「光市母子殺害事件」の版間の差分
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福田は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に[[逮捕]]された。 | 福田は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に[[逮捕]]された。 | ||
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* 「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」 | * 「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」 | ||
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* 「赤ちゃんをあやそうと抱いたら、手が滑って頭から落ちた」 | * 「赤ちゃんをあやそうと抱いたら、手が滑って頭から落ちた」 | ||
* 「死んだあとで服を脱がしたのは、女性だったら恥ずかしくて反応するかと思って」 | * 「死んだあとで服を脱がしたのは、女性だったら恥ずかしくて反応するかと思って」 | ||
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*: [[12月4日]]に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。 | *: [[12月4日]]に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。 | ||
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※事件概要 | ※事件概要 | ||
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山口地裁は(1)犯行時は18歳と30日で発育途上(2)法廷で涙を浮かべた様子から更生可能性あり(3)生育環境に同情すべき点あり、などから無期懲役を言い渡した。 | 山口地裁は(1)犯行時は18歳と30日で発育途上(2)法廷で涙を浮かべた様子から更生可能性あり(3)生育環境に同情すべき点あり、などから無期懲役を言い渡した。 | ||
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2024年6月14日 (金) 11:53時点における最新版
光市母子殺害事件(ひかりしぼしさつがいじけん)は、1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の福田孝行(後に大月孝行に改名)により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。
目次
事件の概要[編集]
以下、検察側主張、及びこれまでの判決が認定してきた内容に基づく事件の概要である。
1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の福田孝行が山口県光市の社宅アパートに強姦目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した福田は、女性を引き倒し馬乗りになって強姦しようとしたが、女性の激しい抵抗を受けたため、女性を殺害した上で強姦の目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。
その後福田は女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。
福田は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4月18日に逮捕された。
弁護側主張[編集]
上告審の段階になって主任弁護人となった安田好弘は、接見内容をもとに被告に母子を殺害する故意が無かったことを主張した。しかし、最高裁判所判決では「被告は罪の深刻さと向き合って内省を深めていると認めるのは困難」として採用されなかった。
広島高裁での差し戻し審では、「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」として死刑の回避を求める方針を明らかにしている。
以下は、弁護団の主張の一部である。
- 強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた
- (乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ
- (検察は)被告を極悪非道の殺人者に仕立て上げ、死刑にしようとしている
福田孝行の手紙[編集]
- 「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」
- 「犬がかわいい犬と出合った…そのまま『やっちゃった』…罪でしょうか」
- 『もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』
- 『オレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』
- (妻子を殺され陵辱され、死刑求める夫に対して)『ま、しゃーないですね今更。ありゃー(テレビに出て極刑訴える夫は)調子付いてると僕もね、思うとりました。』
「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。…でも記事にして、ちーとでも、 気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし。」
「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。」
「ヤクザはツラで逃げ、 馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君。」
「オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて「死」が近くても「信じる」心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ。」
「男は女を求める、女は男を求める。コレ自然の摂理。犬がある日かわいい犬と出合った。…そのまま「やっちゃった」…これは罪でしょうか。」
「無期はほぼキマリでして、7年そこそこで地表にひょっこり芽を出す。」
「選ばれし人間は、人類のため、社会のため悪さができる。裁判官、サツ(警察)、弁護士、検事。私を裁けるものはこの世におらず。」
「5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」
被害者側の動き[編集]
被害女性の夫であり、被害女児の父である本村洋(もとむら・ひろし、1976年3月19日 - )は犯罪被害者遺族として、日本では「犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感し」、同様に妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長岡村勲らと共に犯罪被害者の会(現、全国犯罪被害者の会)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。本村は広島大学工学部入学直後に被害者女性と知り合い(当時共に18歳)、遠距離恋愛の末、結婚。
また、裁判の経過中、死刑判決を望む旨、強く表明し続けてきた。たとえば2001年12月26日に行われた意見陳述の際に被告人に対し『君が犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことはだけは忘れないで欲しい』と述べている。また一審判決後には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言していたが、二審判決に際しては「裁判官も、私たち遺族の気持ちを判った上で判決を出された。判決には不満だが裁判官には不満はない」と発言している。犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動しながら、2008年4月22日の広島高裁における差し戻し控訴審の判決公判を迎える。
裁判の経過[編集]
超簡単な裁判の流れ[編集]
1審 無期懲役 ↓ 2審 無期懲役 ↓ 最高裁 死刑
福田孝行とその弁護団の主張まとめ[編集]
精神的に幼い(12歳程度の)福田が、粘着テープとカッター持って、水道屋の作業服のコスプレの格好で設備点検を装いつつピンポンダッシュして遊んでたところ
前から目をつけていた奥さんの家にたまたま入り込んで、死んだ母ちゃんに似ている感じがしたから母親の体内に回帰したいという、赤子のような心情が高まって何やっても受け入れてくれるよねー、と思って押し倒して抱きしめたら、
なぜか激しく抵抗するものだから首を強く抱きしめたところ動かなくなって、じゃあ胸はだけたら恥ずかしがって起きるかなと思ってブラはずして、それでも起きないからいつ読んだかも買ったかも覚えていない小説に、精子を注入すれば生き返ると書いてあったからマムコにチンコ突っ込んだんだけど、
途中赤ん坊が泣いて俺を嘲っているような感じだったので、あやそうと抱き上げたら2回ほど床に落っことして、それでも泣き止まないから首にちょうちょ結びしたら泣き止んで、それから精子注入の生き返りの儀式をして一発抜いたらすっきりして生き返ったかどうか興味なくして、
部屋の中を見渡すと赤ん坊が死んでいたので、押入れに入れればドラえもんが何とかしてくれるだろうと押入れに押し込んで、ようやくパニックになったから粘着テープと彼女の財布を間違えて持って帰ってしまって財布に入ってた地域振興券で遊んでいただけ。
あと僕をなめないでいただきたい。
安田弁護士(死刑廃止派)らの意見…弁護団は21人構成[編集]
- 「遺体を強姦したのは、生き返らせるための魔術的儀式」
- 「強姦目的じゃなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」
- 「(夕夏ちゃんを殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」
福田孝行の回答[編集]
- 「赤ちゃんの遺体を押し入れの天袋に隠したのは、ドラえもんが何とかしてくれると思った」
- 「赤ちゃんをあやそうと抱いたら、手が滑って頭から落ちた」
- 「死んだあとで服を脱がしたのは、女性だったら恥ずかしくて反応するかと思って」
- 「精子を女性の体内に入れたら、生き返ると本で読んだ」
裁判[編集]
- 1999年6月、山口家庭裁判所が、福田孝行を山口地方検察庁の検察官に送致することを決定、山口地検は福田を山口地裁に起訴した。
- 1999年12月、山口地検は、死刑を求刑した。
- 2000年3月22日、山口地方裁判所は、死刑の求刑に対し、無期懲役の判決を下した。
- 2002年3月14日、広島高等裁判所は、検察の控訴を棄却した。
- 山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも、犯行時福田が18歳と1ヶ月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。ただし、広島高裁は更生の可能性について、「更生の可能性が無い訳ではない」と曖昧な判断をしていた。
- 2006年6月20日、最高裁判所は、検察の上告に対し広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻した。最高裁は判決の中で、一審及び二審において酌量すべき事情として述べられた、殺害についての計画性のなさや被告人の反省の情などにつき、消極的な判断をしている。
- 差し戻し審の第1回公判は、2007年5月24日に開かれた。
- 検察側は「高裁の無期懲役判決における『殺害の計画性が認め難い』という点は著しく不当」とした上で、事件の悪質性などから死刑適用を主張。弁護側は「殺意はなく傷害致死にとどまるべき」として死刑回避を主張した。
- 第2回以降の公判は6月26日から3日連続で開かれた。
- 1審の山口地裁以来7年7か月ぶりに行われた被告人質問において被告は殺意、乱暴目的を否定した。
- 7月24日から3日連続の公判が行われた。弁護側が申請した精神鑑定人は被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。
- 9月18日から3日連続の公判が行われた。被告は1、2審から一転して殺意を否定したことについて「(捜査段階から)認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」とした。20日の公判では遺族の意見陳述が行われ、改めて極刑を求めた。
- 10月18日に検察側の最終弁論が行われ、改めて死刑を求刑した。
- 12月4日に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。
- 2008年4月22日、判決公判が行われ、弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして死刑判決となった。
なお、未成年者が死刑確定した例としては戦後では小松川事件、少年ライフル魔事件、永山則夫連続射殺事件がある。
永山基準の枠組みでは当該事件について誰が見ても死刑以外に選択肢がない場合だけ死刑が出来るという基準によっていたが、本判決は「特に酌量すべき事情がない限り死刑の選択をするほかない」とし、本件のような場合は原則・死刑適用、例外・死刑回避という判断の枠組みを示した。
福田孝行から大月孝行へ[編集]
社会への影響[編集]
TVで懲戒請求呼びかけ[編集]
弁護士・橋下徹が光市母子殺害事件弁護団に対し2007年5月27日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」と懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによりTVを見た視聴者らから約7558通の懲戒請求書(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍を上回る)が弁護士会に殺到することになった(しかしながら、橋下自身は「時間と労力を費やすのを避けた」「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので……」等の理由で懲戒請求はしていない)。これに反発した光市母子殺害事件弁護団のうち、足立修一・今枝仁ら4人は2007年9月に橋下に損害賠償を求めて広島地裁に提訴し、現在は争点整理手続が行われている。
この懲戒請求呼びかけについて江川紹子からは「請求の内容によっては、懲戒請求をされた弁護士の側から訴えられる可能性もある。実際、懲戒請求をした側が敗訴し、50万円の慰謝料を支払うよう求める判決が出ているケースもある。橋下は、そういう負担やリスクを説明せず、ただ「誰でも簡単に」できると、気楽なノリでしゃべっている」と批判されている。
懲戒請求の具体的内容については、web上で専用のテンプレートが作成・公開され、それに基づく懲戒請求が多かった旨弁護団は主張しており、その内容は弁護団の法廷戦術を根拠に「弁護士にふさわしいとは思えない」といったものであった。 しかし、これらの懲戒請求は弁護団を懲戒するだけの事由及び信憑性が無かった為各弁護士会で次々としりぞけられており、現在のところ懲戒処分された弁護士は1人もいない。これに対し橋下は2007年12月9日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、「7000通も(懲戒)請求が出てるのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満を洩らしている。
最高裁判決前の福田孝行の会見[編集]
1999年に、山口・光市で母子を殺害した罪に問われ、死刑を言い渡されている当時18歳の元少年について、20日に最高裁の判決が下される。判決を前に、福田は現在の心境などを語った。
広島拘置所の接見室で、記者の質問に対し、「僕自身、殺意がなかった。強姦ではないという主張をしています」と話したのは、1999年の光市母子殺害事件で、殺人などの罪に問われている、犯行当時18歳の福田。現在は、30歳になっている。福田は、面談で「死姦というのは、一般的に言われるようなこととは一線を画している。変質者 というか、そのような人のみが行う行為を思っていたので、自分は言えませんでした。吉田鑑定書、その中の遺体所見では、『姦淫』とは書いてあるが、『強姦』とは書かれていない。捜査機関が作ったもので、証拠があると言われて認めてしまったけど、事実としては強姦はしていない」と話した。
福田は、会社員・本村 洋さんの自宅で、妻・弥生さんの首を絞め、殺害したあとに乱暴した。当時生後11カ月だった長女・夕夏ちゃんも、首をひもで絞めて殺害した。
2000年3月、本村 洋さんは「きちんと、犯した罪に対して相当する罰を与えるような判決を下してくれることを信じています」と話していた。1・2審ともに無期懲役の判決だったが、2006年、最高裁がそれを破棄した。2008年の差し戻し審では、死刑が言い渡され、福田は上告した。その判決が、20日に下される。
福田は「僕がどうこう言えるわけではないですが、裁判官の判断で決めるわけですが、厳正な対処を望みます。傷害致死であって、死刑が適用ないなら回避してほしい。素直な思いとしては、怖いと思います」と話した。
記者の目を見て、落ち着いた丁寧な言葉づかいで答えた福田。2008年の差し戻し審では、これまで犯行事実を認め、謝罪していたにもかかわらず、それを翻し、判決文では、死刑を免れることを企図して、旧供述を翻したうえ、虚偽の弁解を弄していると批判された。
本村 洋さんは「彼も、どこかでこの判決を覚悟していたんじゃないかなというほど、落ち着いた顔だったというふうには、印象を受けました」と話していた。死刑判決後、傍聴席の本村さんに対し、頭を下げたことについて、元少年は「ずっと心残りだった。1審、2審含めて、本村さんの方に深く礼をなすことができなかった。僕自身、どこかこだわりがあった。頭を下げたところで、命が戻ってくるわけではないという、変な逡巡があった」と話した。
事件から13年。3日後に迫った判決の日を、どのように過ごすのかという問いには「落ち着いて受けるしかない。どのような内容であれ、僕自身の不備なので、それを相手のせいにしないで、自分のことを棚に上げて、相手をどうこう言うことは控えたい」と答えた。
※事件概要
- アパートで主婦、本村弥生さん(当時23歳)を暴行目的で襲って殺害。遺体を陵辱後、母の遺体に泣きながらはって寄ってくる夕夏ちゃん(同11カ月)を持ち上げて床に叩きつけ それでもなお母の所へ来ようとするところを絞殺。財布を盗んだ。
山口地裁は(1)犯行時は18歳と30日で発育途上(2)法廷で涙を浮かべた様子から更生可能性あり(3)生育環境に同情すべき点あり、などから無期懲役を言い渡した。
死刑確定(2012年2月20日)[編集]
山口県光市で1999年に母子2人が殺害された事件で、殺人や強姦致死などの罪に問われ、差し戻し後の控訴審で死刑となった元会社員大月孝行被告(30)(犯行時18歳1か月 旧姓:福田)について、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は2012年2月20日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。
福田孝行に死刑が確定した。
判決によると、大月被告は1999年4月、排水検査の作業員を装って近所の会社員本村洋さん方を訪れ、妻弥生さん(当時23歳)を乱暴目的で襲って、抵抗されたことから両手で首を絞めて殺害した。泣きやまなかった長女の夕夏ちゃん(同11か月)も、ひもで首を絞めて殺し、弥生さんを屍姦した後、財布を盗んで逃走した。
最高裁によると、記録が残る1966年以降、犯行時少年で死刑が確定したのは12人。60~70年代は被害者が1人のケースもあったが、連続射殺事件の永山則夫・元死刑囚(犯行時19歳)の判決確定(1990年)以降は、いずれも被害者数が4人だった。
弁護団「判断誤った」、最高検「判決は妥当」光市事件最高裁判決[編集]
山口県光市母子殺害事件の弁護団は2月20日、死刑を選択した最高裁判決を「判断を誤っており、極めて不当だ」とする声明を発表した。
声明は「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされたのに、裁判所は無視した。被告は虐待で成長が阻害されており実質的には18歳未満で、死刑は憲法や少年法に反する」と批判。
裁判官全員一致の判決でなかった点にも「強く非難されなければならない」とした。
一方、最高検の岩橋義明公判部長は「少年時の犯行とはいえ、社会に大きな衝撃を与えた凶悪事件で、死刑が是認された判決は妥当と考える」とするコメントを出した。
弁護団のコメントに対するネット上の反応[編集]
- 明らかになったのは反省してない本心がこもった手紙だ。
- 「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされた」
- ああ確かにそうだな
- その手紙こそ本人が自覚を持って事件を起こした客観的証拠なのに腐った弁護士どもはいい加減に被害者を冒涜するのはやめろ!
- こりゃ死刑当然
- 「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされたのに」 されてねぇから無視されたんだろうに、妄想で騙せるのは自分だけだぞ
- まぁ、殺意もレイプ目的でもないのに、他人の家にあがりこみ、二人を殺して死姦する奴なんて、死刑にしてもらわないと怖くて仕方ないです
- 弁護士のキチガイ言動が死刑判決に影響したようなもんだなww
- 当初の供述通り殺意を認めて真摯に反省しているふりをしていたら死刑判決は出なかったかも弁護団はとにかく小細工しすぎた
- 今日、知り合いの弁護士にこの話を振ったらありゃしょうがないよ、死刑にならなきゃだめでしょwとか言ってた
- 甘えようとしたら、うっかり殺しちゃった=だから殺意ないよwww死んじゃったから生き返らせようとチンポ入れて中出しした=強姦目的じゃないよw
ってことなんだろう。連中の中では
- 弁護団の頭の中だけだよ、明らかにされたってのは。そういうのを通常、勘違いって言うんだよ
- 裁判官はどう判定したの?
- 簡単に言うと「支離滅裂な言い訳」と判断。当然殺意も強姦目的も認定されました。最大の敗因は弁護団だろう。w
- 最大の敗因はあの手紙だろ。つまりは自業自得。次点がこの弁護団の差し戻し以降の戦略ミス。手紙のせいで「反省してます」が使えなくなったからってあれはないわ…
- あの手紙のあとに無期懲役の判決を出してるんだぜ。日本の裁判官の無能っぷりをなめんじゃねえ
- 手紙で差し戻しになったが、それがすべてじゃないな。あのまま反省が進んでいることを見せたら、無期の可能性もあった。
- ドラえもん戦術も通用しなかったなw醜悪で無能な連中だわ
- 少年は反省しかかってたのに「ドラえもん」とか変な入れ知恵するから死刑になったんだ。弁護団はアホか?
- 福田が全く反省してないから最高裁が高裁に差し戻し再審理させたんだぞ。ドラえもん言い出したのはそこから。永山基準適用されそうになくなったからだよ。福田が反省してたとかあり得ないから。
1人だけ反対した宮川光治裁判官[編集]
最高裁判所の裁判官4人中、3人の多数意見による結論となった。宮川光治裁判官(弁護士出身)は死刑事件では極めて異例の反対意見を述べ、「犯行時の精神的成熟度のレベルはどうだったか審理を尽くし、再度、量刑判断を行う必要がある」と主張。
「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」として審理差し戻しを求めていた。
金築裁判官は「少年法が死刑適用の可否について定めているのは18歳未満か以上かという形式的基準で、精神的成熟度の要件は求めていない」と説明。あらためて判決の正当性を主張した。
「戒告は裁量権の逸脱に当たらない」国旗国歌不起立訴訟 処分の妥当性、宮川だけが反対[編集]
卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱の際に起立しなかったことを理由に東京都教育委員会から戒告、停職の懲戒処分を受けた教職員らが都に処分の取り消しと損害賠償を求めた訴訟2件で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は2012年1月16日、「戒告処分までは基本的に懲戒権者の裁量の範囲」との初判断を示した。
その上で、教員2人に対する戒告処分の取り消しを認めた東京高裁判決を破棄。別の同高裁判決で停職処分が容認された教員2人については1人の停職を取り消し、もう1人については過去の処分歴などから取り消しを認めなかった。
校長が起立を命じた職務命令については最高裁が昨年5月以降、合憲との結論を示しており、今回は戒告、停職とした処分に裁量権の逸脱、乱用があったかどうかが争点となった。同小法廷は、戒告処分について「処分自体が教職員の法的地位に不利益を及ぼすものではない」と指摘し、「過去の処分歴の有無にかかわらず、処分は相当」と結論付けた。
一方、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することは、事案の性質などを踏まえた慎重な考慮が必要」と指摘。停職処分を受けた原告のうち1人は、不起立行為以外で過去に懲戒処分を3回を受けていることなどから「一連の非違行為の内容や頻度をかんがみると、停職処分は相当」とし、取り消し請求を認めなかった。
裁判官5人のうち4人の多数意見による結論。宮川光治裁判官(弁護士出身)は反対意見で「戒告処分でさえも、裁量権の範囲の逸脱に当たる」と述べた。
死刑判決後の本村洋さんの会見[編集]
--判決前の心境は
- 「非常に精神的に落ち着かない状況だった。努めて特別なことをせず、いつも通りの日常を直前まで続けた。たくさんの取材依頼があったが、お応えできずに迷惑をかけた。明日は判決内容をしっかり墓前で伝えたいと思う」
--弁護団への思いは
- 「殺意の否認は非常に残念だが、逆風の中で熱心に弁護されたことは立派なことだと思う。被告にとっても、最後まで自分の命を助けようと足を運ぶ弁護士と接することで感謝の気持ちが芽生え、反省の一歩になる。弁護のテクニックなどでいかがかと思うことはあったが、弁護士の役割を果たされたと思う」
--被告に言いたいことは
- 「彼のしたことは許されない。きっちりと罪を償わないといけない。判決をしっかり受け止め、罪を見つめ、反省した状態で刑を堂々と受け入れ、全うしてもらいたい。これが私の伝えたいことです」
--この裁判が13年間注目されたのは、本村さんが素直な思いを話してきたことを世論が重く受け止めたからだと思うが、今後、社会に向けてどのような活動したいか
- 「私が色々な方と手を携えてやった活動が正しかったか、正しくなかったかは私が言うことではなく、歴史が判断することだと思うが、何もしなければ始まらない。小さな一歩でも始めれば、社会が変ると実感できた。司法制度を変えることができたのは良かったと思う。今後は、市井の会社員なのできちんと仕事をして、納税をして、一市民として社会の役に立てるようにしたい。特に社会に出て、活動することは考えていない」
--判決後、家族とどのようなやり取りをしたのか
- 「判決が述べられた後、(死亡した妻の弥生さんの)お母さんに『長い間お疲れさまでした』と声をかけ、お母さんから『ありがとうございました』と言われた。自分の父親からは『よくがんばった』と背中をたたかれた。また裁判が始まる前、(弥生さんの)お父さんから手紙をもらった。普段あまりしゃべらない方だが、『今まで何も言わなかったけど、よくがんばってきたね』という直筆の手紙をいただき、それがすごくうれしかった。いつも会見の場に私しかでないが、後ろから親族、家族に支えられていたということを改めて痛感した」
--未執行の死刑囚が増えている。執行の現状についてはどのように思われているか
- 「わたしごときが言っていいのか分からないが、法律を読めば死刑確定から半年以内に執行することが法務大臣の責務。法務大臣の思想信条で死刑執行しないことが決まるのは法律違反をしていることになり、おかしなことだと思う。日本は死刑がある。その国の法務大臣は死刑執行の書類にサインすることが最大の役目だと思う。それを放棄したり、責任から逃げる人は法務大臣には適していないと思っている。確かに冤罪(えんざい)の可能性がある事件や、再審請求されている事件は慎重に考えるべきだが、法務大臣の思想信条によって死刑執行が円滑に進まないという事態は避けなければいけないと思う」
--13年間、どうして公の場で強くいられることができたのか
- 「私はそんなに強い人間ではない。本当に強い人は、自分の弱さを明るみに出せる。私は弱い人間だから、堅苦しく話してしまう。決して強い人間ではないし、聖人君子ではない。話しながらも悩み、どきどきしながら発言している」
--奥様の結婚指輪をネックレスにしたという話をしていたが、そのネックレスは?
- 「今もしている。棺おけに入るまでしていこうと思っている」
--亡くなった2人に言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけるか
- 「私と家庭を持ってもらい、私の子として生まれてきてくれたことに感謝している。守ってあげられなかったことの自責の念が強いが、こうして社会の皆さんに関心をよせていただき、刑事司法制度に影響を与えることができたことなどを、数少ない罪滅ぼしの一つとして報告したい。そしてやはり、妻と娘のように、無残にも人生をたたれてしまうような犯罪の被害者が生まれなくなることを切に願う。一番いいことは犯罪がなくなることで、そのことを社会には知っていただくことができたと思っている」
- 「この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人が悩むし、血税を使って裁判が行われる。結局得られるものはマイナスのものが多い。そういった中から、マイナスのものを社会から排除することが大事で、結果として、妻と娘の命が今後の役に立てればと思う。そのためにできることをやってきたということを(亡くなった2人に)伝えたい」
--今はどのような生活を送られているのか
- 「私自身、2009(平成21)年にある女性と籍を入れて、細々と家庭を持っている。それには色々な理由があるが、私自身、1人で生きていくことがとてもつらくなり、精神的にまいっていた。そしてとてもすばらしい方と出会えたこともあった。いろいろ悩んだし、相手も考えたと思うが、私を支えてくれるということで、今、細々とだが、2人で生活している。その彼女は命日には一緒にお墓に行って、手を合わせてくれている。その人のおかげで、こういった場に立てる。感謝している」
死刑判決に対する北海道新聞の社説[編集]
犯行時の被告の精神的な未熟さや複雑な家庭環境など事件解明のカギを握る点について必ずしも十分な審理が行われたとは言い難い。立ち直りの可能性や少年への死刑の是非など、少年犯罪を裁く上でさまざまな課題を残したといえる。
愛する家族を突然奪われた遺族の憤りは当然だろう。極刑を求める感情も理解はできる。だが、メディアやネットで量刑の不満や被告が殺意否認に転じたことへの批判が噴出、弁護団への中傷、懲戒請求など異常な事態が続いた。
いかに凶悪な犯罪だろうと被告には公正な裁判を受ける権利がある。その権利や弁護活動が脅かされるのなら法治国家は成り立たない。
最高裁は被告の犯行を「甚だ悪質で酌量の余地は全くない」と断定した。被告が殺意否認に転じたことも「不合理な弁解であり、真摯な反省の情をうかがうことはできない」とし、18歳になったばかりだったとしても極刑は免れないとした。
更生に主眼を置く少年法は、犯行時18歳未満への死刑を禁じている。一、二審が無期懲役としたのは、法の趣旨や判例に照らし合わせたからだろう。それと比べ、最高裁判決の厳しさに驚かされる。
一部世論の高まりが判決に影響を及ぼしたことは否定できまい。更生の可能性を探るよりも、遺族感情への配慮と、年齢より犯行の悪質性を重く見る視点が、今後の裁判に影響を与えることが危惧される。
4人の裁判官の中で宮川光治裁判官は「年齢に比べて被告の精神的成熟度は低く、死刑回避の事情に該当し得る」と指摘。審理を差し戻し精神鑑定の再評価を求めた。裁判官は少年の更生についても言及している。傾聴すべき指摘ではないか。厳罰化が犯罪の抑止につながるかどうかについても、専門家の間では意見が分かれている。
海外では死刑の廃止国が存置国数を上回り、廃止の流れが強まっている。日本では世論調査ではまだまだ存続の声が多いが、未成年への適用はもとより、死刑をめぐる国民的論議も高めていくべきだろう。
大月 「死刑回避信じて取材協力したのに…実名本の販売中止を」(2012年5月)[編集]
光市母子殺害事件で死刑が確定した当時少年の大月孝行(旧姓福田)死刑囚(31)を実名で表記した本をめぐり、大月死刑囚らが著者や出版社に出版差し止めと損害賠償を求めた訴訟の判決で、広島地裁は2012年5月23日、差し止め請求を退けた。損害賠償については著者らに計66万円の支払いを命じた。大月死刑囚側は控訴する方針。
植屋伸一裁判長(森崎英二裁判長代読)は「死刑が確定しており、原告が重大な損失を受ける恐れはない」とした。
大月死刑囚の弁護団は「死刑が確定しないよう努力する約束があったので取材に応じたのに、本の内容は死刑確定を前提としたもので期待と信頼を裏切られた」と主張していた。本は2009年に出版された「福田君を殺して何になる」(インシデンツ刊)。
「2人の命を失わせたが、生きて償いたい」大月死刑囚が再審請求へ(2012年5月)[編集]
少年時の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦致死罪などに問われ、3月に死刑が確定した大月孝行死刑囚(31)の弁護団は2012年5月26日、確定した広島高裁の差し戻し審判決に重大な誤りがあるとして秋にも同高裁に再審請求することを明らかにした。東京都内で開いた報告集会で表明した。
主任弁護人の安田好弘弁護士は「8月に弁護団の会議を開いた上で、10月ごろには再審請求する方向だ」と述べた。
犯行当時18歳1カ月だった大月死刑囚は、1審山口地裁、2審広島高裁で無期懲役とされたが、最高裁は「年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」と破棄した。差し戻し審判決で高裁は死刑を言い渡し、最高裁も上告を棄却した。
弁護団は、新たに実施した法医学や被告の精神に関する鑑定結果のほか、差し戻し上告審で採用されなかった証拠を再審開始の要件となる新証拠として提出するという。
本田兆司弁護団長は大月死刑囚自身の「2人の命を失わせたが、今回の事件が何だったのかを明らかにした上で、生きて償いたい」との意向を紹介。差し戻し上告審判決で述べられた反対意見についても「理解してくれる裁判官がいた」と語っているという。
弁護団は差し戻し前の上告審から殺意や犯行態様を争い、傷害致死罪の適用を求めたが、差し戻し上告審判決は「不合理な弁解で、反省がうかがえない。少年だったことを考慮しても刑事責任はあまりに重い」とした。
安田弁護士「殺意は無かった。強姦も判断能力が無かったので無罪だ」(2012年10月)[編集]
山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪や強姦致死罪などで3月に死刑が確定した大月(旧姓・福田)孝行死刑囚(31)の弁護団は10月29日、広島高裁に再審請求した。弁護団は、再審開始に必要な新証拠として、心理学者らによる精神鑑定書などを提出した。
広島市内で記者会見した主任弁護人の安田好弘弁護士は
「犯行当時、死刑囚には殺意はなく、傷害致死罪が成立する。強姦についても物事が十分判断できない状態であり、無罪だ」と主張した。
確定判決によると、大月死刑囚は、18歳だった1999年4月、光市の本村洋さん(36)方に侵入し、妻の弥生さん(当時23歳)を強姦目的で襲い、首を絞めて殺害して死姦し、長女夕夏(ゆうか)ちゃん(同11か月)も絞殺した。
関連項目[編集]
関連書籍[編集]
- インパクト出版会(編)『光市裁判 年報・死刑廃止2006』特集・光市裁判 なぜテレビは死刑を求めるのか インパクト出版会、2006年10月 ISBN 4755401690
- 本村洋、本村弥生共著『天国からのラブレター』新潮社、2000年4月 ISBN 4104365017
- 同名の映画がある。
- 光市裁判を考える有志の会(編)『橋下弁護士VS光市裁判被告弁護団』一般市民が見た光市母子殺害事件 STUDIO CELLO 2007年10月 ISBN 9784863210134
- 現代人文社編集部(編)『光市事件裁判を考える』現代人文社、2008年1月、ISBN 4877983589
外部リンク[編集]
- 全国犯罪被害者の会
- 最高裁判所第三小法廷 平成18年06月20日 (平成14(あ)730)
- 広島高等裁判所 平成14年03月14日(平成12(う)66)
- 法学のトビラ 第1回 年長少年に対する死刑の是非 安達光治
- 死刑になる犯罪(第3版)
- 「光市事件」報道を検証する会
(以下は弁護団の光市事件懲戒請求扇動問題広報ページ)