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ウオッカ | |
---|---|
性別: | 牝 |
毛色: | 鹿毛 |
白斑: | {{{斑}}} |
品種: | サラブレッド |
生誕: | 2004年4月4日 |
死没: | {{{死}}} |
父: | タニノギムレット |
母: | タニノシスター |
母の父: | ルション |
生産: | カントリー牧場 |
生国: | 日本(北海道静内町) |
馬主: | 谷水雄三 |
調教師: | 角居勝彦(栗東) |
厩務員: | 中田陽之 |
競走成績 | |
生涯成績: | 15戦6勝(中央) 1戦0勝(海外) |
獲得賞金: | 5億9601万2000円 |
ウオッカ(Vodka)は日本の競走馬である。2007年、牝馬としては64年ぶり(戦後初・史上3頭目)に東京優駿(日本ダービー)を制した。他の主な勝ち鞍は阪神ジュベナイルフィリーズ(2006年)・安田記念(2008年)。
目次
デビュー前[編集]
デビュー前から高い素質を見せていたため、2006年10月27日に締め切られたクラシック登録には桜花賞・優駿牝馬(オークス)のみならず牡馬三冠にも登録された。この背景には馬主の谷水雄三の意向があった。
戦績[編集]
2006年(2歳)[編集]
10月29日、京都競馬場の新馬戦でデビュー。スタート後すぐに先頭に立つと、直線で再び突き放して勝利を収めた。続く黄菊賞ではスタートで後手を踏み、2着に敗れた。3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズではスタート後先団に取りつき道中は馬群の中団からレースを進め直線で先に抜け出したアストンマーチャンを叩き合いの末に豪快に外から差し切り、GI制覇を収めた。なおこの勝利が評価され、2006年度JRA賞最優秀2歳牝馬に選出された。
2007年(3歳)[編集]
2007年の緒戦にはエルフィンステークスが選択された。他馬より2キロ重い56kgの斤量を背負っての出走となったがレースでは直線に入ると馬なりで先頭に立ち、そのまま2着に3馬身差の着差をつけて勝利した。続くチューリップ賞ではダイワスカーレットがウオッカとマッチレースを望むかのようにウオッカをひきつけたが、それを交わしクビ差で制して優勝した。なお2着のダイワスカーレットと3着との着差は6馬身であり、2頭の力が突出していることを示す結果となった。こうなると桜花賞はもはや決まったかのように思われたが前走で瞬発力勝負では分が悪いと踏んだダイワスカーレットが早めに抜け出すという作戦をとり、これを捉えることができず2着に敗れた。
ウオッカには桜花賞に出走する以前から東京優駿に出走するプランが発表されていた。桜花賞で2着に敗れたことで断念するとの見方もあったが、谷水から判断を一任された調教師の角居勝彦は牝馬として1996年のビワハイジ以来11年ぶりの出走を決断した[1]。この出走にはJRA元調教師の伊藤雄二が東京優駿施行時における牡馬と牝馬の完成度の違いやウオッカの状態に桜花賞から上積みがないことなどを理由に「理解できない」と述べる[2]など反対や疑問の声が少なからず聞こえた。
しかしレースでは馬群の中団から直線で抜け出して優勝し、父仔2代での東京優駿制覇(トウカイテイオー(父・シンボリルドルフ)以来16年ぶり史上5組目、父娘制覇は史上初)を達成した。また、牝馬の東京優駿制覇は1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続き史上3頭目、戦後初の出来事であった(レースの詳細については第74回東京優駿を参照)。
6月12日、初めての古馬との対決となる第48回宝塚記念への出走が正式に決まったことが関係者から伝えられた。3歳牝馬が宝塚記念に出走するのは1996年のヒシナタリー(4着)以来11年ぶりのこととなる。しかし、レースでは狙い通りの位置取りを取ることができずに、折り合いを欠いてしまい8着に敗れた。
同年秋の凱旋門賞への出走を目指し、ステップレースとしてヴェルメイユ賞もしくはニエル賞から凱旋門賞というローテーションが考えられていた。8月に渡仏しシャンティイ調教場のジャン=マリー・ベギニェ(Jean-Marie Béguigné)厩舎に滞在して調教する予定だったが8月4日に角居らの下見の結果、同じく凱旋門賞に挑戦を表明していたメイショウサムソンと同じリチャード・ギブソン厩舎への滞在が発表された。
しかし、8月7日に右後肢の蹄球炎を発症したことが発表され、翌8月8日に馬主サイドとの協議の結果、凱旋門賞出走断念を発表した。なお蹄球炎は4日間馬房内で治療に専念して回復したものの、この4日間の療養で調教ができなかったことで万全の状態でレースに挑めなくなったことが出走断念の理由となった。
8月11日に発表されたJPNサラブレッドランキングの2007年度上半期において117ポンドの評価を得た。
その後8月26日には坂路入りを再開して調教が行われ、秋はトライアル競走を使わず直接第12回秋華賞に向かうことになった。レースでは後方に位置し3コーナーで外から進出していくものの、最後はダイワスカーレットだけでなくレインダンスも交わすことができず3着に敗れた。秋華賞後はエリザベス女王杯かジャパンカップのどちらに向かうかが注目され、10月3日には有馬記念に出走する意向を角居が明らかにした。
10月23日に第32回エリザベス女王杯に向かうことが発表されダイワスカーレットとの決着が期待されたが11月11日のレース当日の朝、右関節破行の故障が発生したためレースへの出走を取り消した。なおウオッカは前日売りオッズで2.1倍の単勝1番人気に支持されており、同馬絡みの馬券の返還金の総額は約15億円だった。しかし症状は軽症だったため、翌々週に行われる第27回ジャパンカップに出走登録を行い、当初出走は流動的だったが11月21日の最終追い切り後に正式に出走が発表された。そして迎えたレースでは2番人気に支持され、道中最後尾の位置から最後の直線で猛追するも4着だった。
12月6日に第52回有馬記念ファン投票の最終結果で1位となる10万544票を獲得したことが発表された。これは3歳牝馬(旧4歳牝馬を含む)としては初のファン投票1位であった。枠順は12月20日に決定し8枠16番となった。この枠は有馬記念史上過去11頭が引いて最高位8着という鬼門の枠である。12月23日のレースでは折り合いに苦労し、第3コーナーで早めに仕掛けたが早々と失速。伸びきれずマツリダゴッホの11着に敗れ、鬼門を克服することができず、2着に粘ったダイワスカーレットにJpnI及びGI(JpnIで2度、GIで1度)で3戦連続で先着を許してしまい、牝馬によるダービー制覇を達成しながらJRA賞最優秀3歳牝馬の座もダイワスカーレットに奪われてしまう結果となった。しかし、同日関西競馬記者クラブ賞の特別賞を牝馬による64年ぶりのダービー制覇を選考理由とし、受賞することが発表された。また、同じく牝馬によるダービー制覇を理由にJRA賞特別賞も受賞した。
2008年(4歳)[編集]
1月5日に京都競馬場にて行なわれた関西競馬記者クラブ賞の特別賞の授賞式にて、調教師サイドから京都記念からの始動が公言された。また、3月29日のドバイミーティングにてドバイデューティーフリーに参戦することを表明した。さらに1月22日に締め切られたアジアマイルチャレンジのシリーズ登録も行っている。しかし1月31日にドバイデューティーフリーではなくドバイシーマクラシックへの選出馬となったことが発表されたが、2月8日にドバイデューティフリーにも選出されたことが発表された。
公言どおりこの年は京都記念から始動。同世代のアドマイヤオーラが3.3倍の1番人気、ウオッカが3.4倍の2番人気に支持される均衡した評価の中レースが始まる。レースでは好スタートを決めるものの、直後にトウカイトリックに馬体をぶつけられた結果、外側によれて馬群からはやや置いて行かれた形となる。その後、向こう正面ではまたも折り合いを欠き、4角地点で最後方から3頭目の位置から伸びあぐね、最後の最後で鋭い末脚を繰り出すも、優勝馬アドマイヤオーラから約2馬身差の6着と届かなかった。
京都記念後の2月29日に予定通りドバイへの遠征を実行することと、ドバイで一番結果が出ている日本人騎手ということから武豊に乗り替わることが調教師サイドから発表された。検疫は京都競馬場行われ、同じくドバイデューティーフリーの選出馬となり遠征するアドマイヤオーラら3頭と共に3月15日に出国し3月29日にレースが行われた。レースでは積極的に前から進めるが、アーキペンコやダルジナらに交わされて4着であった。なお、レースは有力どころの牡馬勢アドマイヤオーラやリテラト、クレカドールなどが大敗し大荒れとなった。レース後は遠征馬3頭と共に4月3日に関西国際空港に到着し三木ホースランドパークで輸入検疫を受け、その後は短期放牧に出された。
帰厩後は5月18日のヴィクトリアマイルに出走。中団からレースを進めたが、最後の直線で先頭に立ったエイジアンウインズを捕らえきれず2着に敗れた。
次走は中2週となる安田記念に出走登録を行い、5月27日には前走まで騎乗していた武豊が安田記念においてスズカフェニックスへの騎乗が決まっていることから、新たに岩田康誠に乗り替わることが調教師サイドから発表された。
レースでは3枠5番という好枠から先行すると最後の直線、残り1ハロンから一気に抜け出し2着のアルマダに3馬身1/2の差をつけてゴール。GI(JpnI含む)3勝目を飾り、復活をアピールした。
競走成績[編集]
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤 量 |
距離(馬場) | タイム (上3F) |
タイム 差 |
勝ち馬/(2着馬) | ||
2006 | 10. | 29 | 京都 | 2歳新馬 | 13 | 4 | 4 | 3.3(2人) | 1着 | 鮫島克也 | 54 | 芝1600m(良) | 1:35.0(34.5) | -0.6 | (レースドール) | |
11. | 12 | 京都 | 黄菊賞 | 500万下 | 8 | 7 | 7 | 3.0(2人) | 2着 | 四位洋文 | 54 | 芝1800m(良) | 1:49.5(34.1) | 0.2 | マイネルソリスト | |
12. | 3 | 阪神 | 阪神JF | GI | 18 | 1 | 2 | 11.1(4人) | 1着 | 四位洋文 | 54 | 芝1600m(良) | 1:33.1(34.2) | 0.0 | (アストンマーチャン) | |
2007 | 2. | 3 | 京都 | エルフィンS | OP | 9 | 8 | 9 | 1.7(1人) | 1着 | 四位洋文 | 56 | 芝1600m(良) | 1:33.7(34.0) | -0.5 | (ニシノマナムスメ) |
3. | 3 | 阪神 | チューリップ賞 | JpnIII | 16 | 6 | 11 | 1.4(1人) | 1着 | 四位洋文 | 54 | 芝1600m(良) | 1:33.7(33.5) | -0.1 | (ダイワスカーレット) | |
4. | 8 | 阪神 | 桜花賞 | JpnI | 18 | 7 | 14 | 1.4(1人) | 2着 | 四位洋文 | 55 | 芝1600m(良) | 1:33.9(33.6) | 0.2 | ダイワスカーレット | |
5. | 27 | 東京 | 東京優駿 | JpnI | 18 | 2 | 3 | 10.5(3人) | 1着 | 四位洋文 | 55 | 芝2400m(良) | 2:24.5(33.0) | -0.5 | (アサクサキングス) | |
6. | 24 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 18 | 1 | 2 | 3.5(1人) | 8着 | 四位洋文 | 51 | 芝2200m(稍) | 2:14.0(38.0) | 1.6 | アドマイヤムーン | |
10. | 14 | 京都 | 秋華賞 | JpnI | 18 | 8 | 16 | 2.7(1人) | 3着 | 四位洋文 | 55 | 芝2000m(良) | 1:59.3(33.2) | 0.2 | ダイワスカーレット | |
11. | 25 | 東京 | ジャパンカップ | GI | 18 | 6 | 11 | 6.1(2人) | 4着 | 四位洋文 | 53 | 芝2400m(良) | 2:24.9(33.6) | 0.2 | アドマイヤムーン | |
12. | 23 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 8 | 16 | 6.9(3人) | 11着 | 四位洋文 | 53 | 芝2500m(稍) | 2:35.7(37.9) | 2.1 | マツリダゴッホ | |
2008 | 2. | 23 | 京都 | 京都記念 | GII | 16 | 8 | 16 | 3.4(2人) | 6着 | 四位洋文 | 56 | 芝2200m(良) | 2:13.9(33.8) | 0.3 | アドマイヤオーラ |
3. | 29 | UAE | ドバイDF | G1 | 16 | 12 | 12 | -(-人) | 4着 | 武豊 | 55 | 芝1777m(良) | Jay Peg | |||
5. | 18 | 東京 | ヴィクトリアマイル | JpnI | 18 | 5 | 9 | 2.1(1人) | 2着 | 武豊 | 55 | 芝1600m(良) | 1:33.8(33.2) | 0.1 | エイジアンウインズ | |
6. | 9 | 東京 | 安田記念 | GI | 18 | 3 | 5 | 4.1(2人) | 1着 | 岩田康誠 | 56 | 芝1600m(良) | 1:32.7(34.0) | -0.6 | (アルマダ) |
※競走成績は2008年6月9日現在
過去の牝馬による東京優駿優勝との比較[編集]
日本の中央競馬で牝馬で現在の東京優駿に相当する東京優駿大競走・東京優駿競走を制した競走馬は上記の通りウオッカより前に2頭いるが、いずれについても競馬の番組編成上の理由から牝馬であっても東京優駿が上半期の目標となった時代の記録である[3]。また生産頭数も現代ほど多くないために強力な牡馬の絶対数も少ない(ただし、強力な牝馬の絶対数も少ないということにもなるが)ということもあって、かつては牝馬による東京優駿及び現在の東京優駿に相当する競走への挑戦も稀有なことではなかった。時代が進み優駿牝馬が春の東京開催に移り、また競走体系の細分化が進み競走馬の適性に応じて出走レースを選択することが一般的となった現代では牝馬は東京優駿ではなく優駿牝馬などを目指すことが一般的となっている。ウオッカはより勝率が高いと思われる優駿牝馬ではなく、あえて困難といわれる東京優駿へ挑戦した点にヒサトモ・クリフジとの事情の相違を見出せる。
馬名の由来[編集]
父・タニノギムレットの馬名の由来であるギムレットはジンがベース[4]のカクテルであるが、馬主の谷水は父よりも強くあってほしいとジンよりもアルコール度数が高い(強い)酒であるウォッカから「ウオッカ」と名付け(小文字の「ォ」は使用できなかったらしい要出典)、同様にストレート(に命名すること)の方がアルコール度数が高い(強い)という意味で「タニノ」の冠名を付けなかった。
血統表[編集]
ウオッカの血統(ロベルト系/Graustark 4×5=9.38%(父系)) | |||
父 タニノギムレット 1999 鹿毛 |
* ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Kelley's Day | Graustark | ||
Golden Trail | |||
タニノクリスタル 1988 栗毛 |
* クリスタルパレス Crystal Palace |
Caro | |
Hermieres | |||
* タニノシーバード | Sea-Bird | ||
Flaxen | |||
母 タニノシスター 1993 栗毛 |
* ルション Rousillon 1981 黒鹿毛 |
Riverman | Never Bend |
River Lady | |||
Belle Dorine | Marshua's Dancer | ||
Palsy Walsy | |||
エナジートウショウ 1987 鹿毛 |
トウショウボーイ | * テスコボーイ | |
* ソシアルバターフライ | |||
コーニストウショウ | * ダンディルート | ||
ローズトウショウ F-No.3-l |
- 父・タニノギムレットについては同馬の項を参照。馬主の谷水家が経営するカントリー牧場の育てた牝系から出た東京優駿勝ち馬である。
- 母・タニノシスターは中央競馬5勝。半弟にガーネットステークス勝ち馬・スリーアベニュー(父・アフリート)。JRAが購入、育成した後に馬主に譲渡される抽せん馬として谷水が入手した。
- 祖母・エナジートウショウの全妹に桜花賞馬・シスタートウショウ、全弟に北九州記念勝ち馬・トウショウオリオンがおり、日本競馬史上の一大牝系であるシラオキ系に属する。その他の近親に重賞5勝のシーイズトウショウなどがいる。
- 2007年8月24日に行われたサマーセール(最終日)で叔父に当たるエナジートウショウの2006(父・アグネスタキオン)が同セール最高価格となる2600万円(税抜)で落札された。
- 母・タニノシスターの仔は全て角居厩舎に預けるという約束があり[5]、ウオッカの兄弟も全て角居厩舎の所属となっている。
脚注[編集]
- ↑ ちなみにウオッカと共に東京優駿に出走したアドマイヤオーラはビワハイジ産駒である。
- ↑ 2007年5月24日付大阪スポーツ23面「聞かせて!!核心」
- ↑ クリフジの時代には現在の優駿牝馬に相当する阪神優駿牝馬は初夏ではなく秋季に開催されていた。従って3歳馬の上半期の目標は牡馬も牝馬も東京優駿競走であり、優駿牝馬を回避してあえて東京優駿に出走したウオッカとは事情が異なる。ヒサトモの時代に至っては阪神優駿牝馬はまだ設立されておらず、こちらも上半期は東京優駿大競走を目標とする競走体系だった。上記の2頭以外にも1947年にはトキツカゼが農林省賞典(現在の皐月賞)を制覇し、その後東京優駿競走に出走し2着。また、本馬の6代母・シラオキも1949年の優駿競走で2着に入っている。
- ↑ ウォッカをベースにしたギムレットも存在する。
- ↑ 『武豊TV!』のインタビューでの発言
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