「諫早美人女子高生全裸殺人事件」の版間の差分
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犯人の平井信也は遺書らしき走り書き2通をアパートに残し、[[心中]]に偽装して逃走。大阪、東京、青森を経て11月14日、帯広に着いた。所持金は3万円あったが使い果たし、農家のワラの中で寝たりしていた。しかし空腹にたえ切れす16日、河東郡音更町の農協に盗みに入ったところを帯広署員に逮捕された。 | 犯人の平井信也は遺書らしき走り書き2通をアパートに残し、[[心中]]に偽装して逃走。大阪、東京、青森を経て11月14日、帯広に着いた。所持金は3万円あったが使い果たし、農家のワラの中で寝たりしていた。しかし空腹にたえ切れす16日、河東郡音更町の農協に盗みに入ったところを帯広署員に逮捕された。 | ||
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2020年5月14日 (木) 12:10時点における最新版
諫早美人女子高生全裸殺人事件(いさはやびじんじょしこうせいぜんらさつじんじけん)とは、1981年10月10日に長崎県諌早市で起きた全裸殺人事件である。
概要[編集]
1981年11日午後4時ごろ、長崎県諌早市のアパート2階のスナックバーテン、平井信也(27歳)方のベッドで、佐賀県立伊万里商業高校3年の木下久美子さん(18歳)が全裸で仰向けになって死んでいるのを妹ら3人が見つけた。口にちり紙が押し込められたように入っており、着衣のセーラー服は押し入れに隠されていた。
木下久美子さんの死体には特に目立った外傷は見られず、検視の段階では死因を特定できなかったが、長崎大学法医学教室での解剖の結果、死因は首をやわらかいもので絞められたことによる窒息死と判明した。
久美子さんの死体は10月12日午後6時半、迎えに行った父親(44歳)らに付き添われて悲しい帰宅、通夜が行われた。
犯人の平井信也は遺書らしき走り書き2通をアパートに残し、心中に偽装して逃走。大阪、東京、青森を経て11月14日、帯広に着いた。所持金は3万円あったが使い果たし、農家のワラの中で寝たりしていた。しかし空腹にたえ切れす16日、河東郡音更町の農協に盗みに入ったところを帯広署員に逮捕された。
被害者・木下久美子さん[編集]
全裸で殺された木下久美子さんは佐賀県立伊万里商業高校に通っていた18歳の美人女子高生。高校2年のとき野球部のマネジャーとして活躍、まじめで補導歴もないおとなしい性格だったという。
– 高校の同級生たち
可哀そうに、お父さんは棺にとりすがって、声を出して泣いていましたよ。
– 近所の人たち
– 近所の人たち
「いままで一度も非行や異性関係で、問題はおこしておりません。遅刻と早退は多かったんですが耳の病気があって、その治療をするためだと聞いていました。性格的にはちよっと醒めたところがあって、友達は少なかったようです。就職は公務員志望で、10月3月には公務員試験を受けたばかりでした。
– 学校関係者
美人女子高生の全裸死体[編集]
木下久美子さんは1980年12月、佐賀県伊万里市内のレストランでアルバイトをしていた際、当時従業員だった平井信也と知り合い交際していた。
だが、その関係は長くは続かなかった。木下久美子さんが以前に付き合っていたOさん(20)とヨリを戻したからである。
平井信也は木下久美子さんの心変わりを恨み、1981年9月には「殺してやる」と電話をかけてきた。
木下久美子さんは三角関係を清算しようと思ったらしく、10月10日の休日。伊万里市の自宅から、3時間半もかかる諌早市の平井信也のアバートへ出かけて行った。
その途中でOさんに、「平井のところへ行って、別れ話をつけてくる。夕方までには帰る」と電話をした。
午後1時過ぎ。諌早駅前のタクシー運転手さんは、駅前に立っていたセーラー服姿の木下久美子さんと、迎えに来た平井信也を乗せて、平井のアパートまで送りとどけた。
午後3時過ぎ、アパートに少女の悲鳴が響きわたった。
何するの、助けて!
– 木下久美子さん
だが、同じアパートの住人は、若い男女のいつもの騒ぎだと思い、どこへも通報しなかった。
午後6時過ぎ、平井信也は犯行現場のアパートを離れ、勤め先のスナックの店員に「これから佐賀へ行く」と言って行方をくらました。
翌日、心配した友人と妹らが事情を聴くためにアパートを訪れ、カギのかかっていない炊事場のガラス窓から中に入ったところ、全裸で横たわる木下久美子さんの死体を発見した。
傷つきやすい乙女心と成熟しきった肉体[編集]
Oさんの父親は語る。
息子は、あのコが高校1年のときからつき合っていたようでした。私ら大人にいわせると、あのコにはドキッとするような女の色気がありましたね。息子にしなだれかかっているようすなんか見ると、これじゃ男が血迷うだろうと思いました。
同級生の男の子が子供っぽく見えて、年上の男とばっかりつき合っているという話を聞きましたが、あそこまで成熟していれば当然でしょうね。
それと、性格的に礼儀正しさと、大胆さが同居している部分があったんです。たとえば、もう遅いから帰りなさいというと、プイと横を向いて、息子と一緒にいたいんだってことを、平気でいうんですね。
平井とはいったん結婚の約束をして、家へ連れて来て、指輪の交換までしたというんですが、それがコロッと変わってしまったんです。
それにしても、あすこは父親がもう少ししっかりしていたら、あんな事件は起こらなかったと思うんですがねえ。あのコもかわいそうに。
– Oさんの父親