仁親王殿下の誕生をお祝いしております」と発言した。また、トルコのトプカプ宮殿博物館から国宝である「金のゆりかご」が「トプカプ宮殿至宝展」にて特別展示された。これは門外不出の国宝で、博物館館長の好意により実現したもの。
- 賜剣の儀で今上天皇から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された天田昭次の作。
- お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の木とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また、高野槇の名の由来でもある高野山へのアクセス手段である南海電気鉄道では、記念として難波駅で高野槇1000本を無料配布した。
- 祖父母である今上天皇・皇后が見舞いに来た際、白いベビーシューズを母子に贈った。これは悠仁親王の1歳の誕生日写真でも、ソファ脇の机に飾られていた[7]。
記帳所の設置
41年ぶりの親王誕生であったが、一宮家の生まれであるとして宮内庁は誕生を祝うための記帳所は設けなかった。しかし地方自治体や寺社などでは独自に記帳所を設けたところも存在した。
- 都道府県一覧
この他、さいたま市、四国中央市などの市町村や、出雲大社、北野天満宮、善光寺など全国各地の寺社でも記帳所が設けられた。
海外メディアの反応
悠仁親王の誕生は世界各国のメディアで報道された。王室を有するイギリスでは日本の皇位継承問題が話題となっていたこともあり、BBCニュースはトップニュースで報道[8]。他、アメリカ合衆国のCNN・ニューヨーク・タイムズ(電子版)・TIME[9]、中華人民共和国の新華社通信、大韓民国の聯合ニュース・朝鮮日報[10]等も速報を出した。
系譜
悠仁親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 今上天皇 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 (学習院大学教授) |
曾祖父: 川嶋孝彦 (元内閣統計局長) | |
曾祖母: 川嶋紀子 (池上四郎女) | |||
祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 (満鉄総局副参事) | ||
曾祖母: 杉本栄子 (満鉄機関区長服部俊太郎女) |
脚注
- ↑ 報道などでは「秋篠宮悠仁」の表記も見られるが、公式には宮家の当主ではないため「秋篠宮」の宮号は冠せず「悠仁親王」と称するのが正しい。宮家の嫡男を呼ぶ際の以前の慣例にしたがえば「秋篠若宮悠仁親王」と呼称する(若宮を参照)ことになるが、現在では皇室制度に詳しい人々もこの呼称はほとんど用いない。
- ↑ 秋篠宮家ご長男、お名前は「悠仁(ひさひと)」、読売新聞、2006年9月13日
- ↑ 【皇室ウイークリー】(104)雅子さまが8月以来のご公務 悠仁さま、ヤギを追って記者のもとに (4/5ページ) MSN産経ニュース 2009年10月31日
- ↑ 紀子さまと悠仁さま退院、東奥日報、2006年9月15日
- ↑ (2009年12月3日) 悠仁さま お茶の水女子大付属幼稚園へ 来春から3年保育 毎日新聞 [ arch. ]
- ↑ 官報本紙皇室事項欄(平成18年(2006年)11月10日付及び同年12月13日付)。なお、官報の皇室事項欄で「皇孫殿下御誕生につき御祝電云々」とあるので、ここは「親王」でなく「皇孫」が正確である。
- ↑ 悠仁さま満1歳(写真2枚目)、読売新聞、2007年9月6日
- ↑ (2006-09-06) Japan princess gives birth to boy BBC NEWS [ arch. ]
- ↑ Walsh (2006-09-05) WalshBryan Japan Celebrates: It's a Boy! TIME [ arch. ]
- ↑ 【速報】秋篠宮紀子妃、男児出産、朝鮮日報、2006年9月6日
関連項目
外部リンク
- 文仁親王同妃両殿下(秋篠宮) - 秋篠宮夫妻と子女の紹介(宮内庁)
- 読売新聞・秋篠宮家男児ご誕生