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2020年1月8日 (水) 04:19時点における版

{{Infobox Musician | Name = サザンオールスターズ | Background = band | Alias = サザン、SAS | Origin = {{JPN}} | Genre = [[ロック (音楽)|ロック]]<br />[[ポップ・ミュージック]]<br />[[J-POP]] | Years_active = [[1978年]] -<br /><small>(活動休止期間を除くと、1978年 - [[1985年]]、[[1988年]] - [[1993年]]、[[1995年]] - [[2000年]]、[[2003年]] - [[2006年]]、[[2008年]]) | Label = [[ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]]<br />(1978年 - [[1983年]])<br />[[ビクタータイシタ]]<br />(1983年 - ) | Production = [[アミューズ]] | Associated_acts = [[高垣健]]<br />[[新田一郎 (ミュージシャン)|新田一郎]]<br />[[八木正生]]<br />[[藤井丈司]]<br />[[小林武史]]<br />[[角谷仁宣]] | Influences = [[ビートルズ]]<br />[[エリック・クラプトン]]<br />[[リトル・フィート]]など | URL = [https://southernallstars.jp/ サザンオールスターズ Official Site] | Current_members = [[桑田佳祐]] ([[ボーカル]]、[[ギター]])<br />[[関口和之]] ([[ベース (弦楽器)|ベース]])<br />[[松田弘]] ([[ドラムセット|ドラムス]])<br />[[原由子]] ([[キーボード (楽器)|キーボード]]、ボーカル)<br />[[野沢秀行]]([[パーカッション]]) | Past_members = [[大森隆志]] ([[リードギター]])<br />(1978年 - [[2001年]]) }} '''サザンオールスターズ'''(''Southern All Stars'', [[台湾]]訳:'''南方之星''',[[中国]]訳:'''南天群星''')は、日本の[[バンド (音楽)|音楽バンド]]。[[略称]]は「'''サザン'''」。「'''SAS'''」と略記されることもある。 [[リーダー]]は[[桑田佳祐]]<ref name="library">『地球音楽ライブラリー サザンオールスターズ 改訂版』TOKYO FM 出版、2005年。</ref>。[[芸能事務所|所属事務所]]は[[アミューズ]]、[[レコード会社]]は[[ビクターエンタテインメント]]([[ビクタータイシタ|ビクターTAISHITA]][[レコードレーベル|レーベル]])。公式ファンクラブ名は「サザンオールスターズ応援団」である。 == メンバー == * '''[[桑田佳祐]]'''/[[ボーカル|リードボーカル]]、[[ギター]]('''[[リーダー]]''') * '''[[関口和之]]'''/[[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[コーラス (ポピュラー音楽)|コーラス]]、ボーカル * '''[[松田弘]]'''/[[ドラムセット|ドラム]]、コーラス、ボーカル * '''[[原由子]]'''/[[キーボード (楽器)|キーボード]]、ボーカル、コーラス * '''[[野沢秀行]]'''(毛ガニ)/[[パーカッション]]、コーラス ** 各メンバーがコーラスを担当、更に野沢以外はメインボーカル曲があり、作詞・作曲もこなす。 ** シングル曲などほぼすべての曲の作詞作曲編曲を桑田佳祐が担当。 ** 連名は基本的に桑田、大森、関口、松田、原、野沢の順で統一されている。 ** 大森脱退後は桑田、関口、松田、原、野沢の順になっている。 === 元メンバー === * [[大森隆志]]/[[リードギター]]、ボーカル([[2001年]][[8月7日]]付けで独立) == 概要 == [[1978年]]のデビュー以来、30年の間[[日本]]の[[ポピュラー音楽|ポップミュージック]]の第一線を走り続けるバンドとして知られる。[[楽曲]]はロック色の強いものから、[[バラード]]、[[民族音楽]]・[[民謡|郷土音楽]]から[[テクノ|テクノ・デジタルロック]]まで幅広いレパートリーの楽曲があり、題材は[[愛]]・[[性行為|セックス]]・郷土愛・ユーモア・社会[[風刺]]など多岐にわたる。老若男女幅広い層の[[ファン]]を持ち、各界にもサザンのファンであると発言・公言した著名人が数多く存在する。 代表曲は[[1970年代]]に『[[勝手にシンドバッド]]』、『[[いとしのエリー]]』、[[1980年代]]に『[[チャコの海岸物語]]』『[[ミス・ブランニュー・デイ]]』、[[1990年代]]には『[[涙のキッス]]』『[[エロティカ・セブン]]』『[[愛の言霊 〜Spiritual Message‎]]』などの[[ミリオンセラー]]を達成したほか、[[2000年代]]に入っても『[[TSUNAMI]]』『[[涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜]]‎』がヒットするなど多数にわたる。1970年代から4つの年代全てで50万枚以上のヒット作を生み出し、うち3つの年代で[[オリコン]]チャート1位作品がある。 == 歴史 == 各メンバーのソロ活動については個々のページ参照。<!---大森の脱退に関する記述も[[大森隆志]]にて行ってください---> === 結成からデビューまで === [[1975年]]頃、[[青山学院大学]]で活動が始まり<ref name="library" />、[[クラブ活動|音楽サークル]]“'''Better Days'''”(ベター・デイズ)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される<ref name="library" />。初期の頃は“[[温泉]][[按摩|あんま]]ももひきバンド”、“[[ピストン]]桑田とシリンダーズ”、“ピストン桑田と[[脳血管障害|脳卒中]]”、“桑田佳祐と[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]劇場”など、奇抜なバンド名でコンテスト毎に何度もバンド名とメンバーを変更していたが<ref name="library" />、最終的には[[原由子]]参加の際、桑田の青学時代の同級生である宮治淳一(現:ワーナーミュージック・ジャパン ストラテジック本部シニア・チーフプロデューサー)が、[[サザン・ロック]]<!-- [[カナダ]]出身の歌手・[[ニール・ヤング]]の代表曲「サザン・マン」 -->と、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[サルサ]]・グループ、[[ファニア・オールスターズ]]を組み合わせた“サザンオールスターズ”を[[風呂]]の中で安易に思いつき、そのまま使用することとなった<ref name="kyokasyo">別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評21『教科書が教えない サザンオールスターズ&桑田佳祐ヒストリー』宝島社、2003年。</ref>。この「オールスターズ」には、これ以上バンド名を考えるのが面倒で、また、メンバーチェンジがあってもいいように流動的に入れ替わる全てのメンバーを総称してのバンド名という意味もあった<ref name="kyokasyo" />。また、当初は“桑田佳祐&サザンオールスターズ”と名乗っていた<ref name="kyokasyo" />。「サザンオールスターズ」名義での最初のライブは公式ページには[[1976年]][[4月11日]]と記されており、この時桑田は「じゃあ司会が『サザンオールスターズの皆さんです』と紹介したら出るんだな?」と段取りの確認を行っただけだったとされる。 幾度かのメンバーチェンジの後、[[1977年]]にアマチュアバンドのコンクールである「[[ヤマハ]][[EastWest|EastWest '77]]」に出場し桑田がベスト[[ボーカル]]賞を獲得。この頃には青学生ではなかった[[松田弘]]・[[野沢秀行]]も加わり、メンバーは[[デビュー]]時の6人に固まった<ref name="library" />。この編成は、[[サザン・ロック]]の雄・[[リトル・フィート]]の、[[リードギター]]・[[リズムギター|サイドギター]]・[[ベース (弦楽器)|ベース]]・[[ドラムセット|ドラムス]]・[[鍵盤楽器|キーボード]]・[[打楽器|パーカッション]]の6人編成と同じという所以もある。当時はセミプロとして活動していた野沢は当初バンドへの参加を断り続けていたが、コンクール出場が決定した際になって突如参加することになったという経緯があった。冗談ではあるが、この後メンバーによって「知らない間に野沢がメンバーに加わっていた」「現在も正式メンバーではない」ともいわれている<ref name="rockkaiju">『[[元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」#主なコーナー|ロック怪獣サザン伝説]]』[[東京放送|TBSテレビ]]、1992年。</ref>。この頃には頭部分の「桑田佳祐 &」が取れ、グループ名が'''サザンオールスターズ'''となる<ref name="kyokasyo" /><ref name="ew">[http://lmc.yamaha.co.jp/archive/east/77/ YAMAHA EVENT HISTORY内 EastWest'77]</ref>。なお、原の著書によればこの頃に一度だけ「パロディハウス」という名前に変えようとしたが、「ダサい」との理由で即サザンオールスターズに戻したという。公式ページではこの1972年から1977年までを「夜明け前」と呼称している。 当初は独特かつ奇抜なその音楽性が敬遠され、大手の事務所はサザンを敬遠していたが、当時新興事務所であった[[アミューズ]]の[[大里洋吉]]社長(当時)が「[[フォークソング]]の時代は終わり、これからはロックの時代が来る」という判断の下でスカウトした。ただし、メンバーの大里に対する第一印象はあまり良いものではなかったという。また、大森と大里がデビューにむけて着々と準備を進めるなか、焦ったためか桑田が[[ワーナー・パイオニア]]とレコード契約を結んでしまったというエピソードもある。この件は関係者が出向いて話を収めたという。 [[1978年]][[6月25日]]に[[シングル]]『[[勝手にシンドバッド]]』でビクター音楽産業(現・[[ビクターエンタテインメント]])からデビューし、それまであった[[歌謡曲]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[ポピュラー音楽のジャンル一覧|ジャンル]]にとらわれない、衝撃的な印象を残す。年内には同曲のスマッシュヒットで一躍スターダムにのし上がった。だが、当初は桑田の「目立ちたがり屋の[[芸人]]です」発言<ref name="best10">『[[ザ・ベストテン]]』[[東京放送|TBSテレビ]]、1978年。</ref><ref name="best10book">別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン 〜蘇る!80'sポップスHITヒストリー〜』角川インタラクティブ・メディア、2004年。</ref>(ただしこれらの発言などは全て台本に沿って行っただけであると後年明かした<ref name="spaces">SPACE SHOWER TV内インタビューによる。2008年。</ref>)、[[ジョギング]][[シャツ]]+ジョギングパンツスタイル(桑田によると、事務所から衣装代として1万円が渡され、たまたま入ったスポーツ用品店の店員が「まけてくれる」と言ったことから、なんとなく着ただけであるとのこと)<ref name="spaces" />、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌などから'''コミックバンド'''と評される向きもあった<ref name="kyokasyo" />。原の回想によると、某番組内でウルトラ警備隊のコスプレをさせられ、とても恥ずかしい思いをした、と語っている。デビューに際し、当時はテレビへの出演拒否を大々的に行うフォークシンガーを中心としたミュージシャンが多い中で、事務所側はあえて『ザ・ベストテン』等の音楽番組に積極的に出演させ、ドラマ・CM等のタイアップを図る等のやり方でお茶の間層の取り込みを狙うという戦略を取っていた。 だが、[[1979年|翌年]]の[[3月25日]]に発売した3rdシングル『[[いとしのエリー]]』の発表後から「本格派の音楽バンド」という評価を受け始めるようになり、その人気を確実なものにした<ref name="prof">[http://www.jvcmusic.co.jp/sas/profile/ サザンオールスターズ公式サイト STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!!内プロフィール]</ref>。しかし、その中での多忙な生活は桑田を苦しめ、一時期[[ノイローゼ]]になるほどに疲れきっていたと語っている<ref name="library" />。そのような中“'''FIVE ROCK SHOW'''”と銘打って「[[テレビ]]などに一切出ず、楽曲製作や[[レコーディング]]に集中する」と発表<ref name="bio">http://www.jvcmusic.co.jp/sas/profile/biography/1980.html サザンオールスターズ公式サイト STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!!内バイオグラフィー 1980年</ref>。 === 音楽製作への専念 - 「最高傑作」『KAMAKURA』発売後、活動休止へ === [[1980年]]、“FIVE ROCK SHOW”計画がスタート。「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」と発表したが、そのシングルはメディアへの露出が大幅に減ったのも影響したのか、どれも「ヒット」と呼ぶには至らなかった。この間の[[1981年]]発売のシングル『[[Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)]]』は現在でもサザンの全シングル中ワーストの売り上げを記録している<ref name="chartbook">『SINGLE CHART-BOOK COMPLETE EDITION 1968〜2005』オリコン・エンタテインメント、2006年。</ref>通り、アルバムは毎回チャート上位を獲得するものの、シングルは売り上げが低迷する状態が続いた。 [[1982年]]、[[1月21日]]に発売したシングル『[[チャコの海岸物語]]』が大ヒット。桑田は当時人気絶頂であった[[アイドル]]・[[田原俊彦]]の[[声]]色を意識して歌うなど、起死回生を賭けた開き直りの[[歌謡曲]]だった<ref name="top10">『[[歌のトップテン]]』[[日本テレビ放送網]]、1990年。</ref>。この直後、桑田と原は結婚を発表し、[[東京放送|TBS]]系[[音楽番組]]『[[ザ・ベストテン]]』などでも祝福され、結婚式には[[ファン]]を呼ぶなど公私共に祝事が続いた。 [[1985年]]にはサザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『[[KAMAKURA]]』を発売した。数回の発売延期を重ねつつも長期間のレコーディングセッションの中で生まれたこの濃密なアルバムは、サザン史上最高のアルバムとして評されている<ref name="library" />。同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動もひとつの頂点に達してしまったため、一旦活動を休止。桑田は[[KUWATA BAND]]としての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。 === 活動再開 - 小林武史とのコラボ === [[1988年]][[6月25日]]、デビュー10周年の記念となる日にシングル『[[みんなのうた (サザンオールスターズ)|みんなのうた]]』を発売し、サザンとしての活動を本格的に再開した。加えてこのシングルから[[小林武史]]が[[編曲|アレンジ]]、[[音楽プロデューサー|プロデュース業]]を共に行うようになっている。前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており<ref name="sutekina">『素敵な夢を叶えましょう』角川書店、1999年。</ref>、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。 この時期から楽曲製作に関して「桑田(+[[編曲家|アレンジャー]])+[[スタジオ・ミュージシャン]]+[[プログラマ|プログラマー]]・[[マニピュレーター]]+[[レコーディングエンジニア]]」という図式が見られるようになり<ref name=cre>アルバム『[[Southern All Stars (アルバム)|Southern All Stars]]』1990年、『[[世に万葉の花が咲くなり]]』クレジットより。</ref>、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『[[MOTHER (原由子)|MOTHER]]』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた<ref name="ar">桑田佳祐『アコースティック・レボリューション』にて、1991年</ref>。 [[1991年]]には関口が病気療養で休養に入るが、[[1992年]]、[[7月21日]]に『[[シュラバ★ラ★バンバ|シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度]]』『[[涙のキッス]]』を2枚同時発売し、サザン初、そしてオリコンとしても初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。『涙のキッス』は[[東京放送|TBS]]系[[テレビドラマ|ドラマ]]「[[ずっとあなたが好きだった]]」の主題歌に起用され大ヒット、1ヶ月近く[[オリコン]]首位をキープするなどサザン初のシングルでの[[ミリオンセラー]]を突破した<ref name="golddisc92">[http://www.riaj.or.jp/data/others/million_list/1992.html 日本レコード協会公式サイト内 年度別ミリオンセラー一覧 1992年度]</ref>。 [[1993年]]には『[[エロティカ・セブン]]』が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系ドラマ「[[悪魔のKISS]]」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録<ref name="golddisc93">[http://www.riaj.or.jp/data/others/million_list/1993.html 日本レコード協会公式サイト内 年度別ミリオンセラー一覧 1993年度]</ref>。そんな中、[[1994年]]には桑田がソロ活動を再開、サザンの活動は約1年間休止となった。 === セルフアレンジ時代へ === 小林武史がアルバム『[[世に万葉の花が咲くなり]]』、シングル『[[クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)]]』を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており<ref name="kadokawa96">『別冊カドカワ』角川書店、1996年。</ref>、蜜月の終わりを示唆している。この「危ないヤツ」という表現は、人間性を否定しているものではなく、アレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて、小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである<ref name="kadokawa96" />。<!---一方小林はその後「(いわゆる王道を求める)サザンファンの気持ちを捉える難しさを感じ、その代わりを[[Mr.Children]]に委ねた部分がある」「でもまた、いつか一緒にやれたら…と思う」と語っている。--->その後この小林との縁で[[桑田佳祐&Mr.Children]]名義でのチャリティー活動や、小林とMr.Childrenの[[桜井和寿]]らが中心となって活動する[[Ap bank|ap bank fes]]への出演など、作品面以外での交友が続いている。 [[1995年]]、関口が長期の休養から復帰し、[[5月22日]]にシングル『[[マンピーのG★SPOT]]』で活動を再開。これ以降プロデュース名義は主に'''サザンオールスターズ'''と表記されるようになった。直後に発売されたシングル『[[あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜‎]]』はフジテレビの「[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9]]」枠[[ドラマ]]「[[いつかまた逢える]]」の[[主題歌]]として起用され、ミリオンを超えるセールスを記録した。その後も[[1996年]]に『[[愛の言霊 〜‎Spiritual Message]]』がミリオン突破するなどし、アルバム『[[Young Love]]』は過去最高のアルバム売り上げを記録した。 しかし、[[1997年]]あたりからサザンのイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠い、[[ハードロック]]などを意識した曲を多くリリースするようになり、ライト[[ファン]]離れが急激に加速していった。[[1998年]]には[[ベストアルバム]]リリースブームの中『[[海のYeah!!]]』を発売し、大ヒットを記録した。しかしほぼ同時に発売したオリジナルアルバム『[[さくら (サザンオールスターズ)|さくら]]』は暗い作風や、上記の[[ハードロック]]を意識した作品であったため、過去のアルバム3作連続で記録したミリオンを僅かに下回る結果となった。[[1999年]]には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したが、シングル『[[イエローマン 〜‎星の王子様〜‎]]』は、累計で10万枚を(オリジナル盤)下回る結果となった。 === 『TSUNAMI』記録的ヒット、大森の独立 === 1999年[[9月26日]]、[[9月27日|27日]]、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ『[[東京 (桑田佳祐)#収録曲|可愛いミーナ]]』の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。翌[[2000年]]、[[1月26日]]にシングル『[[TSUNAMI]]』を発売。この曲は前述のイベントから生まれた曲であり、「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。このヒット以降、サザンはある程度保守的な方向性へとシフトチェンジしていく。 サザンのシングルでは久々となった切ないラブバラードのこの曲は、当時大人気だったTBS系[[バラエティ番組]]『[[ウンナンのホントコ!]]』のコーナー『[[未来日記 (ウンナンのホントコ!)|未来日記III]]』のテーマソングとなり、日本音楽史上記録的な大ヒットとなる(再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、オリコン歴代シングル売り上げランキングで3位に、シングル[[コンパクトディスク|CD]]としては現在1位にランクインされている)。かねて何度も逃した[[日本レコード大賞]]もこの年に獲得した。『TSUNAMI』を機にサザンは長らく続いたセールス低迷から脱け出し、続く『[[HOTEL PACIFIC]]』もヒットを記録、夏には桑田の地元である[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]の地元住民の署名運動の結果、2日間の野外ライブ『[[茅ヶ崎ライブ 〜‎あなただけの茅ヶ崎〜]]』を行った。 一方、そのライブが終了した直後に大森が休養を発表し、翌[[2001年]]には正式に独立を発表しメンバーから脱退した。その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。桑田はシングル『[[波乗りジョニー]]』『[[白い恋人達]]』がそれぞれミリオンを超える大ヒットを飛ばした。 === 25周年での活動再開、『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム発表 === [[2003年]][[6月25日]]にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD『[[勝手にシンドバッド|勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス]]』をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げ、発売から25年のブランクを置いて[[オリコン]]ウィークリーチャートで1位を記録。また同日に[[ラジオ#FM放送(超短波放送)|FMラジオ]]局のいくつかが24時間サザン特集を実施するなど、幅広い人気を見せつけている。 [[7月23日]]、シングル『[[涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎]]』をリリースし活動再開。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い、復活をアピールした。[[2005年]]には、『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『[[キラーストリート]]』を発売、[[2006年]]には[[THE 夢人島Fes.]]を開催し、サザンオールスターズとしてもプロモーションのため精力的に活動したが、[[2007年]][[4月]]には[[桑田佳祐]]のソロ活動再開に伴い再び休止することとなった。 === 30周年、そしてバンド活動無期限休止へ === [[2008年]]、30周年に伴うシングル発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、[[2009年]]以降メンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべく、サザンオールスターズとしての活動を無期限休止にすることも発表した([[2006年]]のTHE 夢人島 Fes.を最後に、実質的にサザンとしての活動は行われていなかったものの、この間を活動休止期間と定めていない)。期限を設けない活動休止は、原の出産・KUWATA BANDの活動などがあった[[1985年]] - [[1986年]](活動休止は1988年夏まで)以来2回目のことである。 この活動休止については、発表の当日に[[NHK総合テレビジョン|NHK]]テレビの『[[NHKニュースおはよう日本|おはよう日本]]』がこのニュースを報じた他、民放各局で大々的に取り上げるなど、日本のミュージシャン・ユニットの話題としては異例の報道や特集がなされ、反響を呼んでいる状況である。 <!-- 桑田佳祐はラジオ番組にて“サザン活動停止”に関する余りの反響の大きさに少々戸惑ったことを語っている。 -->桑田自身は『活動休止の理由は、より新しいものをつくるための充電期間』としている。また、『(キラーストリートで)現状でのサザンでできることのほぼすべてをやりつくした』、『今のままでも活動を続けようと思えばできるが、それではサザンという看板にぶらさがっているだけで、甘えているだけになってしまう』とも語った。また、『'''(サザンの)解散は絶対にない'''』と断言している。 == 来歴 == === 1970年代 === * [[1975年]]頃 ** [[青山学院大学]]の[[クラブ活動|サークル]]“Better Days”内で元となるバンドが結成。 * [[1977年]] ** アマチュアバンドのコンクールである「[[ヤマハ]][[EastWest]][[1977年|'77]]」に出場し、桑田がベストボーカル賞を獲得。なおこの時の様子は他の出場者の曲と共に[[レコード|LP]]で発売され、その内サザンのナンバーは『[[熱い胸さわぎ#収録曲|女呼んでブギ]]』が収録された。 * [[1978年]] ** [[6月25日]]、ビクター音楽産業(現[[ビクターエンタテインメント]])からシングル『[[勝手にシンドバッド]]』でデビュー。ファンはこのデビュー日を記念して、毎年6月25日を「サザンの日」と呼んでいる。ちなみに、この日はメンバー全員仕事が無かった。 ** [[7月31日]]、フジテレビ系『[[夜のヒットスタジオ]]』に初登場。メンバー全員ジョギングパンツで登場した。 ** [[8月25日]]、1stアルバム『[[熱い胸さわぎ]]』発売。 ** [[8月31日]]、TBS系『[[ザ・ベストテン]]』にスポットライトでライブハウスより中継で初登場、「勝手にシンドバッド」を演奏。この時同曲はまだランキング下位の無名の状態であったが、徐々に注目を集め、9月から10月にかけてヒットの兆しを見せる。 ** [[11月9日]]、「勝手にシンドバッド」が『ザ・ベストテン』10位にランキングされ、スタジオに登場。ちなみに、同番組のセットでは鏡張りの回転扉の向こうから歌手やバンドのメンバーが登場していたが、彼らが登場する際にはなぜか扉が[[アルミ箔]]に変えられており、メンバー一同は桑田を先頭に、アルミ箔を蹴破って登場した。 ** [[11月25日]]、2ndシングル『[[気分しだいで責めないで]]』発売。 ** [[12月10日]]、初のライブツアー『胸さわぎ』スタート。 * [[1979年]] ** [[3月20日]]、ライブツアー『春五十番コンサート』スタート。全50公演にも及ぶ長丁場であり、アルバムのレコーディングもライブのリハーサルを掛け持ちしながらの過密なスケジュールのなか行われた。 ** [[3月25日]]、3rdシングル『[[いとしのエリー]]』発売。 ** [[4月5日]]、2ndアルバム『[[10ナンバーズ・からっと]]』発売。これ以降すべてのオリジナルアルバムがオリコンチャートで初登場TOP10入りとなっている。 ** [[7月25日]]、4thシングル『[[思い過ごしも恋のうち]]』発売。 ** [[9月22日]]、ライブツアー『Further on up the road』スタート。 ** [[10月25日]]、5thシングル『[[C調言葉に御用心]]』発売。 ** [[11月25日]]、企画アルバム『[[ベスト・オブ・サザンオールスターズ]]』発売。 ** 『いとしのエリー』が[[COUNTDOWN JAPAN (ラジオ番組)|コーセー歌謡ベストテン]]年間チャートで1位を獲得。 ** 『10ナンバーズ・からっと』で[[第21回日本レコード大賞]] ベスト・アルバム賞受賞。 ** [[12月31日]]、『いとしのエリー』で[[NHK紅白歌合戦]]に初出場。 === 1980年代 === * [[1980年]] ** 楽曲製作に重きを置くためテレビ出演を控えるようになる。その流れで「[[わすれじのレイド・バック#収録曲|FIVE ROCK SHOW]]」と銘打ち、シングルを5ヶ月連続毎月リリースする計画を発表した。 ** [[2月21日]]、6thシングル『[[涙のアベニュー]]』発売。 ** [[3月21日]]、7thシングル『[[恋するマンスリー・デイ]]』、3rdアルバム『[[タイニイ・バブルス]]』を発売。[[オリコン]]チャートでサザンとしてはシングル・アルバム通して初のオリコンチャート1位を獲得する。更に、この作品から全てのオリジナルアルバムがオリコンチャート1位を記録している。 ** [[5月21日]]、8thシングル『[[いなせなロコモーション]]』発売。 ** [[6月21日]]、9thシングル『[[ジャズマン|ジャズマン (JAZZ MAN)]]』発売。 ** [[7月5日]]、企画アルバム『[[Kick Off!]]』発売。 ** [[7月19日]]、ライブツアー『サザンオールスターズがやってくる ニャー!ニャー!ニャー!』スタート。タイトルは言わずと知れた[[ビートルズ]]の『[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!]]』をもじったもの。 ** [[7月21日]]、10thシングル『[[わすれじのレイド・バック]]』発売。 ** [[11月21日]]、11thシングル『[[シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー|シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー]]』発売。 ** [[12月5日]]、企画アルバム『[[アーリー・サザンオールスターズ]]』発売。 ** [[12月10日]]、ライブツアー『ゆく年・くる年』スタート。初の[[日本武道館]]公演を行う。 * [[1981年]] ** [[4月]]、原のソロシングル『I Love Youはひとりごと』が「歌詞が卑猥である」として放送禁止になり、横浜の[[日本ビクター]]本社ビル屋上で抗議の[[ゲリラ]][[演奏会|ライブ]]を行う。ビートルズの[[ビートルズの解散問題#『ゲット・バック』セッション|ゲット・バック・セッション]]を意識した行動である。 ** [[6月21日]]、12thシングル『[[Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)]]』発売。 ** [[7月4日]]、ライブツアー『そちらにおうかがいしてもよろしいですか?』スタート。このツアーで桑田の故郷・[[茅ヶ崎市|茅ヶ崎]]にある茅ヶ崎市民会館で初の地元公演を行う。 ** [[7月21日]]、4thアルバム『[[ステレオ太陽族]]』発売。 ** [[9月21日]]、13thシングル『[[栞のテーマ]]』発売。 ** [[映画]]『モーニングムーンは粗雑に』の音楽監督をサザンオールスターズとして務め、『[[Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)]]』や『[[Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)#収録曲|朝方ムーンライト]]』、『[[栞のテーマ]]』などが起用される。 ** [[10月25日]]、企画アルバム『[[SOUTHERN ALL STARS BEST ONE '82|SOUTHERN ALL STARS BEST]]』発売。後に『BEST ONE '82』としてジャケットのみ若干変更し発売されたが、内容は同一。 ** [[12月31日]]、『ステレオ太陽族』で[[第23回日本レコード大賞]] '81 アルバムベスト10受賞。 * [[1982年]] ** [[1月9日]]、ライブツアー『愛で金魚が救えるか? サザンオールスターズ Paa Pooツアー '82』スタート。 ** [[1月21日]]、14thシングル『[[チャコの海岸物語]]』発売。 ** [[1月26日]]、同月9日から行われていたツアーの最終日、日本武道館公演で桑田と原が[[結婚]]を発表する。 ** [[5月1日]]、企画アルバム『[[Shout!]]』発売。 ** [[5月21日]]、15thシングル『[[匂艶 THE NIGHT CLUB]]』発売。 ** [[7月21日]]、5thアルバム『[[NUDE MAN]]』発売。ジャケットにおさめられたお尻の写真が、桑田のものではないかと話題になる。 ** [[9月8日]]、ライブビデオ『武道館コンサート』発売。同年[[1月26日]]に行われた[[日本武道館]]でのコンサートを収録。 ** [[9月21日]]、ライブツアー『青年サザンのふらちな社会学 ツアー THE NUDE MAN』スタート。アルバムタイトルを冠したタイトル。初めて年を跨いでのツアーで、現在でも最多の全57公演の長丁場であった。 ** [[10月2日]]、16thシングル『[[Ya Ya (あの時代を忘れない)]]』発売。 ** [[12月5日]]、初のバラードベスト『[[バラッド '77〜‎'82]]』発売。オリコンチャートでは登場週数100週以上に及ぶロングセラーになっている。 ** 『チャコの海岸物語』で第16回[[全日本有線放送大賞]]最多リクエスト曲賞受賞。グループとしても最多リクエスト歌手賞を受賞する。 ** 『NUDE MAN』で[[第24回日本レコード大賞]] ベスト・アルバム賞、'82 アルバムベスト10を受賞。 ** [[12月31日]]、『チャコの海岸物語』で2度目の紅白出場。その中での桑田のパフォーマンスが物議を醸す。 * [[1983年]] ** [[1月26日]]、ビデオ『Southern All Stars THE BEST』『匂艶 THE NIGHT CLUB』発売。 ** [[3月5日]]、17thシングル『[[ボディ・スペシャルII]]』発売。 ** 自主レーベル「[[ビクタータイシタ|TAISHITAレーベル]]」設立(原による命名)。 ** 『いとしのエリー』が人気ドラマ『[[ふぞろいの林檎たち]]』([[東京放送|TBS]]系)の[[主題歌]]に起用され人気再燃。またその他の曲も同番組の[[挿入歌]]に使用された。 ** [[7月5日]]、18thシングル『[[EMANON]]』、6thアルバム『[[綺麗]]』発売。 ** [[7月24日]]、「[[オールナイトニッポン|ALL NIGHT NIPPON]] SUPER FES. '83」に出演し[[大瀧詠一]]、[[ラッツ&スター|RATS&STAR]]と競演する。最後は「[[蛍の光]]」、「[[上を向いて歩こう]]」をセッションした。 ** [[10月24日]]、ライブツアー『SASたいした発表会 私は騙された!!ツアー'83』スタート。年を跨いでの公演。 ** [[11月5日]]、19thシングル『[[東京シャッフル]]』発売。 ** [[12月6日]]、企画アルバム『[[原由子 with サザンオールスターズ]]』発売。 ** 『バラッド '77〜'82』が1983年度[[オリコン]]年間[[コンパクトカセット|CT]]セールスチャート第1位を獲得。 ** 『綺麗』で[[第25回日本レコード大賞]] ベスト・アルバム賞、'83 アルバムベスト10を受賞。 ** [[12月31日]]、『東京シャッフル』で3度目の紅白出場。サザンとして最後の出場となった。 * [[1984年]] ** [[6月25日]]、20thシングル『[[ミス・ブランニュー・デイ|ミス・ブランニュー・デイ (MISS BRAND-NEW DAY)]]』発売。 ** [[7月7日]]、7thアルバム『[[人気者で行こう]]』発売。この作品以降、発売した全てのアルバムでオリコンチャート初登場1位を記録。 ** [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系にて『サザンの勝手にナイト あ!う○こついてる』が全5回に渡り放送。[[三宅裕司]]、[[小倉久寛]]ら[[スーパー・エキセントリック・シアター]](SET)がおりなす[[コント]]番組。スタジオや舞台でのコント、三宅の楽器教室、『[[人気者で行こう]]』収録曲のスタジオライブや洋楽カバーの舞台ライブなど、様々なコーナーがあった。また、番組内で三宅は松田と共にツインドラムを披露するなど意外な一面を見せた。 ** [[7月20日]]、ライブツアー『熱帯絶命!ツアー夏「出席とります」』スタート。サザン初の野外[[スタジアム]]ツアー。オープニング・アクト([[前座]])として、現在はサポートメンバーとしても知られる[[斎藤誠]]と、斎藤のサポートを務めた[[河内淳一]]・片山敦夫・今野多久郎・角田俊介らの在籍するバンド、[[STRIX!]]が出演。河内・片山・角田はこの時期に桑田と面識が出来たという。 ** [[9月]]、シングル『[[Tarako]]』のレコーディング・ビデオ撮影を兼ねて、約1ヶ月間[[ロサンゼルス]]へ渡る。 ** [[10月21日]]、21stシングル『[[Tarako]]』発売。 ** [[10月25日]]、ライブツアー『大衆音楽取締法違反 "やっぱりアイツはクロだった!" 実刑判決2月まで』スタート。タイトル通り翌年2月までのロングツアー。 ** [[12月21日]]、ビデオ『サ吉のみやげ話』発売。“サ吉”とはサザン、みやげ話とはロサンゼルスで行われたレコーディング・ビデオ撮影の事を指す。 ** 『人気者で行こう』で[[第26回日本レコード大賞]] 優秀アルバム賞受賞。 ** [[12月31日]]、初の年越しカウントダウンライブ『縁起者で行こう』、[[新宿コマ劇場]]にて開催。もともと紅白のオファーがあったものを急遽キャンセルされたために行われたものとされ、現在紅白出場を実質拒否し続ける決定的な原因であると言われている。ライブには[[スーパー・エキセントリック・シアター|SET]]、[[嘉門達夫]]、[[斎藤誠]]らも出演。 * [[1985年]] ** [[5月26日]]、22ndシングル『[[Bye Bye My Love (U are the one)]]』発売。 ** [[8月21日]]、23rdシングル『[[メロディ (サザンオールスターズ)|メロディ (Melody)]]』発売。 ** [[9月14日]]、8thアルバム『[[KAMAKURA]]』発売。 ** [[9月21日]]、ライブツアー『KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズAVECトゥレ・クンダ』スタート。アルバム発売から1週間後、『KAMAKURA』を引っさげてのツアー。 ** 『KAMAKURA』で[[第27回日本レコード大賞]] 優秀アルバム賞受賞。 * [[1986年]] ** 原の産休のため一時活動休止。その間は各個人ソロ活動を行う。 ** 桑田は[[KUWATA BAND]]として1年限定の活動を開始。サザンでは達成できていなかったシングルでのオリコンチャート1位を樹立するなどの活躍を見せた。 * [[1987年]] ** [[6月21日]]、4年半ぶりのバラッド第2弾、『[[バラッド2 '83〜‎'86]]』発売。 この年から関口が桃太郎シリーズのスタッフになった。伝説から最終作の電鉄ワールドDSまで音楽担当した * [[1988年]] ** [[6月25日]]、活動再開。24thシングル『[[みんなのうた (サザンオールスターズ)|みんなのうた]]』発売。 ** [[7月26日]]、サザンとして3年ぶりの、デビュー10周年を記念する野外ライブツアー『サザンオールスターズプレゼンツ 1988大復活祭』スタート。 * [[1989年]] ** [[4月12日]]、25thシングル『[[女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)]]』発売。同曲と「Oh! クラウディア」「みんなのうた」の[[ミュージック・ビデオ|ビデオクリップ]]を収録したビデオも同時発売。 ** [[6月7日]]、26thシングル『[[さよならベイビー]]』発売。シングル初のオリコンチャート1位を獲得する。 ** [[7月21日]]、初のベストアルバム『[[すいか SOUTHERN ALL STARS SPECIAL 61SONGS]]』を限定発売。西瓜を模した缶に4枚のCDと西瓜模様のトランクスとパンティーが入っている。 ** [[11月21日]]、27thシングル『[[フリフリ'65]]』発売。 ** [[12月31日]]、『縁起者で行こう』以来のカウントダウンライブ『いっちゃえ'89 サザンde'90』を[[横浜アリーナ]]で開催。サザンの曲も演奏したが、[[エルヴィス・プレスリー]]やビートルズ等の洋楽のカバーが大半を占めた。以降も同会場で、サザン・ソロ共にほぼ毎年ライブを開催し続けている。 === 1990年代 === * [[1990年]] ** [[1月13日]]、9thアルバム『[[Southern All Stars (アルバム)|Southern All Stars]]』発売。初回限定盤と通常版を合算して、アルバムでは初の[[ミリオンセラー|ミリオン]]突破を超える売り上げを記録。 ** 第4回[[日本ゴールドディスク大賞]]アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** [[2月28日]]、5年振りの全国アリーナ(屋内)ツアー『夢で逢いまSHOW』スタート。 ** [[7月25日]]、28thシングル『[[真夏の果実]]』発売。 ** [[9月1日]]に、Southern All Stars & All Stars名義でサウンドトラック『[[稲村ジェーン (サウンドトラック)|稲村ジェーン]]』発売。サントラアルバムとしては異例のミリオンセラーの売り上げを記録。 ** [[9月7日]]、桑田の監督作品『[[稲村ジェーン]]』公開。 ** [[12月31日]]、年越しライブ『歌うサザンに福来たる』開催。TBS系にて全国ネットで生放送。サポートキーボードとして当時のアレンジャー、[[小林武史]]も参加。 ** 『真夏の果実』で[[第32回日本レコード大賞]] [[ポピュラー音楽|ポップス]]・[[ロック (音楽)|ロック]]部門 ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。『Southern All Stars』でポップス・ロック部門 優秀アルバム賞受賞。 * [[1991年]] ** 第5回日本ゴールドディスク大賞・ベスト5アーティスト賞受賞。更にサザンオールスターズ&オールスターズ名義で発売したサウンドトラック『稲村ジェーン』でロック・[[フォークソング|フォーク]]部門([[男性]])アルバム賞受賞。 ** [[7月10日]]、29thシングル『[[ネオ・ブラボー!!]]』発売。 ** [[8月14日]]、東名阪の野外スタジアムツアー『THE音楽祭 1991』スタート。ライブは新旧の曲をこれまで以上に多彩なアレンジで聴かせ、全35曲に及ぶ長丁場であった。この時期から関口が体調不良による休養でサザンの活動から一時離れる。 ** [[12月29日]] - [[12月31日|31日]]、年越しライブ『闘魂! ブラディ・ファイト年越しライブ』開催。年越しライブと題されたものとしてはこの時が初めてで、更にこの年から大晦日だけでなく数日間の公演が開催されている。ロックとプロレスとの融合がテーマで、リングアナの紹介によるプロレスラー風のメンバー登場、[[辻よしなり]]・[[山本小鉄]]による実況解説、[[馳浩]]・[[蝶野正洋]]ら[[新日本プロレス]]によるライブ乱入など正にプロレスを思わせる演出であった。尚、このライブは[[東京放送|TBS]]系での放送にもかかわらず、当時[[テレビ朝日]]アナウンサーであった辻が抜擢され、同局の「[[ワールド・プロレスリング]]」を思わせる演出であった事に辻は、TBSの懐の深さと、出演の為に声をかけてくれた桑田に感謝したと述べている。また中盤にはサザンとビートルズの合体メドレーコーナーも設けられた。 ** [[12月31日]]、[[NHK紅白歌合戦]]に原がソロ出場。出場が決まった時点ではシングル曲『じんじん』を唄うと発表されていたが、シングル曲以上に知名度が高い『花咲く旅路』が選曲され、原は着物姿でグランドピアノを弾きながら唄った。同日は[[横浜アリーナ]]でのサザンの年越しライブもあった為、原は短時間での会場間の大移動であった。 * [[1992年]] ** [[7月18日]]、30thシングル『[[シュラバ★ラ★バンバ|シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度]]』、31stシングル『[[涙のキッス]]』を同時発売。オリコン史上初の初登場で1,2位を独占する。同時に『[[涙のキッス]]』がシングルで初のミリオン突破。 ** [[9月12日|9月12]]・[[9月13日|13日]]、コンサート『南天群星 北京で会いましょう』開催。2日間に渡り[[中華人民共和国|中国]]・[[北京市|北京]]で公演を行うが、初日公演では中盤で桑田が体調不良を訴えたが、桑田が下がっている間、大森と[[小倉博和]]による即興ギターバトルや、原が予定には無かった、ぶっつけ本番の即興ピアノ弾き語りで『花咲く旅路』を唄うなどして乗り切った。2日目は体調万全でライブも無事成功。後日談では、松田・野沢も北京入りした時点で一時体調を大きく崩したという。関口はライブには不参加だったものの、北京に同行し客席からライブを観覧した。 ** [[9月26日]]、10thアルバム『[[世に万葉の花が咲くなり]]』発売。 ** [[10月14日]]、全国アリーナツアー『歌う日本シリーズ 1992〜1993』スタート。ツアー初日、アンコールの『夕方HOLD ON ME』で、暫く休養中だった関口和之が登場し[[タンブリン|タンバリン]]を叩きながら共に歌った。 ** [[12月31日]]、『涙のキッス』で[[第34回日本レコード大賞]] ポップス・ロック部門 ゴールド・ディスク賞を受賞。『世に万葉の花が咲くなり』でポップス・ロック部門 アルバム大賞受賞。 ** TBS系『[[元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」]]』にて、年越しのカウントダウンを挟み、デビューからの歴史を振り返る『[[元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」#サザンオールナイト ロック怪獣サザン伝説|ロック怪獣サザン伝説]]』が放送。 * [[1993年]] ** 第7回日本ゴールドディスク大賞・ベスト5アーティスト賞受賞。更に『涙のキッス』でベスト5・シングル賞を受賞。 ** [[3月27日]]、ライブビデオ『歌う日本シリーズ 1992〜1993 LIVE at YOKOHAMA ARENA 29th Dec.1992』発売。1982年に発売された『武道館コンサート」は一部抜粋のみの編集だった為、サザンとしては初めてほぼ全編を収録したライブビデオとなった。 ** [[7月21日]]、32ndシングル『[[エロティカ・セブン]]』、33rdシングル『[[素敵なバーディー (NO NO BIRDY)]]』を同時発売。『エロティカ・セブン』が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系ドラマ『[[悪魔のKISS]]』の主題歌に起用され、当時の自己シングル売り上げトップを記録する。 ** [[9月8日]]、[[Z団]]名義でサザンの曲をリミックスしたアルバム(オリコンなどではシングル扱い)『[[江ノ島 〜‎Southern All Stars Golden Hits Medley]]』を発売。 ** [[11月20日]]、34thシングル『[[クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)]]』発売。 ** [[12月11日]]、年末ライブ『しじみのお味噌汁』スタート。会場は[[横浜アリーナ]]のみで、31日のカウントダウンまで全12公演の予定であったが、中盤の4公演が松田の体調不良の為、年明けの[[1月2日]] - [[1月5日|5日]]に順延となった。中盤では[[原由子|原]]のメドレーコーナーもあり、従来のサザンのライブでは原は1曲だけボーカル曲を歌っていたが、このライブでは5曲披露。特にラストのソロ曲『じんじん』ではステージフロントに踊り出てハンドマイクで唄った。 * [[1994年]] ** Z団名義で発売した『江ノ島 〜Southern All Stars Golden Hits Medley』で第8回日本ゴールドディスク大賞・アルバム賞/企画部門を受賞。 ** 2度目の活動休止期間に入り、桑田のみがソロ活動を行う。 ** 12月の[[アクト・アゲインスト・エイズ|AAA]]にサザンとして出演。休養中だった関口も登場し、久々に6人揃った姿をファンに見せた。 * [[1995年]] ** [[5月22日]]、35thシングル『[[マンピーのG★SPOT]]』発売と同時に本格的に活動再開。バンドから長期離脱していた関口が正式に復帰する。 ** [[6月24日]]、ベストアルバム『[[HAPPY!]]』発売。完全予約限定生産の作品で、70万セットが即日完売した。 ** [[7月17日]]、36thシングル『[[あなただけを 〜‎Summer Heartbreak〜]]』発売。3作目のミリオンシングルとなる。 ** [[8月5日|8月5]]・[[8月6日|6日]]、サザン復活を記念する野外イベント『スーパーライブ in 横浜 ホタル・カリフォルニア』横浜[[みなとみらい]]にて開催。 企画の段階では[[富士山]]の麓で行う案もあったという。タイトルは[[イーグルス]]の『[[ホテル・カリフォルニア]]』を捩ったもの。このライブにおける1公演での観客動員数8万人は、現在でもサザンのライブ1公演最高動員数記録である。ゲストとして[[西城秀樹]]や[[鬼太鼓座]]が登場。 ** [[12月2日]]、ライブビデオ『ホタル・カリフォルニア (HOTARU CALIFORNIA)』発売。 * [[1996年]] ** [[5月20日]]、37thシングル『[[愛の言霊 〜‎Spiritual Message]]』発売。4作目のミリオンシングルとなる。 ** [[6月25日]]、38thシングル『[[太陽は罪な奴]]』発売。 ** [[7月20日]]、11thアルバム『[[Young Love]]』発売。約250万枚を売上げ、オリジナルアルバムでは最高の売上を記録。 ** [[8月4日]]、野外ライブツアー『ザ・ガールズ万座ビーチ』スタート。タイトルは[[ザ・ビーチボーイズ]]の『ガールズ・オン・ザ・ビーチ』を捩ったもの。[[9月22日]]の[[横浜スタジアム]]公演が台風のため延期となり、[[10月12日]]に順延となった。また、[[1979年]]のツアー『春五十番コンサート』以来17年ぶりとなる[[沖縄県|沖縄]]での公演も行われ話題となった。 ** [[12月28日]] - [[12月31日|31日]]、年越しライブ『牛』開催。また、幅広い活動で充実に至った1年間を振り返り、ファンに向けて感謝のメッセージを綴った[[ア・カペラ]]曲『[[平和の牛歌]]』を唄う。 * [[1997年]] ** [[3月5日]]、ビデオ『平和の琉歌 〜Stadium Tour 1996 "ザ・ガールズ万座ビーチ" in 沖縄〜』発売。『平和の琉歌』のPV、ライブツアーのドキュメント、ボーナストラックとして前年末の年越しライブで唄われた『平和の牛歌』が収録された。 ** [[8月21日]]、39thシングル『[[01MESSENGER 〜‎電子狂の詩〜]]』発売。 ** [[衛星放送|CS]]特番『01 MESSEAGE』放送。のちに『さくら』に収録される新曲の初披露やインタビュー、ビクターのビル屋上でのライブなどがオンエアされた。インターネットによる同時放映も試みられ、当時のアクセス記録数を更新。 ** [[11月6日]]、40thシングル『[[BLUE HEAVEN]]』発売。 ** [[12月27日]] - [[12月31日|31日]]、年越しライブ『おっぱいなんてプー』開催。この年から単独の年越しライブ公演は[[12月27日]]・[[12月28日|28日]]・[[12月30日|30日]]・[[12月31日|31日]]の全4日公演が定着した。また、アンコールで新曲『[[LOVE AFFAIR 〜‎秘密のデート〜]]』が初披露されPV撮影も同時に行われた。 * [[1998年]] ** [[2月11日]]、41stシングル『[[LOVE AFFAIR 〜‎秘密のデート〜]]』発売。 ** [[6月6日]]、[[日清パワーステーション]]にてファイナル・セッションに参加。当初はメンバーが個別参加としか伝えられてなかったことと、収容数が少なかったため、非常にレアなイベントとなった。 ** [[6月25日]]、デビュー20周年を記念してベストアルバム『[[海のYeah!!]]』発売。 ** [[7月29日]]、42ndシングル『[[PARADISE (サザンオールスターズ)|PARADISE]]』発売。 ** [[7月31日]]、TBS系『[[金曜テレビの星!]]』内にて、『サザン20周年緊急特番 バカさわぎの腰つき』放送。[[岸谷五朗]]・[[寺脇康文]]を司会に20年間を振り返る。熱狂的サザンファンを公言する[[爆笑問題]]も登場。さらには往年の『[[ザ・ベストテン]]』もこの日限りの復活。 ** [[8月8日|8月8]]・[[8月9日|9日]]、20周年記念野外ライブ『スーパーライブ in 渚園 モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜』、[[静岡県]]・[[浜名湖]]畔「[[渚園]]」にて開催。爆笑問題もゲスト出演した。 ** [[9月23日]]、[[JAPAN FM LEAGUE|JFL]]発足5周年を記念して、「サザンを通じて人と音楽の素晴らしい関係を表現したい」というテーマで企画、制作された特別[[ラジオ番組]]「[[JFL 5TH ANNIVERSARY SPECIAL 三菱電機モバイル BLOW IN THE SOUTHERN WIND]]」が放送された。[[ラジオパーソナリティ|ナビゲーター]]は[[小林克也]]が務め、ゲストとしてメンバー全員が出演、ミニライブも披露した。 ** [[10月21日]]、12thアルバム『[[さくら (サザンオールスターズ)|さくら]]』発売。 ** [[12月12日]]、ライブビデオ『スーパーライブ in 渚園』発売。 * [[1999年]] ** 『海のYeah!!』と『さくら』の2作品で、第13回日本ゴールドディスク大賞・ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** [[3月24日]]、『Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス)〜素敵な春の逢瀬〜』スタート。初の4大[[ドーム]]公演を含めた大規模なツアーとなる。タイトルはサブタイトルの『素敵(すてき)な春(はる)の逢瀬(おうせ)』を逆から読んだもの。 ** [[3月25日]]、43rdシングル『[[イエローマン 〜‎星の王子様〜‎]]』発売。 ** [[6月26日]]、[[茅ヶ崎海水浴場]]が[[サザンビーチちがさき]]と改名される。 ** [[9月26日|9月26]]・[[9月27日|27日]]、ファンクラブ限定ライブ『'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町』開催。デビュー以来、初めて本格的に[[ライブハウス]]で行われた。 ** [[12月10日]]、[[DVD-Video|DVDソフト]]『SPACE MOSA』発売。 ** [[12月27日]] - [[12月31日|31日]]、年越しライブ『晴れ着 DE ポン』開催。開演前に『[[TSUNAMI]]』のPVが初公開。中盤で初演奏された。ミレニアムメドレーと題したメドレーコーナーも組まれた。 === 2000年代 === * [[2000年]] ** [[1月26日]]、44thシングル『[[TSUNAMI]]』発売。シングルとしての自己最高セールスを記録。サザン最大のヒット曲に。 ** 『TSUNAMI』で第14回[[日本ゴールドディスク大賞]]でソング・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** [[2月26日]]、ライブビデオ『シークレットライブ'99 SAS 事件簿 in 歌舞伎町』発売。 ** [[7月19日]]、45thシングル『[[HOTEL PACIFIC]]』発売。 ** [[8月19日|8月19]]・[[8月20日|20日]]、地元住民の署名活動が実り、[[1981年]]のツアー以来19年ぶりに茅ヶ崎の茅ヶ崎公園野球場で2日間の[[コンサート]]『[[茅ヶ崎ライブ 〜‎あなただけの茅ヶ崎〜‎]]』を行う。18日にはファンクラブ会員と地元市民を客席に招き公開ゲネプロ(本番同様のリハーサル)も行い、実質3公演とも言えるライブであった。なお、このライブ直後に大森がサザンとしての活動を休止する発表をしたため、これが6人編成での最後のライブとなった。 ** [[11月1日]]、46thシングル『[[この青い空、みどり ‎〜BLUE IN GREEN〜‎‎]]』発売。 ** [[11月22日]]、13年ぶりのバラッド第3弾『[[バラッド3 〜‎the album of LOVE〜]]』発売。次々と最年長記録を樹立し、セールスも280万枚を超えるものとなる。 ** [[11月30日]]、『TSUNAMI』で2000年度[[オリコン]]年間[[シングル]]セールスチャート第1位を記録。同[[カラオケ]]チャートでも年間1位を記録した。 ** 更に『TSUNAMI』が2000年[[COUNT DOWN TV|CDTV]]年間シングルチャート第1位を記録。 ** [[12月27日]]、年越しライブ『ゴン太くんのつどい』開催。大森の穴を埋めるためのサポートギタリストとして斎藤誠が参加し、これが事実上5人編成での最初のライブとなった。 ** [[12月31日]]、『TSUNAMI』で[[第42回日本レコード大賞]]を初受賞。年越しライブの準備中横浜アリーナから受賞会場に駆けつけ、『ようやく[[美空ひばり|ひばり]]さんの背中が見えました』とのコメントを残す。直後に再び横浜アリーナに向かい年越しライブを行う。 * [[2001年]] ** 『バラッド3 〜the album of LOVE〜』で第15回日本ゴールドディスク大賞・ロックアルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** 『TSUNAMI』が2001年[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]賞 金賞、カラオケ分配額最高位を獲得。 ** [[8月11日]]、[[8月7日]]付で大森が正式に独立したことを『[[桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜‎やさしい夜遊び〜]]』内で発表。 * [[2002年]] ** 大森独立の影響で一時バンド活動休止。主に桑田がソロ活動を行う。 * [[2003年]] ** [[6月25日]]、デビュー25周年を記念し、25万セット限定でデビューシングル『[[勝手にシンドバッド#勝手にシンドバッド (2003年版)|勝手にシンドバッド]]』を特例の再発。翌週にはオリコンチャートで発売から25年経過してのオリコン1位獲得という記録を樹立。 ** [[6月28日]]、ファンクラブ限定ライブ『建長寺ライブ』開催。この模様は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『[[27時間テレビ#FNS27時間テレビ みんなのうた|FNS27時間テレビ みんなのうた]]』内の『[[桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜]]』の企画として放送された。 ** [[7月23日]]、47thシングル『[[涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎]]』発売。本格的に活動を再開する。 ** 野沢が持病の[[ヘルニア]]のためサザンとしての活動を休止。 ** [[8月16日]]、25周年野外ライブツアー『流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜』スタート。タイトルは桑田のラジオ番組で回文を募集し、つけられたものである。定番曲に加え、それまでライブで唄われる事が少なかった初期の曲もメドレーで演奏された。[[札幌市|札幌]]・[[福岡県|福岡]]でのファンクラブ限定ライブハウス公演と[[横浜市|横浜]]・[[名古屋]]・[[神戸市|神戸]]での本公演の他、特別公演として[[沖縄県|沖縄]]でも開かれた。 ** [[8月30日]]、初のイメージビデオ『[[Inside Outside U・M・I]]』発売。サザンの夏をイメージした楽曲をBGMに、海の映像などを収録したイメージビデオになっている。 ** [[11月30日]]、[[HMV]]が発表した『[http://www.hmv.co.jp/news/newsDetail.asp?newsnum=311040091 邦楽アーティストの重要な100人 (Top 100 Japanese pops Artists - No.1)]』の第1位に選ばれる。なお、桑田個人としても同チャートの12位に選出された。 ** [[12月17日]]、ライブビデオ『SUMMER LIVE 2003「流石だスペシャルボックス」胸いっぱいの "LIVE in 沖縄" & 愛と情熱の "真夏ツアー完全版"』発売。1万円を越す高額商品にも拘らず、オリコンDVDチャートで1位を獲得し、セールスも10万枚を超える大ヒットとなった。 * [[2004年]] ** 『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』で第18回日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** [[4月14日]]、48thシングル『[[彩 〜‎Aja〜‎]]』発売。 ** [[7月18日]]、ファンクラブ限定ライブ『真夏の夜の生ライブ 海の日スペシャル』開催。同日深夜に『サザンオールスターズ 真夏の夜の生ライブ 〜海の日スペシャル〜』と題し[[フジテレビジョン|フジテレビ]]がこのライブを生中継。 ** [[7月21日]]、49thシングル『[[君こそスターだ/夢に消えたジュリア|君こそスターだ/夢に消えたジュリア]]』発売。オリコン初登場1位を獲得、シングル通算TOP10入り記録を39とし、[[田原俊彦]]とタイとなる。 ** [[11月24日]]、50thシングル『[[愛と欲望の日々|愛と欲望の日々/LONELY WOMAN]]』発売。オリコン初登場1位を獲得しチャートトップ10入り通算40作を達成。自らの持つ39作の記録を更新し同記録の単独トップとなる。 ** [[12月15日]]、初の[[ミュージック・ビデオ|PV]]集『[[ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)]]』発売。 ** [[12月27日]]、年越しライブ『暮れのサナカ』開催。タイトルは前年に続き桑田のラジオ番組で公募された。中盤では「横浜探偵物語」と題しスクリーンでの『[[探偵物語]]』のパロディーコントに合わせ、横浜に因んだサザンの楽曲と[[青江三奈]]・[[淡谷のり子]]・[[いしだあゆみ]]・[[中村雅俊]]等の横浜ソングのメドレーコーナーも設けられた。 * [[2005年]] ** 『君こそスターだ/夢に消えたジュリア』で第19回日本ゴールドディスク大賞・ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。更にDVD『ベストヒットUSAS (Ultra Southern All Stars)』で[[ミュージック・ビデオ]]・オブ・ザ・イヤーを受賞。 ** [[3月31日]]、『愛と欲望の日々』で[[SPACE SHOWER Music Video Awards]] [[2005年|05]]・BEST ART DIRECTION VIDEOを受賞。 ** [[6月25日]]、『TSUNAMI』までのシングル作品44枚を再リリースし24日付のオリコンデイリーチャートTOP50内に44作品全てがランクイン。また、翌週のウィークリーチャートでもTOP100内に44作同時ランクインし、同一アーティストの作品の同時ランクイン数を塗り変えた(それまでの記録は[[松任谷由実]]の16作、3位(14作)、4位(12作)は共にサザン)。更に『TSUNAMI』は『[[だんご3兄弟]]』を抜いてオリコンシングルセールス歴代3位(293万枚・CDシングルとしては単独1位)となった。 ** 野沢がヘルニアのためサザンとしての活動を再度休止。 ** [[7月20日]]、51stシングル『[[BOHBO No.5/神の島遥か国|BOHBO No.5/神の島遥か国]]』発売。 ** [[8月7日]]、[[国営ひたち海浜公園]]で行われた「[[ROCK IN JAPAN FESTIVAL]] [[2005年|2005]]」にバンドとしては初出演。3日間にわたるフェスの最終日、メインステージの最後を飾った。 ** [[10月5日]]、13thアルバム『[[キラーストリート]]』発売。 ** [[10月13日]]、6年ぶりの全国ツアー『みんなが好きです!』が[[広島市|広島]]からスタートし、[[12月31日]]に横浜アリーナでの恒例年越し公演まで5大ドームツアーを含めた全21公演を行う。 * [[2006年]] ** 『キラーストリート』で第20回日本ゴールドディスク大賞・ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。 ** [[3月15日]]、サザンとしては初のドキュメントビデオを含めたライブDVD『FILM KILLER STREET (Director's Cut) & LIVE at TOKYO DOME』を発売。 ** [[8月9日]]、52ndシングル『[[DIRTY OLD MAN 〜‎さらば夏よ〜‎]]』発売。オリコン初登場1位を獲得、2週目にも2位を記録し、シングル通算TOP10入り週数が240週となり、[[山口百恵]]を抜き歴代単独1位となる。 ** [[8月26日|8月26]]・[[8月27日|27日]]、桑田の呼びかけでサザンオールスターズを中心に[[アミューズ]]の人気アーティストや、桑田と親交の深いアーティストがゲストとして挙って出演した野外フェスティバル『[[THE 夢人島 Fes.|THE 夢人島 Fes.2006]]』を行う。サザン及び桑田が主催するフェスティバルの開催は初。 * [[2007年]] ** [[1月]]、ビクターエンタテインメントとアミューズがサザンの楽曲管理・配信などを行う合弁会社「タイシタレーベルミュージック」を設立<ref>[http://www.jvcmusic.co.jp/company/press/2006/1222.html ビクターエンタテインメントとアミューズによる新会社を設立] 日本ビクタープレスリリース 2006年12月22日発表</ref>。 ** [[4月]]、桑田のソロ活動決定が発表され、再びバンドでの活動が休止。 * [[2008年]] ** [[5月19日]]、デビュー30周年を迎えるにあたり、作品リリースやライブ開催など活動再開に関わる報告と同時に、翌[[2009年]]以降無期限でのバンド活動休止が発表。この発表に関しては[[5月12日]]の[[東京スポーツ]]紙上で「サザン活動休止、解散か」との報道がなされ、それを正式発表した形になった(解散については否定)。過去20年間にわたり、何度か活動休止期間があったものの、公式に無期限休止が発表されるのは初めて。この報道はサザンオールスターズの存在がいかに大きいかを示す場となった。街角では号外が配られ、各局の報道番組では社会ニュース、芸能ニュース両者のトップニュースであり(NHKも報道)、各社会新聞も大きく伝えた。これらのことからサザンが活動休止に入るということは一般的な芸能ニュースではなく社会問題であることが示された。 ** [[6月24日]]、53rdシングルが[[Au (携帯電話)|au]]の音楽配信サービス、「[[au LISTEN MOBILE SERVICE]]」のキャンペーンソングに起用されることが発表され、同時にauとのコラボレーションで、サザンの楽曲としては初めて[[着うたフル]]での楽曲配信が決定。更に、[[8月]]に行われる『真夏の大感謝祭』の演奏曲リクエスト投票(リクエスト結果については[[#『真夏の大感謝祭』リクエストランキング|後述]])、オリジナル壁紙、サザンケータイの発売などを発表。 ** [[8月6日]]、53rdシングル『[[I AM YOUR SINGER]]』発売。 ** [[8月16日|8月16]]・[[8月17日|17日]]、同月[[8月23日|23]]・[[8月24日|24日]]の4日間限定で、約2年半ぶりとなる単独コンサート「サザンオールスターズ 『真夏の大感謝祭』 30周年記念LIVE」を[[横浜市]]の[[横浜国際総合競技場|日産スタジアム]]にて開催。大雨に見舞われた最終日の様子は毎回ライブ中継を行ってきたWOWOWが18:00 - 21:40に生中継を行い、テレビ朝日([[All-nippon News Network|ANN]]系列24局)が「[[開局記念番組|開局50周年記念番組]]」としてその日の23:30 - 24:25にダイジェスト版を放送した。また[[8月30日]]25:00 - 26:30に[[全国FM連合]]([[日本民間放送連盟]]加盟FMラジオ局53社)が最終日の様子を全局で同時放送を一部曲を抜粋して行った。 ** [[11月]]、サザンの楽曲の中から抜粋した33曲を、各10分毎計33話(最終話のみ60分)楽曲を基に構成した[[テレビドラマ]]『[[the波乗りレストラン]]』が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系にて放送。1週間にわたり毎日不定期に放送した斬新な企画であり、メンバーの関口と野沢もドラマに出演した。 ** [[12月3日]]、ライブDVD『[[真夏の大感謝祭 LIVE]]』発売。同時に、『キラーストリート』までのオリジナルアルバムと『稲村ジェーン』をリマスタリングして再発。 ** [[12月17日]]、『真夏の大感謝祭 LIVE』[[Blu-ray Disc]]版発売。サザンオールスターズとしては初のBlu-rayでのライブビデオリリースとなる。 *[[2009年]] ** 特に期限を設けず、メンバーのスキルアップなどを目標として、バンドでの活動を一切休止中。 ====2010年代==== 2014年 紅白に31年ぶりに登場した 2015年 1月6日 この日のPON以外のワイドショーで年越しライブの模様放送された 3月31日にアルバム葡萄発売された。2月17日のワイドショーで放送された == 別名義での活動 == アルバム『[[稲村ジェーン (サウンドトラック)|稲村ジェーン]]』は同名映画のサントラという性格上収録されている楽曲により演奏者などのメンバーが異なる。この為アルバムの名義は'''Southern All Stars & All Stars'''となっているが、個々の楽曲に関して言えばこのような名義で演奏されているものは1曲もなく、'''Southern All Stars'''・'''稲村オーケストラ'''・'''原由子&稲村オーケストラ'''のいずれかの名義となっている。 特にライブでの人気も高く多くのベスト及び企画アルバムに収録されている『[[希望の轍]]』は一般にはサザン名義だと思われているが、この曲の名義は稲村オーケストラであり、稲村〜のメンバーで『[[ミュージックステーション]]』に出演し同曲を披露したこともある。 また、その他のユニットなどでは松田・野沢・大森を中心メンバーとする'''S.A.S.Project'''が[[オムニバス]][[アルバム]]『Snow Bird Hotel』に参加している他、関口のソロアルバム『[[World Hits!? of Southern All Stars]]』では'''関口和之&砂山(''SAZAN'')オールスターズ'''が結成されている。 == 作品 == {{See|サザンオールスターズのディスコグラフィ}} == ライブ・コンサートツアー == {|class="wikitable" style="font-size:small" |- ! style="width:14%" | 公演日程 ! style="width:10%" | 形態 ! style="width:47%" | タイトル ! style="width:9%" | 公演規模 ! style="width:20%" | 会場 |- | [[1978年]][[12月10日]] - [[1979年]][[1月20日]] | コンサートツアー ! {{Larger|サザンオールスターズデビューコンサート 「胸さわぎ」}} | 全国9都市9公演 | style="text-align:center" | [[九段会館]]<br />[[愛知県勤労会館]]<br />[[道新ホール]]<br />[[山形県県民会館]]<br />水戸市民会館<br />[[神奈川県立青少年センター]]<br />[[千葉市民会館]]<br />岡山市立市民文化ホール<br />大阪毎日ホール |- | 1979年[[3月20日]] - [[6月6日]] | コンサートツアー ! {{Larger|春五十番コンサート}} | 全国31都市50公演 | style="text-align:center" | 平塚市民センター<br />[[まつもと市民芸術館|松本市民会館]]<br />立川市民会館<br />新潟市公会堂<br />[[長岡市立劇場]]<br />[[富山県民会館]]<br />[[金沢歌劇座|金沢市観光会館]]<br />入間市市民会館<br />栃木市民会館<br />土浦市民会館<br />大宮商工会館<br />平塚市民センター<br />[[群馬県民会館]]<br />横須賀市文化会館<br />[[静岡市民文化会館]]<br />[[高知県立県民文化ホール]]<br />[[松山市民会館]]<br />防府市公会堂<br />[[広島県立文化芸術ホール|広島郵便貯金会館]]<br />[[島根県民会館]]<br />高松市立市民会館<br />[[岡山市民会館]]<br />[[青森市文化会館]]<br />弘前市民会館<br />八戸市公会堂<br />[[岩手県民会館]]<br />豊橋勤労福祉会館<br />愛知県勤労会館<br />刈谷市民会館<br />[[大阪厚生年金会館]]<br />[[秋田県民会館]]<br />[[山形市民会館]]<br />[[宮城県民会館]]<br />石巻市民会館<br />[[郡山市民文化センター]]<br />長浜市民会館<br />姫路市市民会館<br />[[和歌山県民文化会館]]<br />京都勤労会館<br />那覇市民会館<br />[[大分文化会館]]<br />[[長崎市公会堂]]<br />八幡市民会館<br />[[福岡市民会館]]<br />[[熊本市民会館]]<br />[[旭川市民文化会館]]<br />北見市民会館<br />帯広市民文化ホール<br />[[札幌市民会館]]<br />[[中野サンプラザ]] |- | 1979年[[9月22日]] - [[12月12日]] | コンサートツアー ! {{Larger|Further on up the road}} | 全国30都市42公演 | style="text-align:center" | 埼玉会館<br />磐田市民会館<br />相模原市民会館<br />茨城県民文化センター<br />山形県県民会館<br />[[岩手県民会館]]<br />大阪厚生年金会館<br />姫路市文化センター<br />静岡市民文化会館<br />[[横浜文化体育館]]<br />青森市文化会館<br />八戸市民会館<br />福島県文化センター<br />[[徳島市立文化センター]]<br />高知県立県民文化ホール<br />松山市民会館<br />桑名市民会館<br />[[名古屋市民会館]]<br />蒲郡市民会館<br />大垣市民会館<br />[[京都会館]]<br />和歌山市民会館<br />[[千葉県文化会館]]<br />広島郵便貯金会館<br />岡山市民会館<br />福山市民会館<br />島根県民会館<br />[[福井市文化会館]]<br />[[石川厚生年金会館]]<br />[[新潟県民会館]]<br />[[各務原市民会館]]<br />[[北海道厚生年金会館]]<br />旭川市民会館<br />室蘭文化センター<br />函館市民会館<br />宮崎市民会館<br />大分文化会館<br />佐賀県総合体育館<br />福岡電気ホール<br />[[後楽園球場|後楽園球場 サーカステント]] |- | [[1980年]][[7月19日]] - [[9月25日]] | コンサートツアー ! {{Larger|サザンオールスターズがやってくる ニャー! ニャー! ニャー!}} | 全国36都市40公演 | style="text-align:center" | [[田園コロシアム]] (2公演)<br />北海道厚生年金会館<br />旭川市民文化会館<br />苫小牧市民会館<br />宮城県民会館<br />郡山市民文化センター<br />新潟県民会館<br />上越文化会館<br />富山市公会堂<br />金沢市観光会館<br />鈴鹿市民会館<br />名古屋市民会館<br />[[岐阜市民会館]]<br />刈谷市民会館<br />[[フェスティバルホール]]<br />和歌山県民文化会館<br />姫路市文化センター<br />神戸文化ホール<br />青森市文化会館<br />岩手県民会館<br />山形県県民会館<br />秋田県民会館<br />山口市民会館<br />倉敷市民会館<br />福山市民会館<br />広島郵便貯金会館<br />島根県民会館<br />京都会館<br />磐田市民会館<br />清水市民会館<br />山梨県県民会館<br />長岡市文化会館<br />福井市文化会館<br />上田市民会館<br />宮崎市民会館<br />鹿児島県文化センター<br />観音寺市民会館<br />松山市民会館<br />高知県立県民文化ホール |- | 1980年[[12月10日]] - [[12月20日]] | コンサートツアー ! {{Larger|ゆく年・くる年コンサート}} | 全国5都市5公演 | style="text-align:center" | [[日本武道館]]<br />[[大阪府立体育会館]]<br />名古屋市民会館<br />佐賀県総合体育館<br />福岡市民会館 |- | [[1981年]][[7月4日]] - [[9月21日]] | コンサートツアー ! {{Larger|そちらにおうかがいしてもよろしいですか?}} | 全国34都市40公演 | style="text-align:center" | [[茅ヶ崎市民文化会館]]<br />小田原市民会館<br />山梨県県民会館<br />熊谷会館<br />高知県立県民文化ホール<br />松山市民会館<br />山口市民会館<br />広島郵便貯金会館<br />姫路市文化センター<br />京都会館<br />金沢市観光会館<br />富山市公会堂<br />新潟県民会館<br />田園コロシアム (3公演)<br />岡山城特設会場<br />[[宇都宮市文化会館]]<br />群馬県民会館<br />[[福岡サンパレス]]<br />宮崎市民会館<br />[[鹿児島県文化センター]]<br />熊本市民会館<br />[[ヤマハリゾートつま恋|つま恋エキシビションホール]]<br />豊橋勤労福祉会館<br />四日市市民ホール<br />青森市文化会館<br />秋田県民会館<br />宮城県民会館<br />岩手県民会館<br />山形県県民会館<br />和歌山県民会館<br />[[神戸国際会館]]<br />フェスティバルホール<br />サンシティ越谷市民ホール<br />千葉県文化会館<br />横浜文化体育館<br />釧路市民会館<br />北海道厚生年金会館 |- | [[1982年]][[1月9日]] - [[1月26日]] | コンサートツアー ! {{Larger|愛で金魚が救えるか? サザンオールスターズ Paa Pooツアー '82}} | 全国8都市9公演 | style="text-align:center" | 福岡サンパレス<br />広島郵便貯金会館<br />[[フェスティバルホール]]<br />宮城県民会館<br />北海道厚生年金会館<br />金沢市観光会館<br />[[名古屋市公会堂]]<br />日本武道館 (2公演) |- | 1982年[[9月21日]] - [[1983年]][[2月4日]] | コンサートツアー ! {{Larger|青年サザンのふらちな社会学 ツアー THE NUDE MAN}} | 全国47都市57公演 | style="text-align:center" | 静岡市民文化会館<br />群馬県民会館<br />宇都宮市文化会館<br />茨城県民文化センター<br />郡山市民文化センター<br />宮城県民会館<br />山形県県民会館<br />秋田県民会館<br />八戸市公会堂<br />熊本市民会館<br />佐世保市民会館<br />宮崎市民会館<br />佐賀県総合体育館<br />小倉市民会館<br />高知県立県民文化ホール<br />松山市民会館<br />高松市立市民会館<br />岡山市民会館<br />福山市民会館<br />和歌山県民文化会館<br />神戸国際会館<br />島根県民会館<br />防府市公会堂<br />広島郵便貯金会館<br />新潟県民会館<br />上越文化会館<br />長野市民会館<br />奈良県文化会館<br />[[岐阜市民会館]]<br />四日市市文化会館<br />豊橋勤労福祉会館<br />福井市文化会館<br />富山市公会堂<br />鹿児島県文化センター<br />大分文化会館<br />長崎市公会堂<br />京都会館<br />千葉県文化会館<br />[[八王子市民会館]]<br />横浜文化体育館<br />福島県文化センター<br />岩手県民会館<br />北海道厚生年金会館 (2公演)<br />名古屋市民会館 (3公演)<br />福岡サンパレス (3公演)<br />フェスティバルホール (3公演)<br />金沢市観光会館 (2公演)<br />[[東京厚生年金会館]] (3公演) |- | 1983年[[10月24日]] - [[1984年]][[2月1日]] | コンサートツアー ! {{Larger|SASたいした発表会 私は騙された<nowiki>!!ツアー '83〜'84}} | 全国37都市49公演 | style="text-align:center" | 神奈川県民ホール (2公演)
北海道厚生年金会館 (2公演)
室蘭新日鉄体育館
旭川市民文化会館
山梨県立県民文化ホール
岡崎市民会館
桑名市民会館
千葉県文化会館
広島郵便貯金会館
防府市公会堂
島根県民会館
鹿児島県文化センター
大分文化会館
宮崎市民会館
熊本市民会館
長崎市公会堂
長野県県民文化会館
富山市公会堂
福井市文化会館
金沢市観光会館
福島県文化センター
山形県県民会館
秋田県民会館
岩手県民会館
青森市文化会館
群馬県民会館
宇都宮市文化会館
松山市民会館
高松市立市民会館
高知県立県民文化ホール
京都会館
神戸国際会館
福岡サンパレス (2公演)
倉敷市民会館 (2公演)
新潟県民会館 (2公演)
宮城県民会館 (2公演)
愛知県体育館 (2公演)
大阪城ホール (2公演)
日本武道館 (3公演) |- | 1984年7月20日 - 8月15日 | コンサートツアー ! 少年マガジンプレゼンツ
熱帯絶命!ツアー夏 「出席とります」 | 全国5都市6公演 | style="text-align:center" | 横浜スタジアム (2公演)
海の中道海浜公園 野外劇場
真駒内屋外競技場
ナゴヤ球場
大阪球場 |- | 1984年10月25日 - 1985年2月6日 | コンサートツアー ! 大衆音楽取締法違反 "やっぱりアイツはクロだった!" 実刑判決2月まで | 全国39都市50公演 | style="text-align:center" | 神奈川県民ホール (2公演)
宇都宮市文化会館
群馬県民会館
サンシティ越谷市民ホール
北見市民会館
旭川市民文化会館
釧路市民文化会館
青森市文化会館
秋田県民会館
岩手県民会館
鹿児島県文化センター
熊本市民会館
宮崎市民会館
大分文化会館
島根県民会館
倉敷市民会館
京都会館
静岡市民文化会館
豊橋勤労福祉会館
四日市市文化会館
山形県県民会館
郡山市民文化センター
神戸国際会館
松山市民会館
高知県立県民文化ホール
高松市立市民会館
鳴門市文化会館
千葉県文化会館
八王子市民会館
山梨県立県民文化ホール
長野県県民文化会館
黒部市YKK体育館
金沢市観光会館
福井市文化会館
徳山市文化会館
広島郵便貯金会館 (2公演)
福岡サンパレス (2公演)
大阪城ホール (2公演)
愛知県体育館 (2公演)
仙台市体育館
新潟県民会館 (2公演)
日本武道館 (3公演) |- | 1984年12月31日 | カウントダウンライブ ! 縁起者で行こう | 全1公演 | style="text-align:center" | 新宿コマ劇場 |- | 1985年9月21日 - 10月5日 | コンサートツアー ! 富士通スペシャル
KAMAKURA TO SENEGAL SOUTHERN ALL STARS avec TOURE KUNDA | 全国4都市8公演 | style="text-align:center" | 中京競馬場 (2公演)
大阪球場 (2公演)
西武ライオンズ球場 (2公演)
横浜スタジアム (2公演) |- | 1988年7月26日 - 9月19日 | コンサートツアー ! NISSEKI SUPER LIVE 100 -真夏の夜の夢-
サザンオールスターズプレゼンツ 1988大復活祭 | 全国9都市20公演 | style="text-align:center" | 西武ライオンズ球場 (3公演)
長岡ニュータウン公園 (2公演)
真駒内オープンスタジアム (2公演)
泉パークタウンスポーツガーデン (2公演)
愛媛県総合運動公園陸上競技場
海の中道海浜公園 野外劇場 (2公演)
大阪球場 (3公演)
小牧市総合運動場野球場 (2公演)
横浜スタジアム (3公演) |- | 1989年12月31日 | カウントダウンライブ ! ハッピーニューイヤーズ'イブ いっちゃえ'89 サザンde'90 | 全1公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 1990年2月28日 - 4月28日 | コンサートツアー ! Panasonic Cheers!!
Southern All Stars Concert Tour 1990 夢で逢いまSHOW | 全国10都市27公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ (4公演)
仙台市体育館 (2公演)
新潟市産業振興センター (2公演)
名古屋市総合体育館 レインボーホール (4公演)
大阪城ホール (3公演)
北九州市立総合体育館 (2公演)
広島サンプラザ (2公演)
愛媛県県民文化会館 (2公演)
真駒内屋内競技場 (2公演)
日本武道館 (4公演) |- | 1990年12月31日 | カウントダウンライブ ! サザンオールスターズ 年越しライブ 歌うサザンに福来たる | 全1公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 1991年8月14日 - 9月1日 | コンサートツアー ! WOWOW MEETS
Southern All Stars THE 音楽祭 1991 | 全国4都市10公演 | style="text-align:center" | ナゴヤ球場 (2公演)
西武ライオンズ球場 (3公演)
阪急西宮スタジアム (2公演)
横浜スタジアム (3公演) |- | 1991年12月29日 - 12月31日 | カウントダウンライブ ! コカ・コーラスペシャル
サザンオールスターズ 年越しLIVE 闘魂! ブラディ・ファイト | 全3公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 1992年9月12日13日 | 単発コンサート ! 南天群星 北京で逢いましょう | 全2公演 | style="text-align:center" | 首都体育館 |- | 1992年10月14日 - 1993年2月5日 | コンサートツアー ! NTT DoCoMo PRESENTS
サザンオールスターズ 歌う日本シリーズ 1992-1993 | 全国12都市40公演 | style="text-align:center" | 国立代々木競技場 第一体育館 (4公演)
真駒内屋内競技場 (3公演)
金沢実践倫理記念会館 (2公演)
大阪城ホール (5公演)
名古屋市総合体育館 レインボーホール (6公演)
浜松アリーナ (2公演)
広島サンプラザ (2公演)
新潟市産業振興センター (2公演)
愛媛県県民文化会館 (3公演)
福岡国際センター (2公演)
横浜アリーナ (4公演)
仙台市体育館 (2公演)
日本武道館 (3公演) |- | 1993年12月11日 - 1994年1月6日 | 単発コンサート ! Victor PRESENTS
サザンオールスターズ 1993年末スペシャル しじみのお味噌汁コンサート | 全12公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 1995年8月5日6日 | 単発コンサート ! サザンオールスターズ スーパー・ライブ・イン・横浜 ホタル・カリフォルニア | 全2公演 | style="text-align:center" | 横浜みなとみらい21 臨港パーク |- | 1996年8月4日 - 10月12日 | コンサートツアー ! KIRIN LAGER PRESENTS
Southern All Stars Stadium Tour 1996 ザ・ガールズ万座ビーチ | 全国8都市15公演 | style="text-align:center" | つま恋多目的広場
西武ライオンズ球場 (2公演)
真駒内屋外競技場 (2公演)
海の中道海浜公園 野外劇場 (2公演)
ナゴヤ球場 (2公演)
阪神甲子園球場 (2公演)
横浜スタジアム (2公演)
宜野湾市海浜公園 野外劇場 (2公演) |- | 1996年12月28日 - 12月31日 | カウントダウンライブ ! SOUTHERN ALL STARS 1996 年越しライブ in 横浜アリーナ 「牛」 | 全3公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 1997年12月27日 - 12月31日 | カウントダウンライブ ! サザンオールスターズ 年越しライブ 1997 「おっぱいなんてプー」 | 全4公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 1998年8月8日9日 | 単発コンサート ! 1998年 夏 サザンオールスターズ スーパーライブ in 渚園 "モロ出し祭り 〜過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ〜" | 全2公演 | style="text-align:center" | 浜名湖畔弁天島海浜公園 渚園 |- | 1999年3月24日 - 5月27日 | コンサートツアー ! 三菱電機 DIGITAL FESTA
サザンオールスターズ 1999 「Se O no Luja na Quites(セオーノ・ルーハ・ナ・キテス) 〜素敵な春の逢瀬〜」 | 全国10都市22公演 | style="text-align:center" | 宮城県総合運動公園総合体育館 (2公演)
横浜アリーナ (4公演)
真駒内屋内競技場 (2公演)
徳島県立産業観光交流センター (2公演)
広島県立総合体育館 (2公演)
石川県産業展示館 4号館 (2公演)
福岡ドーム (2公演)
ナゴヤドーム (2公演)
大阪ドーム (2公演)
東京ドーム (2公演) |- | 1999年9月26日27日 | FC限定ライブ ! サザンオールスターズ・シークレットライブ 「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」 | 全2公演 | style="text-align:center" | LIQUIDROOM |- | 1999年12月27日 - 12月31日 | カウントダウンライブ ! SAISON CARD PRESENTS
サザンオールスターズ 年越しLIVE 1999 「晴れ着 DE ポン」 | 全4公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 2000年8月19日20日 | 単発コンサート ! サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ 〜あなただけの茅ヶ崎〜 | 全2公演 | style="text-align:center" | 茅ヶ崎公園野球場 |- | 2000年12月27日 - 12月31日 | カウントダウンライブ ! サザンオールスターズ 年越しライブ '00-'01 「ゴン太君のつどい」 | 全4公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 2003年6月28日 | シークレットライブ ! サザンオールスターズ 建長寺ライブ | 全2公演 | style="text-align:center" | 建長寺 |- | 2003年7月28日 - 8月5日 | FC限定ライブ ! SAS応援団 presents
サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003 「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」 ファンクラブ・スペシャルライブ | 全国2都市4公演 | style="text-align:center" | Zepp Fukuoka (2公演)
Zepp Sapporo (2公演) |- | 2003年8月16日 - 8月31日 | コンサートツアー ! JAL presents
サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003 「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」
supported by WOWOW | 全国3都市6公演 | style="text-align:center" | 名古屋市国際展示場 特設野外ステージ (2公演)
ポートアイランド 特設野外ステージ (2公演)
横浜国際総合競技場 (2公演) |- | 2003年9月6日7日 | 単発コンサート ! 特別公演 サザンオールスターズ SUMMER LIVE 2003 「流石(SASが)だ真夏ツアー! あっっ!生。だが、SAS! 〜カーニバル出るバニーか!?〜」 in OKINAWA | 全2公演 | style="text-align:center" | 宜野湾市海浜公園 野外劇場 |- | 2004年7月18日 | FC限定ライブ ! SAS応援団 presents
サザンオールスターズ 真夏の夜の生ライブ 海の日スペシャル | 全1公演 | style="text-align:center" | >ディファ有明 |- | 2004年12月27日 - 12月31日 | カウントダウンライブ ! サザンオールスターズ 年越しライブ 2004-2005 「暮れのサナカ」 | 全4公演 | style="text-align:center" | 横浜アリーナ |- | 2005年10月13日 - 12月31日 | コンサートツアー ! TOYOTA presents
SOUTHERN ALL STARS Live Tour 2005 みんなが好きです!
supported by RUSS-K | 全国10都市21公演 | style="text-align:center" | 広島厚生年金会館
愛媛県県民文化会館 (2公演)
新潟県民会館 (2公演)
青森市文化会館
宮城県総合運動公園総合体育館 (2公演)
ナゴヤドーム (2公演)
福岡Yahoo! JAPANドーム (2公演)
東京ドーム (3公演)
大阪ドーム (2公演)
札幌ドーム (2公演)
横浜アリーナ (2公演) |- | 2008年8月16日 - 8月24日 | 単発コンサート ! au by KDDI presents
サザンオールスターズ 「真夏の大感謝祭」 30周年記念LIVE
supported by WOWOW | 全4公演 | style="text-align:center" | 日産スタジアム |}なお「年越しライブ」と呼ばれるカウントダウンライブ(12月31日に行われる年跨ぎ公演分のみ)は、横浜アリーナが所在する神奈川県の条例により18歳未満の入場が禁止となっている(20歳以上の保護者同伴の場合は許可されていたが、2007年からの条例改正で入場が完全禁止となった)。

出演

桑田佳祐も参照のこと。桑田の単独出演は、サザン名義の楽曲が使われたCMのみ掲載。その他各メンバーの出演番組などは、それぞれのページを参照。 2014年6月25日のワイドショー 2015年1月6日のワイドショー

CM

タイアップ曲

グループのソロ曲やカバー曲などは含まない。アルバムCMのために使用された曲など、サザン関連のCMで使用された楽曲は除く。
※タイアップやテーマソングとして使用された順に掲載。同一楽曲の別時期に渡る仕様の場合、1曲として使用順に掲載する。
2008年放送の『the波乗りレストラン』で使用された楽曲は、当該項目を参照。

勝手にシンドバッド アサヒ三ツ矢サイダーCMソング1978年
日本テレビドラマおとなの夏休み」第1話主題歌2005年
アブダ・カ・ダブラ 日清焼そばU.F.O.」CMソング ※1
Let It Boogie LION「ザクトライオン」CMソング
宝塚歌劇団宙組公演「満天星大夜総会」
C調言葉に御用心 ナビスコ「チップスター」CMソング
青い空の心 (No me? More no!) アサヒ「三ツ矢サイダー」CMソング
ジャズマン (JAZZ MAN) 朝日放送バラエティさんまの駐在さん」エンディングテーマ
ふたりだけのパーティ ナビスコ「チップスター」CMソング
いなせなロコモーション アサヒ「三ツ矢サイダー」CMソング
Big Star Blues(ビッグスターの悲劇) アミューズ映画モーニング・ムーンは粗雑に」主題歌
朝方ムーンライト アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌
恋の女のストーリー アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌
Let's Take a Chance アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌
ステレオ太陽族 アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌(1981年
松竹映画「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」挿入歌(1988年
栞のテーマ アミューズ映画「モーニング・ムーンは粗雑に」挿入歌(1981年) ※1
モンクレール 企業CMソング(1981年)
アシックス「アシックス・ジャケット」CMソング
フジテレビ系バラエティ「はねるのトびら」内『栞と博のテーマ』劇中歌 (2004年
素顔で踊らせて ユニ・チャーム「アンネナプキン」CMソング
MY FOREPLAY MUSIC サントリートリスウイスキー」CMソング
走れ!! トーキョー・タウン 日産パルサー」CMソング
逢いたさ見たさ病めるMy Mind 松下電器「ザ・サード」CMソング
女流詩人の哀歌 ユニ・チャーム CMソング
講談社文庫 企業CMソング
雪印「スライスチーズ」CMソング
NUDE MAN 松下電器「ヘッドフォンステレオ WAY」CMソング
来いなジャマイカ 日産「パルサー」CMソング
いとしのエリー TBS系ドラマ「ふぞろいの林檎たち」主題歌
Computer Children 富士通テレフォンCMソング
怪物君の空 大塚製薬オロナミンC」CMソング
悲しみはメリーゴーランド 三菱鉛筆「EXCEED」CMソング ※2
旅姿六人衆 テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」エンディングテーマ(1988年
日本テレビ系バラエティ「ザ!世界仰天ニュース」内『加藤大ダイエット企画』テーマソング (2005年
フジテレビ系ドラマ「死亡推定時刻」エンディングテーマ(2006年
女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ) フジテレビ系バラエティ「夢で逢えたら」オープニングテーマ
さよならベイビー 東宝映画「彼女が水着にきがえたら」主題歌
フリフリ'65 フジテレビ系バラエティ「夢で逢えたら」オープニングテーマ
愛は花のように (Olé!) NISSAY 企業CMソング
忘れられた Big Wave リクルート「B-ing」CMソング
東宝映画「稲村ジェーン」挿入歌
YOU NISSAY 企業CMソング
真夏の果実 東宝映画「稲村ジェーン」主題歌
auLISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
希望の轍 ※3 東宝映画「稲村ジェーン」挿入歌(1990年
フジテレビ系情報番組めざましテレビ」内『ワールドキャラバン』テーマソング(1994年
テレビ朝日系アニメ「クレヨンしんちゃん」劇中歌(1999年
フジテレビ系「FNS ALLSTARS 27時間笑いの夢列島」テーマソング(2001年
ネオ・ブラボー!! JNN・TBS系報道番組筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ
シュラバ★ラ★バンバ
SHULABA-LA-BAMBA
NTT DoCoMo 企業CMソング
TBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」挿入歌
君だけに夢をもう一度 TOYOTAカリーナ」CMソング
涙のキッス TBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」主題歌
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
CHRISTMAS TIME FOREVER 丸井「'92 ○|のクリスマス;」キャンペーンソング
せつない胸に風が吹いてた TBS系「39時間テレビ」テーマソング
エロティカ・セブン EROTICA SEVEN フジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」主題歌(1993年
宝塚歌劇団花組舞台公演「cooktail」劇中歌(2002年
クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る) 丸井「'93 ○|のクリスマス」キャンペーンソング
あなただけを 〜Summer Heartbreak〜 フジテレビ系ドラマ「いつかまた逢える」主題歌(1995年
テレビ朝日アニメクレヨンしんちゃんスペシャル! 家族みんなでハワイだゾ しかもオラ人魚に恋したゾ」挿入歌(1997年
愛の言霊 〜Spiritual Message 日本テレビ系ドラマ「透明人間」主題歌
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
恋のジャック・ナイフ キリンビールキリン・ラガー」CMソング
太陽は罪な奴 キリンビール「キリン・ラガー」CMソング
胸いっぱいの愛と情熱をあなたに ゼネラルモーターズキャデラック・セヴィル」CMソング
Moon Light Lover ニフティNIFTY-Serve」CMソング
01MESSENGER 〜電子狂の詩〜 NISSANルキノ」CMソング
BLUE HEAVEN ケンタッキー「ケンタッキークリスマス '97」キャンペーンソング
LOVE AFFAIR 〜秘密のデート〜 TBS系ドラマ「Sweet Season」主題歌
Ya Ya(あの時代を忘れない) MAZDAMPV」CMソング ※2
平和の琉歌 JNN・TBS系報道番組「筑紫哲也 NEWS23」エンディングテーマ
PARADISE フジテレビ系ドラマ「ハッピーマニア」主題歌
CRY 哀 CRY 三菱電機「モバイルキャンペーン」CMソング
唐人物語(ラシャメンのうた) テレビ朝日系ドキュメンタリー番組驚きももの木20世紀」テーマソング
素敵な夢を叶えましょう フジテレビ系ドラマ「こいまち」主題歌(1998年
TBSラジオ爆笑問題カーボーイ」エンディングテーマ(2006年
TSUNAMI TBS系バラエティ「ウンナンのホントコ!」内『未来日記III』テーマソング
TBS系ドラマ「元カレ」挿入歌
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
HOTEL PACIFIC WOWOW「サマーキャンペーン」CMソング
この青い空、みどり 〜BLUE IN GREEN〜 関西テレビ系ドラマ「神様のいたずら」主題歌
フジテレビ系音楽バラエティ桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」エンディングテーマ
雨上がりにもう一度キスをして JAL「FLY! JAL! '03」キャンペーンソング
涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜 フジテレビ系ドラマ「僕だけのマドンナ ...and I love Har.」主題歌
経験II TBS系音楽バラエティ「うたばん」オープニングテーマ
彩 〜Aja〜 JAL「FLY! JAL! '04 Spring」キャンペーンソング
FRIENDS 地球ゴージャスミュージカル「クラウディア」主題歌
夢見るアニバーサリー ※3 JAL「FLY! JAL! 銀婚旅行編」キャンペーンソング
君こそスターだ TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
夢に消えたジュリア JAL「FLY! JAL! '04 Summer」キャンペーンソング
愛と欲望の日々 フジテレビ系ドラマ「大奥 〜第一章〜」主題歌
LONELY WOMAN TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
神の島遥か国 TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
BOHBO No.5 TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
ロックンロール・スーパーマン 〜Rock'n Roll Superman〜 TOYOTA「MORE THAN BEST」キャンペーンソング
DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜 フジテレビ「お台場冒険王 2006」テーマソング
I AM YOUR SINGER au「LISMO Recommend サザンオールスターズ」キャンペーンソング
OH!! SUMMER QUEEN 〜‎夏の女王様〜‎ 資生堂「サマーキャンペーン」CMソング
  • ※1 タイアップ用に歌詞やメロディが書き換えられている未作品化のもの
  • ※2 CM用にアレンジされたもの
  • ※3 厳密にはサザンオールスターズ名義でないもの

バージョン違いの楽曲

サザンの楽曲の中には、タイトルに表記がされていなくとも、シングルとアルバムでバージョンやテイクのの異なる曲がいくつか存在する。また、シリーズものや、メドレー形式で構成される歌詞やテイクの異なった楽曲も多い。

※シングルに収録されたライブバージョンの楽曲は除く。再発によるリマスタリング、『キラーストリート』収録曲でアレンジの変更が無いものは除く。

曲名 オリジナル収録作品 バージョン違い収録作品 アルバムバージョンでの違い シングル版のアルバム収録
気分しだいで責めないで 気分しだいで責めないで 10ナンバーズ・からっと 唯一完全にテイク違いの楽曲。<br />イントロアウトロの展開の変更、間奏のフェイクや歌いまわしの変更など。 ×
アブダ・カ・ダ・ブラ (TYPE 3) いとしのエリー アレンジの異なるTYPE 1、歌詞の異なるTYPE 2が存在。
先出が先行シングルc/wのTYPE 3であり、TYPE 3のみアルバム未収録。
×
思い過ごしも恋のうち 10ナンバーズ・からっと 思い過ごしも恋のうち ボーカルやテイクに変更は無いが、ホルン及びコーラスに手が加えられている。
アルバムからのシングルカットであるため、シングルバージョンが後出。
×
Hey! Ryudo! 涙のアベニュー タイニイ・バブルス 演奏部分は同一だが、シングル版のラストにあった桑田と関口の掛け合い及びそれに続くアウトロが省略されている。 ×
Tiny Bubbles (type-A) タイニイ・バブルス オリジナルは『ふたりだけのパーティ〜‎Tiny Bubbles (type-A)』というメドレー曲の中での一幕。
同アルバムに『tiny Bubbles (type-B)』が存在し、こちらはテイク違い。
ボディ・スペシャルII ボディ・スペシャルII ボディ・スペシャルII タイトルこそシリーズ物である『ボディ・スペシャルI』がc/wとして存在するが、作曲者が桑田と原で異なる完全な別物。後者はインスト曲。 ×
(IIのみ収録)
ALLSTAR'S JUNGO EMANON 綺麗 オリジナル版のほか、短いインスト版となったバージョンが『ALLSTAR'S JUNGO (Instrumental)』として共にアルバムに収録された。
単なるカラオケバージョンではなく、演奏時間やイントロが変更されている。
JAPANEGGAE (ジャパネゲエ) 人気者で行こう Tarako メロディなどはほぼ同一だが、テイク及び歌詞が英語に書き換えられた『Japaneggae (Sentimental)』が存在する。 ×
悲しみはメリーゴーランド KAMAKURA KAMAKURA 楽曲の一部分がインストとして短く『夕陽に別れを告げて 〜‎ メリーゴーランド』のアウトロ部分にメドレー形式で収録。
アルバムの収録曲順では『夕陽に〜‎』の方が先であるため、『メリーゴーランド』部分がフルバージョンで収録された形とも言える。
真夏の果実 真夏の果実 稲村ジェーン 楽曲部分には一切手が加えられていないが、楽曲終了後にサウンドトラックの特性上、カップルの会話がそのまま収録されている。
愛は花のように (Olé!)
忘れられた Big Wave
Southern All Stars
恋のジャック・ナイフ 愛の言霊 〜‎Spiritual Message Young Love イントロ部分のラップのみテイク違い。『海のYeah!!』収録版もアルバムバージョン。 ×
太陽は罪な奴 太陽は罪な奴 アルバムの構成上、イントロに波の音が収録されている。
それ以外はシングル版と全く同一であり、上記の理由でイントロに手が加えられている事情もあり、『海のYeah!!』にはオリジナル版が収録された。
LOVE AFFAIR 〜‎秘密のデート〜‎ LOVE AFFAIR 〜‎秘密のデート〜‎ さくら イコライザーで高音域を狭めた演出効果上のアレンジが加えられている。
01MESSENGER 〜‎電子狂の詩〜‎ 01MESSENGER 〜‎電子狂の詩〜‎ 同一楽曲のアルバムバージョンとしては、唯一タイトルが異なる楽曲。
『(The Return of)01MESSENGER 〜‎電子狂の詩〜 <Album Version>‎』と改題されテイク及びアレンジが異なる。
×
雨上がりにもう一度キスをして 涙の海で抱かれたい 〜‎SEA OF LOVE〜‎ キラーストリート イントロにドラムスの追加、アウトロの省略。[1]それ以外の演奏部分は同一。 ×
恋人は南風 ラストのフェイクがカット。[1]それ以外は完全に同一。 ×
君こそスターだ 君こそスターだ/夢に消えたジュリア イントロにカウント及びハンドクラップの追加。ギター追加。[1] ×
BOHBO No.5 BOHBO No.5/神の島遥か国 ボーカル及びホーンセクションの音量が上がりより派手に。[1]。それ以外は同一。 ×
LONELY WOMAN 愛と欲望の日々/LONELY WOMAN 1番Bメロへコーラスを追加[1]。それ以外は同一。 ×
キラーストリート キラーストリート 基はインスト曲だが、同アルバムに『The Track for the Japanese Typical Foods called “Karaage” & “Soba” 〜‎ キラーストリート (Reprise)』として、歌詞の付いたショートバージョンが収録。

書籍

写真集

関連書籍

桃太郎アルティメットシリーズ。研究読本。関口が乗っている。新伝説アルティメットでは音楽制作について語っている

DVD

サザン葡萄ライブ。(2016年1月。)スッキリで2回放送された。山サットンが最初にやりましたと言っていたので最初から見ていた可能性ある

ゲーム

桃太郎シリーズ。(コナミ。)関口が音楽制作した

関連項目

出典・参考文献

情報源、ソースとなる書籍、雑誌、テレビ番組及び参考となった文献・自著など

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 アルバム『キラーストリート』初回版ブックレットより。2005年

外部リンク

先代:
GLAY
日本レコード大賞
大賞受賞歌手
第42回
2000年
次代:
浜崎あゆみ
先代:
石川さゆり
日本レコード大賞
最優秀歌唱賞受賞歌手
1990年
(ロック部門最優秀ボーカル賞)
竹内まりや
(ポップス部門最優秀ボーカル賞)
松原のぶえ
(演歌・歌謡曲部門)
次代:
坂本冬美
(演歌・歌謡曲部門)
ASKA
(ポップス・ロック部門最優秀ボーカル賞)

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